6話 暁烏の館
港と娼館は切っても切れない。
バシリオ=ルカスは、港を背に周囲を見回した。人の流れと街の造りで、おおよその見当はつく。彼は空のジョッキをつかむと店の中へ戻り、薄暗い隅の席へ腰を下ろした。
しどけない姿の女給が、すかさず寄ってくる。小銭を握らせ、食事を見繕うよう頼んだ。
さらに二杯の発泡酒を空にする頃、黒パンと太い血のソーセージ、イモのフライが山盛りで届いた。
「うまそうだ」
さらにチップを弾むと、紅を塗った口角を上げてしなを作る。
「お兄さん、他にも用があるんじゃない?」
意味あり気な目は、二階を指していた。階段を手を引かれて上がっていく男たちがいる。
「すまんな。俺はここへ行く約束がある」
殴り書きの書付けを見せると、
「こりゃ、便利だな」
バシリオ=ルカスは、血のソーセージと底にたまった脂を黒パンですくいながら、むさぼるように食らいついた。スパイスの効き具合が絶品だった。どちらかというと北部の煮込料理を好むバシリオだが、この店のソーセージは捨てがたい。
追加で頼んだ糖蜜のパイを二口で片付け、最後の一杯を飲み干す。食べかすを払って店を後にした。
「また、来る」
酒樽のような店主は太い眉を上げた。
「さてと」
店から出た途端、注がれる視線を意識しながら大きく伸びをした。ルミドラという女は、よほど手下が多いらしい。
「昼間から娼館へ上がるなど、リコベルトが聞いたらなんというかな」
旅の連れ合いのからかいよりも、あの女占い師への興味が上回った。
「地団駄を踏んで悔しがらせよう」
軽くなった大剣の帯を留め直すと、のんびりと歩きだした。
街の豊かさは、娼館を見ればわかる。
バシリオ=ルカスは、同じ道を戻りながら首をかしげた。「暁烏の館」という看板が見つからないのだ。「女神の泉」だの「憩いの小部屋」だの、そのほかそれらしい看板はあったが、「
通行人に尋ねると、目の前の一見地味な屋敷を指差した。
「ここか? 看板がないぞ」
「あたりまえだよ、兄さん」
礼を言って、バシリオ=ルカスは、五階建のその屋敷を見上げた。塗壁の具合、漆喰細工の緻密さ、金属で補強した木彫りの両開きの扉の前には、用心棒らしき男たちが控えている。金のかかり具合は一目瞭然だった。
「高級娼館だな」
しかも、最上級の。
バシリオ=ルカスは臆した様子もなく、扉の前に立った。
「入れてくれ」
二人の用心棒はオマール出身のようだ。浅黒い肌に眼窩が深く、目や髪の色は濃い。その髪を長く伸ばし、一つに結んでいた。
「紹介状はお持ちでしょうか」
訛りのない、流暢な半島共通語だ
バシリオ=ルカスは旅装である。長旅らしく草臥れていた。一目で地元の人間ではないとわかるだろう。つまり、ここは初回の客は入れない
「いや、ない。ここへ来いと呼ばれた」
「来い」とは言われていないが、書付を残すのはそういう意味だろう。
「ルドミラという女だ。ルドミラはいるか」
用心棒は、双子のように同じ動作で見交わした。
「ここでお待ちください」
心なしか対応が丁寧になったようだった。
用心棒の一人は、すぐに戻ってきた。扉を開け中へ招く。二人はうやうやしく頭を下げた。
「女
「主人?」
「はい。ルドミラは、当館の主人でございます」
「ほお」
バシリオ=ルカスは驚きを隠すこともせずに、娼館へ足を踏み入れた。
──これは、なかなか。
なによりも涼しい。地中海の刺すような日差しが遮られ、全身がほっとするのがわかる。
「申し訳ありませんが、お待ちの武器一切をお預けください」
「わかった」
懐の隠しや、長靴の脇から武器を抜きながら、周囲を見回す。
広い玄関の一間は、娼館というよりも貴族の館のようである。きらびやかというよりは落ち着いた、ふるびた時の重さを感じるような内装と調度だ。とはいうものの、北方から七つの海都の趣向をふんだんに取り入れ、しかも絶妙のバランスで調和している。
見上げると、高いドーム状の天井には神話の場面が描かれているようだ。青い──海か空だろう。窓には薄いカーテンがかかり、気持ちよさそうな風に揺れている。足元は二色の石が幾何学模様を描いて続き、中央の大きな植木を囲むように、螺旋階段が左右二方向へ掛かっていた。どの程度奥があるのか、まるでわからない。
と、一方の階段を、あの女が踊るように降りてきた。
「お早いね」
にっと
「さ、上がっておいで。紹介したい人がいる」
(続く)
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