3話 訪れる者


 ジヤは立った。


 夜明けの沙漠サイードは美しい。群青の空がオクタイの瞳色に染まる。それが少しずつ薄くなって、東の地平から真っ赤な太陽がのぼってくるのだ。

 一日に二度灼ける空。

 ジヤは、その色がなによりも好きだった。


 バクウの鼻息が頬にかかる。おのれの二倍以上背丈のある動物の鼻づらを撫で、ジヤは明けていく東の空を見守った。


 風が吹いた。肌を刺す冷たさは、あと半タムほどで灼け付く熱風となろう。

 小高い砂丘の上だ。薄明の頃、崩れかかる斜面を登り始め、頂上に着いた時、ようやく地平が群青に染まった。


『夜明けだぞ、バクウ』

 動物は言葉を解したのか、鼻にかかった声を上げた。純白のひとこぶ駱駝は長い毛足を振っていななくと、舌先で主人の顔をぺろりと舐めた。


『ジヤ』

 背後から声をかけたのは、二十前後の若者だった。バクウと並んでも遜色ない逞しい若者だ。

『準備ができたぞ』

『ああ』


 ジヤは振り返った。年令も様々な三十人ほどの男たちがいた。それぞれに見事な駱駝を従え、ゆったりとした青い長衣をまとっている。

 日中の熱風と灼熱の太陽から身を守るそれは、頭から足元までを覆い、隙間からのぞく太い赤銅色の腕には、大小様々な玉石を埋め込んだ装身具が見えていた。


 ジヤは、唇を舌先で湿した。朝の大気を力いっぱい吸い込む。

『騎乗しろ!』


 男たちは、無言で駱駝の背に跨がった。口のはしから涎をたらして首を振る獣を静め、無言のまま腰の刀を抜き列ねた。

 段平だ。刃を引きつぶした両刃の剣を、闇残る天へ向かって一斉に突き上げた。


『いくぞ!』

 ジヤは、驚くほど軽い身のこなしで純白の駱駝に飛び乗った。同じく腰の剣を抜く。片刃の曲刀は、曙光を弾いて銀色に輝いた。


 ジヤはバクウの尻を打った。駱駝は砂の斜面を一気に駆け降り始める。その後に続く男たちは、青い套衣をなびかせて影のように続いた。


 ジヤは、笑った。

 視線の先には、黒い小さな影がいくつもうずくまっていた。大きな砂丘から少し離れ、風よけをしながら休んでいる隊商だ。消えかけたナゴル避けの焚火だろうか、薄明にうっすらと煙がたなびいていた。


 影は動かない。

 ジヤは笑う。


 そうして、奇声とともに寝静まった隊商めがけて襲いかかった。






──天空から失墜したら、きっとこんな感じだ。


 ジヤは一瞬、四肢をこわばらせ、下腹が縮むようなその時をやり過ごした。


 落ちた瞬間、これは夢だとわかっていた。


 二つの月が真上にある。

 エダル・ルシウの城壁によりかかり、遠くで旅芸人の一団が、焚き火の周囲で踊っていた。

 眠ってしまったらしい。

 エダル・ルシウの関門は、日没とともに閉ざされ、夜明けとともに開門する。

 その時まで、締め出された旅人らは集団をつくり、追い剥ぎや強盗を避けて一夜を過ごすのだ。


 さいわい地中海に面したこの地域は、温暖かつ雨が多いため、冬でも野宿が可能だ。朝露に濡れることを厭わなければ、高額な宿屋をとる必要もない。


 ジヤは大きな剣を抱いていた。

 一見、男にしか見えない。生成りの麻の上下に、深い青の長衣を羽織って、背を丸めてうずくまっている。

 焚き火を映す瞳は碧い。しかし、沼のような暗い、碧さだった。


──ジヤ。


(なんだ、オクタイ)


──それは命令か、ジヤ。


 ジヤは、上着の内側に縫い付けた小さな隠しに手をやった。ごつごつと金属の手触りに目を瞑る。赤い宝玉と金の細工をひとつずつ思い返す。


 懐かしい微睡みの中へ戻ろうと、青い上衣に全身をくるみ、横になった。


(わたしは、どうしてここにいるんだろう)


 答えはないと、わかっていた。

 




(続く)



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