4.王子様からの求婚

 翌朝、毎日のように届く恋文を暖炉に投げ入れ、ジュリアは両親の部屋へ向かった。

 そして、いつもより悲しげに訴えてみる。


「お父様、お母様、やはり私は男の人が怖いです。昨日、嫌というほど実感しました。お願いですから私が修道女になることをお許しください」

 娘が実際に誘拐されかけた、という事実もあって、今回は母もすぐ反論を口にしない。

 そして、父が悩んだ末に言葉を紡ぐ。

「そうだな。お前には笑顔でいてほしい。そのためなら、寂しいが……許す」

「ほ、本当ですか!」

 興奮気味に父に食いつくと、父は複雑そうに頷いた。母はその隣でおいおいと大袈裟に泣いている。


(や、やったわ! ついに女の園に行けるのね!)

 サーシャに報告を、と考え、はたと思いつく。修道女になれば、仲のいい友人とも簡単には会えなくなる、と。

 しかし、完全に外との繋がりが切れる訳ではないだろう。そう自分に言い聞かせながら、ジュリアは頬が緩むのを抑えられなかった。

 そんな時、使用人が大袈裟に来客の訪問を告げてきた。

 普段なら父も注意するが、今回の使用人の慌てっぷりに何かあったことは間違いない。父が言葉を言葉として発せない使用人を落ち着かせ、誰が来たのかを問うた。


「お、お……王宮からの、使者で、あの、お、お……王太子殿下がお越しです!」


 青ざめた使用人の顔をしばし呆然と見つめていた父だったが、その言葉を理解した途端に立ち上がり、すぐに応接間を整えさせるよう命じた。

 そして、父は玄関ホールに足早にかけていった。母も涙を拭いて、父と共に王太子殿下を出迎えに行った。


(王太子殿下って、あの有能だけれど女の敵といわれているライディス殿下?)


 父の後ろ姿を見つめながら、ジュリアは王太子殿下の噂を思い出していた。

 女性とは絶対にダンスを踊らない、王子に好意を抱く女性が言い寄っても冷たい言葉で追い返す、あげく目の前で女性が倒れていても助け起こすふりをして突き飛ばす……王子に夢見る女性の幻想をぶち壊す冷血漢だと、社交界では有名だ。

 しかしそれでも、王太子殿下との結婚を望む令嬢は多い。

 それは、王太子殿下は〈運命の相手〉にしか心を開かない、という噂も流れているからだ。

 運命の相手が自分かもしれない、と女性たちは期待に胸を膨らませ、王太子殿下に近づき、こっぴどく打ちのめされて彼の非道な噂を流すのだ。

 ジュリアはその噂を耳にする度に、王太子殿下には同情していた。

 運命神のおかげで男嫌いになった自分と、親近感を覚えたのだ。

 しかし、ジュリアは王子のように嫌いだからといって男性を冷たく追い返すことができない。

 そのせいで、男たちの勘違いは加速してしまう。

 その悪循環を絶つために、ジュリアは男子禁制の修道院に入るのだ。

 そう思えば、今までの苦労もこれからは笑い話になるはず。

 ジュリアはこの喜ばしい日に男である王太子殿下に会わないようにしなければ! と自室にこもることにする。



「でも、王太子殿下がそんなに権力もない男爵家に何の御用かしら? もしかして、お父様が王様の機嫌を損ねるようなことを……?」

 ケースティン王国国王ベリオット・グリフェルは明るくておおらかな王だという。

 初代国王は運命神ディラの導きによりケースティン王国を建国し、平和でゆたかな国をつくりあげた。

 王族には運命神ディラの祝福が受け継がれており、そのおかげで王国は繁栄している。

 そういうまともな祝福も与えられるのだと知っているから、ジュリアにとって我が身に与えられた《祝福》が《呪い》にしか思えないのだ。


「お父様、大丈夫かしら……」

 父は、男爵位に誇りを持って、日々領民のためにと真面目に仕事に励んでいる。国王の怒りに触れるようなことはないはずだ。きっと、いいことに違いない。褒美を賜るとか、仕事を任されるとか、そういうことだ。ジュリアはそうだと信じたい。

 知らず両手を祈るように組んだ時、自室のドアがノックもなく開かれた。

 そこには、顔に満面の笑顔を浮かべた父がいた。


「ジュリア、すぐに来なさい」


 父の笑顔に、何故かジュリアは嫌な予感がした。

 父にとっては悪い話ではなかったのだ。喜ぶべきことかもしれない。

 しかし、ジュリアが呼ばれるということは、つまりはそういうことだろう。


「い、嫌ですわ! 絶対に! お父様もご存知でしょう? 私は、異性を虜にする運命を負っているのですよ?」


 そんな運命の女が、王太子殿下に会えばどうなるのか。


 今まで王太子殿下に近づいていたのは、運命神ディラの祝福を受けていない普通の令嬢たちだ。

 しかし、ジュリアは違う。

 王太子殿下の意思など関係なく、虜にしてしまうかもしれない。

 しかし、ジュリアの拒絶はなかったことにされ、父に手を取られる。

 その手を振り払おうともがくも、結局は父に逆らえず、ジュリアは下を向いて廊下を歩く。

 次の角を曲がれば、王太子殿下がいる応接間だ。


「ジュリア、ライディス殿下はね、お前が思うような怖いお人ではない。大丈夫だよ」


 ジュリアの心を宥めようとする父の言葉を聞きながら、ジュリアの顔からはますます血の気が引いていた。

 怖い怖くないの問題ではない。

 というか、男という存在が嫌なのだ。今すぐに逃げ出したい。

 しかし無理だ。相手は王族。

 逆らえるはずがない。

 今までのようにやんわり遠回しに断るなんてこともできないだろう。

 せっかく修道女になる許可を得た喜ばしい日に、ジュリアは地獄に落とされてしまう。

 父が応接間の扉を開き、王太子殿下にジュリアを紹介する。

 ジュリアは不敬だと分かっていても、顔を上げることができずにいた。

 おそらく王太子殿下のものであろう足音が近づいてきて、ジュリアの目の前で止まった。

 そして、彼はいきなり膝まずいてジュリアの手を取った。



「……ジュリア・メイロード、あなたは私の〈運命の相手〉だ。私と結婚してほしい」



 人生で何十回目かのプロポーズ。

 今までと違ったのは、相手が王太子殿下であること。

 そして、その相手の瞳にも声音にも恋愛感情がみられなかったこと。

 さらに、ジュリアが言葉を発することもできないほどに驚いたのは、目の前にいたのが昨日助けてくれた黒茶色の髪の騎士だったからだ。


(あの方が、ライディス殿下だったの……)


 王子として来たからか、彼は今日騎士服ではなく白地に金の刺繍が入った、いかにも王子様という装いだった。

 その黒茶色の髪も、藍色の瞳も、昨日会った時と変わらないのに、雰囲気が完全に違っていた。

 きらびやかな舞踏会にふらりと参加しても、きっと彼が主役になってしまうだろう。そう確信できるほど、ライディスは王族としての威厳を持ち、精悍で力強い中にも美しさを兼ね備えていた。

 騎士服の時は厳しい表情だったが、今は少し柔らかな表情をジュリアに向けている。

 そこに、ジュリアに恋い焦がれて求婚した、という感情はまったくなかった。

 なかなか返事をしないジュリアに、ライディスはさらに言葉を続けようと口を開き、声を出す前にその口を閉じた。

 何を言おうとしたのか、疑問に思ったジュリアの前で、ライディスは急に立ち上がった。

 そして、背の高い彼はジュリアのために少しかがみ、耳元で驚くべきことを囁いた。


「あなたの背負う運命は理解している。俺も、運命神に振り回されている。修道女になるのもいいが、俺のことを救うと思って王宮に来てくれないか? 俺はあなたの虜にはなっていない。あなたのために、男子禁制の宮をつくろう。俺も、近づかない。俺と形だけの夫婦になってもらえないか?」


 その言葉に、ジュリアは目を見開いた。

 色々と、爆弾発言があった気がする。


(私の虜になっていない上に、ライディス殿下も運命神に振り回されている?)


 ライディスの言葉をどれだけ信用していいのか分からないが、王太子殿下に求婚されて断ることなど男爵家のジュリアにはできない。

 ならば、ライディスの条件は今までに求婚してきた者たちの誰よりもジュリアにとって喜ばしいものだろう。

 相手は自分の虜ではないし、近づかないと言っている。

 形だけの夫婦でいい、と。

 それに、男子禁制の宮をつくってくれるとまで。

 王太子殿下であるライディスがそれだけの好条件を出してくるのは、彼もまた必死だからだろう。

 運命神ディラに振り回されている仲間だと思えば、ジュリアの頬は少し緩んでいた。


「私のような娘でよろしければ、どうぞよろしくお願いいたします」


 そうしてジュリアは、ケースティン王国第一王子ライディスの求婚を受け入れた。

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