6.安心と不安


 王太子殿下に求婚され、婚約発表が終わると、あれよあれよという間にジュリアは王宮に住まいを移していた。

 周囲のめまぐるしい変化に、ジュリアはただただ戸惑うばかりである。


 ジュリアに与えられたのは、主殿からかなり離れた位置にある宮殿だ。

 屋根がドーム型のかわいらしい塔があり、緑も多く、宮殿内にいる者たちはありがたいことに皆女性だ。

 二階奥、薄い桃色で統一された可愛らしくも落ち着いた部屋がジュリアの自室となった。

 壁紙には花柄模様のレースがあしらわれており、絨毯も同じように花柄だった。


(どうしよう、居心地が良すぎるわ)


 今までジュリアを追い回していたストーカー男はいないし、恋愛を推奨してくる両親もいないし、律儀に手紙を届けてくる使用人たちもいない。

 さらには、ジュリア一人にはもったいないくらいの広い部屋と、高級そうな調度品の数々が揃えられている。

 何不自由ない、あまりに贅沢な暮らしだ。さすがは一国の王子様である。ジュリアはこれから、安心安全贅沢三昧な日々を送ることができるのだろう。

 しかし、やはり知り合いも誰もいないところなので、かなり心細い。

 宮殿内にいる使用人たちは、必要最低限の準備だけしてそそくさと部屋を出て行ってしまった。メイロード男爵家では、年代は違うものの、侍女たちとのお喋りも楽しい時間だったのだ。

 しかし、いきなりやってきた王太子の婚約者に対してお喋りなどできるはずもないだろう。そのことについては、ジュリアはまったく気にしていなかった。

 ただ、このきらびやかな王宮に、ジュリアはあまりに場違いだ。

 ジュリアは今まで、贅沢という贅沢を求めてこなかった。

 安くて美味しいものを食べられたら満足だし、ドレスも新しいものをすぐ買わずに同じものを大切に着ていた。

 贅沢品を送りつけてくる男たちもいたが、それらはすべて孤児院や教会に喜捨をした。本当は本人に突き返したかったのだが、男たちは頑として受け取らなかったのだ。

 男爵家といえども、メイロード家の資産はそこそこで、暮らしも贅沢とは言えなかった。

 それでも、父は社交界で恥をかかない程度には見栄を張ることができていた。

 だから、ジュリアはこの贅沢とどう向き合っていいのかがわからなかった。


(サーシャの言っていた意味がなんとなく分かった気がするわ)

 贅沢品に囲まれ、いくら宝石できらびやかに着飾ったとしても、ジュリアの中身は平凡な生活を望む男爵令嬢だった頃と何も変わらない。

 それとも、こんな生活がずっと続いたら、ジュリアも贅沢に慣れてしまうのだろうか。

 そんな未来の自分を想像しただけで、なんだか嫌な気持ちになった。


「私は、王妃という立場になったとしても、絶対に必要以上の贅沢はしないわ」


 王妃として、国の経済を潤すために贅沢をしなければならない時はきっとくるだろう。

 しかし、それ以上の贅沢は望むまい。

 ジュリアはかたく心に誓った。

 それに、ライディスは有能な王子だときく。

 無駄な浪費に良い顔はしないだろう。

 いくら自分が〈運命の相手〉なのだとしても。


(でも、形だけの夫婦ですものね。ライディス様の顔色を気にする必要はないのかしら……でも、それってどうすればいいの?)


 この宮殿に移り住んでから、ジュリアの不安は尽きない。


 コンコン、というノックとともに女官が部屋に入ってきた。


「あの、本当に私は結婚式に出なくてもいいのでしょうか?」


 ジュリアの様子を伺いに来た女官に、何度目かの確認をとる。

 すると、女官は何も心配しないでください、と頭を下げるだけ。

 やはりそれ以上は言わずに部屋から出ていく。


 ジュリアとライディスの結婚式は、早いもので明日である。

 それなのに、ライディスとはプロポーズの日以来会っていない。

 婚約発表のことや結婚式のことは、すべてライディスがうまくやってくれるという。


「はあ。いくら形だけの夫婦だからって、何の説明もないなんて……」


 今後、二人で夫婦としてどうしていくのか。

 結婚式の前にそのことについて、二人でしっかりと話し合っておかなければならないのではないだろうか。

 そうでないと、周囲にどう思われることか。


(仮面夫婦だとバレてもいいの? いいえ、国王夫妻のラブラブ度は国民にまで知られているし、それが国の安定につながっていると信じられているもの。形だけの夫婦なんて、問題ない訳ないわ……)


 ジュリアの一番の不安はこれだった。

 本当に形だけの夫婦でいいのか。

 ジュリアとしては、その条件があったからこそ結婚を決めたのだが、だんだんと不安になってきたのだ。

 しかし、当のライディスからは何の音沙汰もない。

 まるで、ジュリアとは関わりたくない、というように。

 プロポーズの日は王子様然として優しく話をしてくれていたのに。


「やっぱり、あの時は演技をしていただけで噂通りの冷血漢なのかしら」


 社交界に流れるライディスの噂は、やはり真実なのかもしれない。

 しかし、ジュリア自身が根拠のない噂話にうんざりしている。

 実際のところは、本人しか分からないのだ。

 しかし、このままライディスと会わないままでは噂が本当なのかでたらめなのかをジュリアが確かめることはできないだろう。



 ライディスがジュリアのため、律儀に「近づかない」という約束を守っていることとは露知らず、ジュリアはただ女性に近づきたくないからなのだと思っていた。

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