7.王子の来訪
王家の結婚式ともなれば、他国の賓客を招き、国内の貴族が集まるだけでなく、国民に対するお披露目もある、盛大なイベントだ。
それなのに、結婚式の主役であるジュリアは結婚式には身代わりをたてるから参加しなくていいという。
大勢の男性の前に出れば、それこそジュリアの虜になって騒ぎになるかもしれないが、本当にこのままでいいのだろうか。
ジュリアは、王家に入るような名門貴族の出ではないし、やっかいな運命を抱えている。
形だけの夫婦とはいえ、王太子と結婚するということはジュリアは将来的に王妃になるのだ。
ケースティン王国の王家は代々正妃しかいないため、恐らくライディスも第二妃を娶るつもりはないだろう。
現実的に結婚式の準備が進められていると思うと、焦りばかりが大きくなる。
こんな状態で王妃としてやっていけるのだろうか。
ライディスは、ジュリアに何を求めているのか。
疑問と不安は増えるばかりである。
(ライディス様は、何を考えているの?)
王宮に移ったジュリアには一度も顔を見せにこないで、結婚式は身代わりで済ませようとしている。
「そういえば私、国王様と王妃様にもご挨拶していないわ」
こんなもどかしい思いをするなら、修道女になった方がよかった。
ジュリアが窓辺でため息を吐いた時、つい先程女官が出ていった扉からノックの音がした。
まだ何か仕事があったのだろうか。
どうぞ、と招き入れると、入ってきたのは女官ではなく、ここ最近ジュリアの思考を支配していた夫となる男だった。
* * *
ライディスには、聞きたいことが山ほどあった。
しかし、入ってきたライディスの顔には疲労の色が濃く、矢継ぎ早に質問などできなかった。
それに、やはり男性に対しては無条件に体が拒否反応を起こしてしまう。
ジュリアはライディスが一歩進む度に後ずさってしまい、気付けば壁際だった。
「急に訪ねてすまない。そんなに離れなくても、大丈夫だ。あなたには指一本触れないと約束しよう」
彼は、初めて会った時と同じ、ディラエルトの騎士服を身に付けていた。
おそらく、ずっと仕事だったのだろう。
無駄のない引き締まった体つきに、黒色の騎士服はとても様になっている。
壁際まで離れてしまったジュリアを気遣うような言葉に、少しだけ緊張がゆるんだ。
「……ジュリア殿?」
名を呼ばれて、慌ててジュリアは淑女としての礼をとる。
初めて会った日は勘違い男に追われていて、二回目に会った時はいきなりプロポーズされて驚いて、ライディスにきちんと挨拶ができていなかった。
「お久しぶりです、王太子殿下。改めまして、メイロード男爵家のジュリア・メイロードと申します。私のことはどうぞジュリアとお呼びください」
「では、俺のこともライディスと呼んでくれ」
「いえ、そんな……王太子殿下を気安く呼ぶなんて、無理です……!」
恐れ多すぎる。ジュリアはおもいきり首を横に振った。
「俺たちは形だけとはいえ、夫婦になる。問題ない」
形だけの夫婦。
それでもやはり体面を気にして、呼び方は親しくしなければならないのだろうか。
「……でしたら、ライディス様と呼ばせていただきます。いきなり呼び捨てにはできませんわ」
「それもそうだな。慣れるまではそれでいい」
「ありがとうございます」
とりあえず、ずっと一定距離を保ったまま立ち話というのも何なので、ジュリアはライディスをソファに座るよう促した。
そして、女官を呼んで飲み物を頼む。
ライディスだけを座らせて、自分は離れた位置で……ということはできないと諦め、ジュリアもライディスと向かい合う形で座った。
(男の人は怖いけれど、ライディス様は本当に私の虜にはなっていないみたいね。だったら、覚悟を決めて話をしなきゃ)
あれから数週間、ずっとこの宮殿に放置されていたのだ。
ようやく会いに来たからには、色々と説明があるはず、とジュリアは気を引き締める。
ただ贅沢な暮らしがしたいだけなら、言い寄ってくる男たちに言えば簡単だった。
それをしなかったのは、ジュリアが望むのは贅沢な暮らしではなく、穏やかな暮らしだったからだ。
男を虜にし、女を敵にして、ストーカーから逃げ回るような慌ただしい日々にさよならを告げ、ただ静かに、穏やかな時を過ごしたい。
そして、そんな生活をジュリアに与えてくれるのは、目の前の男ただ一人だろう。
ジュリアの虜にならず、他の男の牽制にもなる、王太子殿下。
しかし、ジュリアはただ世話になるのは嫌だった。
他人から与えられるだけの暮らしなど、気を遣いすぎて心が先に死んでしまいそうだ。
女の敵だというライディスが、何故いきなりジュリアに求婚したのか。
おそらく、彼にも彼なりの事情があるに違いない。
結婚式を身代わりで済ませようとする彼だ。
この機会を逃せば、もう会うことはないかもしれない。
せめて、ジュリアが何をすればいいのかだけは聞いておきたい。
「この宮殿は気に入ったか」
女官が用意した紅茶を飲み、ライディスは渋面で言った。
おそらく茶が不味かったのではなく、ジュリア相手に話をするということに少し抵抗があるのだろう。
控えている女官たちがいるとはいえ、彼にとってこれは二人きりと変わらない。
噂通りの女性嫌いならば、本当にジュリアに手を出してくることはないかもしれない。
そうは思っても、父以外の男性とこんな近くで話をすることは初めてなので、ジュリアの体は微かに震えていた。
ライディスも同じなのだろうか。
表情が動かないのも、口調が淡々としているのも、女性嫌い故なのかもしれない。
求婚した時にはジュリアの両親がいたし、王子らしく振る舞う必要があったから、柔らかな微笑みを浮かべることができたのだろう。
しかし、今目の前の彼もまた、本来の彼ではないのだろう。
嫌いな女性の前で、素顔をさらすはずがない。
完璧なまでに作られた心の壁を感じて、ジュリアはようやくほほ笑むことができた。
「はい、とても。ありがとうございます」
しかし、彼は紅茶が入ったカップを見つめるばかりでジュリアの方を見ようとしない。
(それにしても、本当に不思議だわ)
今まで、こんなことはあり得なかった。
男性とこの距離で話そうものなら、すぐに口説き文句と求婚の言葉の嵐に襲われていただろう。
何度貞操の危機を感じたことか。
男性イコール恐怖だったジュリアにとって、ライディスのように何もされないというのはあまりに新鮮だった。
ライディスはジュリアを口説きもしないし、触れようともしない。と言っても、もし触れようとすれば全力で抵抗するつもりなのだが。
それが王子殿下だからなのか、騎士として精神を鍛えているからなのか、女性嫌いだからなのかはよく分からない。
しかし、確かに王となるライディスが一人の女性の虜になっていては将来が不安だ。
現国王が王妃にメロメロだと知らないジュリアは、そんな風に考えていた。
(きっと、ライディス様とゆっくり話ができるのは今日が最初で最後よね)
そう思うと、ジュリアは少しだけ踏み込んでみたくなった。
何せ、今まで男性とまともな意思疏通ができたことがないのだ。
何を言っても愛の告白が返ってくるし、自分では平凡だと思っている容姿をおおげさに賛美される。
ライディスが相手ならば、会話というものが成立しそうだ。
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