パパ友なら本名で呼んで

 春風がカーテンを揺らし、菜の花の黄色が緑にえる。教室の窓からは、暖かな春の日差しが入り込んで、規則正しく並んだ机と椅子に、子供たちは座っていた。


 首都にできた小学校では、今日が初めての登校日で、五歳で小学校一年生となる我が子を、親たちは教室の後ろから眺めていた。


 鋭いアッシュグレーの眼光は、黒板という見慣れない深緑をじっと見ていたが、ふと横に顔を向けて、声をしゃがれさせた。


「てめぇとは腐れ縁ってか? ガキのクラスまで一緒になるなんてよ」


 何の因果いんがか、孔雀明王と不動明王は我が子を見守る父兄として肩を並べていた。というよりは、子供の数が少なかったため、クラスがひとつしかできなかった。


 不動明王は優男全開で、ニッコリ微笑む。


「君とは今日からはパパ友です」

「そういうガラじゃねんだよな」


 甲冑姿から一転して、ジーパンとショートブーツ、カモフラシャツというウェスタンスタイルの孔雀明王はあきれた顔をした。


 悪と対峙していた武装は嘘のように消え去って、チェック柄のズボンと春らしいピンクのシャツを着た不動明王は、自分の秘密をひとつ明かす。


「今までは他人行儀で、僕のことを不動明王と呼んでいましたが、今日からは本名の貴増参たかふみで呼んでいただきます」


 先生が黒板にチョークで白文字を書いているのを目で追っていたが、鋭いアッシュグレーの眼光は、カウンターパンチさながらに貴増参に切り込んだ。


「あぁ? てめぇも役職名だったってか?」


 とうとい存在の本名は呼べない。それは神様も一緒で、彼らは人間に本当の名前を告げてはいなかった。


「おや? 君もそうでしたか。二千年以上も一緒に過ごしていたのに、こんなことも僕らは知らなかった。ぜひとも、パパ友になった記念に君の本名を聞きたいです」

明引呼あきひこだ」

「それでは、明引呼、我が子ともども改めてよろしくお願いしますね♪」


 貴増参の語尾は春の装いで、スキップしたみたいに跳ねた。明引呼は口の端でニヤリとし、


「いいぜ。たかよ」


 そうして、二千年間、会話をしてきたふたりならではのやり取りがやって来る。


「僕の名前は貴増参です。省略しないでください」

「そこじゃねぇんだよ。突っ込むとこはよ。自分についてんだろ?」


 振り返って手を振ってくる我が子に、自分も振り返しながら、貴増参はしれっと言い訳をする。


「長年の習慣とは怖いもので、不動明王様と呼ばれていた時の名残なごりです」


 先生が説明しているのを遠くで聞きながら、結婚歴のない男ふたりの話題はそれた。


「それで、ママ見つかったのかよ?」


 貴増参のピンク色の瞳は陰りを見せたが、それほど落ち込んでいる様子でもなかった。


「それが、僕には運命の出会いさんはなかなか来てくださらないんです。君は?」

「あぁ? こういうのはフィーリングだろ?」


 明引呼はそう言って、渋く微笑んで見せた。貴増参が首を傾げると、くせ毛が春の空気に柔らかく舞う。


「そう言うということは、見つかったんですね?」


 二千年以上も恋愛したことのないどこか、異性に会ったこともない男ふたりは、子供そっちのけで話に花を咲かせる。


「ママになるかどうかはわからねぇけどよ、女は見つけたぜ」

「さすが手が早いです」


 時々、罠を仕掛けて笑いに持っていこうとする貴増参に、明引呼はきっちり突っ込んでやった。


「手は出してねぇんだよ。声かけただけだって」


 真面目にママを探している貴増参は、興味津々で身を乗り出す。


「どこで出会っちゃたんですか?」


 椅子を動かした音が教室に響き、男ふたりは場をわきまえて、声のトーンを落とした。


「陛下のとこに行ってんだろ?」

「えぇ、えぇ、僕たちは時々呼び出されますからね」


 陛下は城を構えていて、そこへ神々が呼び出されたり、報告などをする毎日が続いている。当然、会ったこともない人間はいるもので、明引呼は、


「そこに来てた女だよ。オレはよ、こび売ったり弱ぇ振りする女に興味ねぇんだ。その女は違ってよ。ガンと引かねぇとこなんか、モロ好みだ。話しかけたら、ふたつ返事でオッケーだったぜ」


 パパ友が幸せと聞いて、貴増参はまたにっこり微笑んだ。


「陛下がご結婚されたことが人々の模範となり、今や出会いと結婚ブームです。君もそれに乗っちゃったんですね?」


 言っても人とはついてこないもので、黙って背中を見せるのがいいと言うのが世の中の常。それに陛下ももれず、結婚しろと言う命令は出さなかったが、態度で示した結果だった。


 明引呼は彼なりの解釈をする。


「そういう運命の流れだったんだろ」


 永遠に続く時の流れの中で、たまたま今だったのだろう。邪神界があったとかそういうのではなく、女と明引呼の出会いは今この時がベストだったのだろう。


 兄貴と慕われる男の中の男を隣にして、貴増参は優男ぶりを発揮した。


「僕もそのセリフを言ってみたいです。こう、君のように鋭い眼光で、渋い声で――」


 できるだけ明引呼の真似をしようとしてみた。しかし全然似ていない、というか、貴増参に明引呼の真似は絶対に無理だった。明引呼は手の甲で、ピンクのシャツをトントンと軽く叩く。


「茶化してんじゃねぇよ」


 貴増参は乱れたくせ毛を、綺麗な手で少しだけすく。


「茶化してなどいません。僕は君の幸運にあやかりたいだけです。僕の出会いはどちらにあるのでしょう?」


 長い間見るだけしかできなかった人間界の、ある出来事を、明引呼のしゃがれた声は口にした。


でもしろや」


 手のひらに握った拳でポンと叩いて、貴増参はうんうんと首を縦に何度もふる。


「その手がありましたか。それでは、知り合いの方にあちこち頼んで、お見合いしちゃいましょう」


 ママ探しが続くふたりの前で、教壇に一人の教師が乗り、教室全体を見渡した。


「それでは、担任教師の紹介に入ります」


 青空の下には黄色をした菜の花、ピンクの桜は風に吹かれ、ふわふわと横へ飛んでゆく。そんな穏やかな一日だった。


    *


 奇跡来きるくは買い物カゴを下げて、スーパーの棚の間をさっきから行ったり来たりしていた。


「ん〜〜? カイエンヌペッパーがない。どこだろう?」


 あの辛いやつがないと、カレーがいまいちえない。そんなことを考えながら探していると、奇跡来はふと背を伸ばした。


「何だか後ろが気になるな」


 振り返ると、赤い頭をした小さな瓶が棚に並んでいた。


「あ、あった! やった!」


 パッと素早く寄って、買い物カゴへ軽く投げ入れる。


「よし、ゲット! あとは小麦粉。どこだろう?」


 そうして、またウロウロする。売り場の案内が頭上に出ていることも気づかず、自分の背の高さだけを見渡す。そうして、脳裏で電球がパッとついたようにひらめいた。


「あ、反対側の棚な気がする!」


 さささっと走っていって、どこかずれているクルミ色の瞳は喜びで見開かれた。


「やった! あった!」


 カゴに小麦粉を入れて、奇跡来は首を傾げる。


「あれ? 最近、こんなことが多い。偶然? こんなにすぐに見つかるなんて」


 スーパーに流れている音楽に、子供の声がふとにじんだ。


「偶然じゃないぞ」

「あ、コウ」


 買い物カゴの中にコンパクトに入っている赤と青の瞳を持つ子供を、奇跡来は見つけた。他の人からは不自然にならないように、会話は続いてゆく。


「お前に入ってる魂は、勘の鋭いやつだからだ」

「そういうことか! だから、気になったところが、自分の求めてる答えなんだね」


 奇跡来はレジの列へ並んで、コウはカゴからふわふわと飛び上がった。


「そうだ。食べ物の好みは変わってないか?」

「そうそう。ご飯は食べなくなって、フライドポテトとステーキとか、ハンバーガーとかをよく食べるね」


 元々それほど和食が好きだったわけではないが、最近の食事はどうも、今までと違っていた。銀の長い髪が、風もないのにサラサラと揺れる。


「そうだろう。それが、その魂の好きな食べ物だからな。前はアメリカ人だったからな」

「そういうことか。魂が変わると、こんなに違うんだね」


 精算が次となって、奇跡来はカゴを台の上に乗せた。


「今日もいい話持ってきたやったぞ」

「うん、ありがとう。どんな話?」


 バーコードを読む込む電子音を排除しながら、奇跡来はコウの話に耳を傾ける。


「孔雀明王っていただろ?」

「あぁ、守ってくれてた人だね」

「ちょっと違うけどな、まぁ、間接的にはそうだ」

「何かあったの?」

「孔雀大明王に名前を変更した」

「え? そんなに簡単に名前って変えられるんだ」


 財布を出そうとしていた手を止めた。他の人々をすり抜けて、コウは奇跡来のまわりをくるくると回る。


「変えられない理由はどこにもないだろう? 偽名使って、人間みたいに悪さするわけじゃないんだから、名前変えたっていいだろう」

「確かにそうだ」

「それに、名前が変わっても、心――魂は変わらない。だから、物質界よりも名前変更は簡単なんだ」


 自分の番が回ってきて、奇跡来はポイントカードを先に出して、精算を待つ。


「そうか。時代が新しくなったから、名前も大きくなったんだ。だから、孔雀明王さんになったんだね」

「それから、不動明王も変わったぞ」

「どんなふうに?」

「火炎不動明王になった」


 他の人にはわからないように、奇跡来は少しだけうなずいた。


「あぁ、バーニングしたんだ。新たな炎で、やる気がみなぎってるみたいな感じか」

「あとな、毘沙門天がいただろう?」

「うんうん、若くんと乙くんのお父さん」


 レジの画面を見ながら、財布から小銭を取り出す。コウは気にせず、どんどん話を続ける。


「あのゴツいイメージが人間についてるのが嫌だったらしくて、広域天こういきてんに変わった」

「あぁ、そうか。結構こだわりがあって、ちょっと怒りやすい人だったもんね。よっぽど困ったことがあったのかもね」

「それから、孔雀大明王は結婚したぞ」


 カゴをつかもうとしていた手を思わず止めて、奇跡来は誰もいないはずの――コウの赤と青の瞳を見つめた。


「そうなの! 早いね、出会って結婚までが」


 急いでいる都会人は抗議の眼差しを向けるが、霊感モードに入っている奇跡来には伝わらず、自分のペースでカゴをどけた。


 ビニール袋へ野菜を入れるのを見ながら、コウは不浄な地上とは何が違うのかはっきり伝えてやった。


「物質界みたいに厳しい修業じゃないだろう。それに、心の世界だ。見た目に惑わされることもない。だから、すぐに好きなやつ――運命の出会いは見るかるんだ」

「幸せいっぱいだ」


 理想郷だと、奇跡来は思った。みんながみんなを思いやっている。それができたら、自分が急いでいると言って怒る人もいないのだろう。


 ふたつの世界の狭間で、コウの神々の話は佳境を迎える。


「別れることもない。出会ったら永遠だ。そうだろう? 本当に相手のことを好きだったら、どんな変化を相手が遂げても、どうやって愛し続けるかを考えればいいだけだろう? それが本当の好きだ。相手が変わって、心が冷めるのは本当に好きって言わない。それはいっときの気の迷いだ。愚かな人間のすることだ」

「じゃあ、孔雀大明王さんは、永遠の愛を見つけたってことだね」


 幸せのお裾分けをもらった気がして、奇跡来は珍しく微笑んだ。コウも今日はいい日和みたいに話が次々と出てくる。


「そうだ。それから、こんな珍事が起きた」

「おかしなこと?」

「火炎不動明王が陛下のもとへある日やって来たんだ」

「うん」


 想像する。城の重厚な両開きの扉が開かれると、真紅の絨毯が真っ直ぐ伸びていて、その奥の立派な玉座に堂々たる態度で、銀のよろいを着てマントを羽織っている皇帝陛下を。


 そんな威厳ある謁見の間。それなのに、コウから告げられた内容は、そこに似つかわしくない、可愛らしい間違いだった。


「見合いをするのだが、初めてで心細いから、陛下に同行してほしいと頼んだ」


 カイエンヌペッパーの小さな瓶をカゴから出しそびれた。


「えぇっ!? お見合いって、陛下と行くものだった? あれ? おかしいなぁ。陛下は何ておっしゃったの?」


 コウは少しだけニヤリとする。


「いい大人なんだから、一人で行きなさい。だってさ」

「あはははは……! ごもっともでございます」


 ビニール袋を持とうとしていた手は空振りに終わって、奇跡来は唇に手を当てて、思わず霊視もれを起こした。他の客たちが見て見ぬ振りをする、一人で急に笑い出した彼女を。


「それで、火炎不動明王もそのお見合いで、いい相手を見つけたってさ」

「じゃあ、幸せは二倍だ」


 カラになったカゴを台の上から片付けて、ビーニール袋を片手に下げ、


「白くん甲くん、葛くん禄くんには、ママができたんだ。素敵だね」


 奇跡来は軽やかな足取りで、スーパーをあとにした。邪神界に襲われた時に、何も臆せず、小さな体で守ってくれたあの子供たちが、普通の生活を送れるようになったのだと思って。

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