いきなりのパパ

 邪神界の本拠地はとうとう跡形もなく、この広い宇宙から消え去った。優男が話をスルーするという前振りを、ガタイのいい男はカウンターパンチさながらに、こっちも無視して、へたり込んでいた地面から立ち上がった。


「オレもよ、家に帰ってねぇから――」


 人間の想像をはるかに超えたブラック企業という名の世界統治から解放された神ふたりは、久しぶりの実家へ帰省しようとしたが、幼い声がいくつか引き止めた。


「僕たちはどうすればいいんですか?」

「あぁ?」

「えぇ」


 男ふたりが甲冑を歪ませながら振り向くと、五十センチの背丈しかない子供が四人、幼い丸い目をこっちへ向けていた。着物と草履。わらべという言葉がよく似合う子供たち。


 藤色の剛毛はガシガシと、節々のはっきりした手で乱暴にかき上げられた。


「大人は手ぇ出しちゃいけねぇっつうから、苦肉の策でガキの化身作って、人間守らせたんだよ」


 一難去って、また一難。悪と戦っている間に、男たちの生活は激変してしまっていた。カーキ色のくせ毛を指先で軽くなで、優男は何も気にした様子もなく、


「人間のために何とかしたいという想いから、僕も作っちゃいました、護法童子ごほうどうじ。僕のはくずろくです。ちなみに、葛は口から火を吐いちゃいます。すごいでしょ?」


 ドラゴンみたいなちびっ子の前で、アッシュグレーの瞳を持つ男は、優男の腕を手の甲でトントンと叩きながら、その男の名を呼んだ。


不動明王ふどうみょうおうさんよ。話ずれてってんだよ。護法童子って、元に戻せんのか? 指先ちぎって出しちまったけど」


 魂の世界に生きる神なら、それくらいて、個別の存在を生み出すことはできた。羽のように柔らかで低めの男の声が、ガタイのいい男の名を口にする。


孔雀明王くじゃくみょうおうさん、そちらは僕に聞かれても困っちゃいます。僕も初めての経験ですからね。ですが、せっかく出てきていただいたんですから、一緒に暮らすっていうのはどうでしょ?」


 どこまでものんきに話を続けてゆく不動明王。森羅万象の強制変更の前に立ち尽くす孔雀明王。ふたりの男の前で、四人の子供たちは心配げな顔で話の行方を追う。


「オレ、結婚してねぇんだよな。しかもよ。化身は成長しねぇだろ? からよ、いつまでも五歳のガキがそばにいるっつう話になんだろ?」


 子供と違う化身をめぐって、未婚の男ふたりの話し合いは続く。


「育児放棄はいけません」

「話が微妙にずれてってんだよ。どうやって育てんだよ?」

「子供の教育は大切だと、人間界でも言ってました。それは専門のどなたかに聞くか――」


 のんびりしている不動明王の話の途中で、瞬発力のある孔雀明王は、着物姿の子供ふたりにかがみ込んだ。


「っつうかよ、はくこう、てめぇら、いつも森に勝手に行ってふたりで遊んでただろ? 放任主義ってことでいいだろ? そこで遊んでろよ。たまに顔見せに行ってやっからよ」


 野放しもいいところで、不動明王はきっちり物言いした。


「やはり育児放棄です」


 親指を立てて、頬の横で後ろに引く仕草を、孔雀明王はする。


「こいつら千年も生きってっから、見た目はガキでも、そこらへんの大人より知恵はあっから、生きてけんだろ」

「ですが、親の愛は知りません」


 あぁ言えばこう言うで、不動明王に返されてしまった孔雀明王は、藤色の剛毛をガシガシと乱暴にかいて、ため息をつく。


「はぁ〜、マジでどうすん――」

「みなさんにお知らせです!」


 大気の何もない惑星の地表で、大きな声が響き渡った。邪神界が崩壊した場面を眺めていた人々は、全員振り返った。


「えぇ?」


 そこには、名も知らない男が一人立っていた。そうして、こんなことを言う。


「先ほど、邪神界を倒した方が陛下となられ、この世界を治められることとなりました」


 兜を手のひらの上でもてあそぶように、ポンポンと投げてはつかんでを繰り返しながら、孔雀明王は声をしゃがれさせる。


「いいんじゃねぇか? 誰も倒せなかったの、一人で倒したんだからよ。前の戦いじゃ、軍の統制も取れてたしよ。味方は無傷で、敵は大打撃なんつう戦い方して、頭もいいからよ。それに、あんだけの力持ってるっつうことは、上の世界から降りてきたんだろ。ついてくやついんだろ、たくさんよ」


 新しい風が吹き始めた世界に、希望の光が差し込んでくる。今やって来た男はコホンと咳払いをひとつした。


「それでは、さっそく陛下からの通達です」


 邪神界を作れと言われて、統治者の言うがまま。暗雲立ち込める世界で、細々と暮らしてきた神々は、緊迫した空気に包まれた。


 アッシュグレーの鋭い眼光は、鋭利な刃物のようになって、


「あぁ? やっぱ統治が変わっと、いろいろ変わるってか?」

「僕たちは中間管理職ですから、従うしかありません」


 さっきまでのボケた感がなくなり、不動明王は神妙な面持ちになった。伝令の使者が沈黙を破る。


「化身である五歳の子供は、自身の子供として今後成長するように調整されました。ですから、そのまま一緒にお暮らしください」


 今まさに問題になっていた話で、孔雀明王は珍しく驚いた声を上げた。


「マジってか!?」


 森へと行けと言われた子供たちは、目を輝かせて、生みの親に近づく。


「パパ!」


 孔雀明王はあきれた顔で、また髪をガシガシとかく。


「パパって呼ぶなよ。結婚してねぇんだよ。子供生まれたこともねぇんだよ」


 あまりにも急な話についていけない彼を置いて、不動明王は化身の子供にかがみ込んで、にっこりと微笑んだ。


「それでは、葛、禄、パパと一緒にママを探しに行きましょうか?」

「は〜い!」


 元気にうなずくと、瞬間移動で子供もとろも、不動明王は消え去った。残された孔雀明王はぶつくさとぼやく。


「相変わらず、あの野郎、話納得すんのはやぇな。何でもかんでも前向きに解釈していきやがって。けどよ……」


 化身から急に子供になってしまった男の子のふたりに振り返ろうとすると、威勢のいい男の声が冷やかし混じりにかけられた。


「兄貴! パパっすか?」

「てめぇらまで、オレをパパって呼ぶなよ」


 特に何をしたわけでもないのに、ありがたいことに自分を慕ってくれた野郎ども。彼らが孔雀明王のまわりを取り囲む。


「かっこいいっす! 俺たちも、早くパパになるっす!」


 兄貴は渋く微笑んで、野郎どもを鼓舞した。


「そうか。いいんじゃねぇのか? いい女見つけてよ、家族仲良く平和に暮らすっつうのも。もう誰も邪魔しなくなったんだからよ」


 悪ときたら、人が幸せになるのを許せないものだから、結婚したと統治者に知られたら、引き裂かれるのが常だった。物質界で言えば、急な左遷させんだ。会うことも許されない、離れ離れの刑。


「おっす!」


 野郎どもはうなずいて、新しい生活へと旅立ってゆく。


「兄貴! じゃあ、俺たちも家に戻るっす!」

「時々遊びに行くっす!」

「何かあったら声かけてくれっす。兄貴とまた何か一緒にしたいっすから!」


 孔雀明王は情に熱く、野郎どもの背中に向かって、大きく手を振る。


「おう、すまねぇな。じゃあ、元気で暮らせよ」


 そうして、惑星の地表には誰もいなくなった。たった今父親になった結婚歴のない男と、五歳の子供がふたりだけ。


 孔雀明王はしゃがみ込んで、子供に目線を合わせる。


「ガキども、オレと家族すっか?」

「するする〜!」


 大喜びで子供が答えると、親子三人も惑星からいなくなった。神界にも霊界にも悪はいなくなった。ただ、地球にその記憶だけを残して。


    *


 撮り溜めていた映画を見ていた女に、コウがふと話しかけた。


「お前の魂の名前って何だ?」

「え……? 肉体と一緒だよね?」


 字幕を読みながら、女は聞き返す。そうして、コウからこんな不思議な話が出てきた。


「それは、生まれた時から死ぬまで、魂が入れ替わらなかった時だろう」

「魂が入れ替わる?」


 聞いたこともない話に驚いて、女はリモコンの一時停止ボタンを押した。コウはふわふわと宙を浮きながら、彼女の頭のまわりをくるくると回る。


「よく聞くだろう? 人が違ったみたいになったって」


 女は少し考えたが、記憶の片隅から合致するものを引き出してきた。


「あぁ、そういうの聞くね」

「あれって、魂が入れ替わってるんだ。だから、本当に人が違ってる」

「なるほどね。で、それが私とどう関係するの?」


 女はウンウンとうなずいて、リモコンのボタンに手をかけた。人ごとだと思っていたことが、コウによって当事者となる。


「お前の肉体に昨日まで入ってたやつは抜けて、別のやつが入った。だから、魂の名前は違うだろう?」

「あぁ、そういうことか」

「ちなみに前のやつは、広菜ひろなって言うんだ」

「それで今は?」

奇跡来きるく

「奇跡来さんね、わかった。覚えておこう」


 神様のすることだ、人間が想像もつかないことだって平然とやってのける。子供たちから聞く話は、今までだってそうだった。だから、昨日と魂が違うと言われても、奇跡来にとっては自然と通り過ぎてゆけることだった。


 コウの赤と青の瞳がどこかずれているクルミ色のそれをのぞき込む。


「で? 何か変わったことないか?」

「え……? どういうこと?」


 少し再生された映画だったが、すぐさま一時停止に戻った。


「さっき言っただろう? 魂が入れ替わると、人が変わるって。だから、自覚症状がないかって聞いてるんだ」


 言われるまで気づかなかった。と言っても、こんな経験は初めてで、どこかどう変わっていると言われても、魂が鏡に映るわけでもなく、確かめようがない。


「ん〜? 特にないかな?」


 コウは腕組みをして、何度もうなずく。


「そうか。じゃあ、お前にその魂はあってるんだな」


 子供ではないと言う大人の神様は、また不思議なことを言った。奇跡来のまぶたはパチパチと瞬きする。


「どういうこと?」

「肉体にも個性っていうのはあるんだ。だから、それにあった魂じゃないと、お互いの個性を生かせないだろう?」

「そんなのあるんだ」


 コウの銀の長い髪が、室内なのに風もないなのに、さらさらと横に揺れる。


「誰でもいいってわけじゃない。今まで悪があったからさ、ほとんどの人間は魂と肉体があってなくて、入れ替えたんだ。それにもれずに、お前も入れ替わったってこと」

「そうか。神様には感謝だね」


 今日から奇跡来になった女は、珍しく微笑んだ。コウは組んでいた腕で解いて、少しあきれた顔をする。


「お前って本当に素直だよな」

「どういう意味?」


 奇跡来はまだ気づいていなかった。このあとおかしな体験をすることになると。


「ま、それはいいとして。今日はひとつ面白い話を持ってきたんだ」


 コウはテレビの上に瞬間移動して座り、さくっと話題転換。


「お前のそばで守ってた子供が八人いただろ?」

「うん、よく話したね」


 小さな神様の足がテレビ画面に垂れ下がっても、奇跡来の現実の視界は良好で、映画を再生すると、字幕が動き出した。霊感を使った会話はまだまだ続く。


「よし、そいつらの名前を言ってみろ」

わかおつはくこうくずろく小僧こぞう衣菜きぬな。全てにがつく」


 ソラで言えてしまうほど、覚えている。毎日そばに来て話していた、聖なる存在だったのだから。


 コウの短く小さい足はテレビの上で組まれる。


「そのうち、本当の子供は誰だ?」

「小僧くんと衣菜くん」

「じゃあ、残りの護法童子は誰のだ? 正確に答えろ」

「若くんと乙くんが毘沙門天びしゃもんてんさん。はっくんと甲くんが孔雀明王さん。葛くんとろっくんが不動明王さん」


 ピンポーンピンポーンとクイズ番組の正解みたいな音が響くと、いつの間にか用意してあった薬玉くすだまがぱかっと割れ、鳩が飛び出て、紙吹雪が舞った。


「正解だ! 今の六人が、それぞれの子供になった」

「あぁ、そうなんだ。よかった」


 奇跡来は心の底からホッとした。あまりの安堵で、ビデオを思わず止める。


「どうしてそう思うんだ?」


 聞き返すコウの赤と青のクリッとした瞳は真剣そのものだった。奇跡来の表情は曇がちになり、視線はテーブルの上に落ちた。


「前にさ、乙くんに将来は何をするのかって聞いたんだよね。だけど、僕は大人にならないから、やりたいことはないって答えてた。やけに切なくなってさ。同じ心を持った子供なのに、小僧くんと衣菜くんは大きくなってゆくのに、他の子たちは小さいまま。大人になっても友達でいるんだろうけど、何だかおかしいと思った。だから、みんなも大きく成長できるようになってよかった思う」

「そうだ。女王陛下もそう考えて、実の子供に変えたんだぞ」


 奇跡来が視線を上げると、コウが偉そうに腕を組んでふんぞり返っていた。


「優しい方なんだね――っていうか、陛下はご結婚されてたんだ」


 一人きりで悪を倒したと言う話は聞かされたものの、妻がいたとは初耳であった。コウは憤慨する。


「当たり前だ! 男女で治めるから世の中はうまく回るんだろう。どっちか一人でだなんてもう時代遅れだ。協力することで、一は十にでも百にもでもなるんだからな。愛は素晴らしいってことだ」

「やっぱり神様の世界は素敵だ」


 真昼の白い月が浮かぶ青空の向こうに、奇跡来は神経を研ぎ澄ました。


「それから、教育熱心な女王陛下が校長先生になって、子供たちに学校を作ったぞ。姫ノかんって言うんだ」

「本当に平和になったんだね、神様の世界も。子供が働かなくてもよくなったんだ」


 自分を守ってくれた子供たちはもうここには、今までのように来ないが、それが自然なことなのだと、みんなが幸せになるためには当たり前のことだと、奇跡来は思った。


 コウは横向きの8の字を描くように、ふわふわ途中を飛び出す。


「登下校は龍の神様が子供たちを背中に乗せて、送り迎えするんだぞ」


 その光景は圧巻だと思った、奇跡来は。あの数百メートルもある龍神が空を駆ける。小さな子供たちを乗せて、平和のために幸せのために。


「スクールバスならぬ、スクールドラゴン。ファンタージ世界みたいだね、本当に」


 環状線沿いの歩道を見下ろすと、小学生が下校する姿が視界に入った。しかし、ここは地上で、神様の世界とは違っていることを、奇跡来は危惧した。


「あれ? 神様の蛇にも子供はいたよね? 話もしたし、笑ったりもしてたし」


 地をはうのではなく、空中を横滑りして飛んでくる、神聖な存在――蛇神。


「差別をしないのが神界だろう? 一緒に学校に通う。他の種族もな」


 姿形は違っても動物とは、神様たちは呼ばない。動くではない、彼らは。人と同じようにとうとき存在だ。だから、他の種別と言う。


 奇跡来はアニメなどの世界がそのまま広がっているのだと想像して、三十歳を迎えたというのに心踊った。


「じゃあ、猫とかは二足歩行なの?」

「そうだ。早く走る時は四足走行」


 サバンナを走り抜けてゆくチーターの美しくしなやかな姿が脳裏をよぎる。それが、学校の校庭を猛スピードで駆けてゆく。


「運動会とかやったら、人の子は勝つの難しいね。飛ぶ鳥にも勝てない」

「人間はデフォルトでは何も特殊能力を持っていないからな。一番努力しなければいけない存在だ」


 そう考えないから、人はおごり高ぶるのかもしれない。それを目の当たりにできる神様の世界はやはり素敵だ。奇跡来は大いに納得して、何度も首を縦に振った。


「いいね。いろいろな姿形の人が一緒に暮らしていけるなんて、神様の世界は夢みたいだ。ううん、夢みたいな現実だ」

「それから、イルカとかの海の生き物は、空中を泳ぐ。手足がないやつらは、念力でフォークや箸を動かす。言葉も話して、家族もいるぞ」


 地球とはまったく違うのだと、どうやっても思い知らされて、奇跡来は少しずつ笑顔になってゆく。


「他の種族の人たちは、どんな価値観を持ってるんだろう?」

「それは人間の俺には説明するのは難しいからな。大人の神様が見えるようになったら、聞いてみろ。教えてくれるかもしれないぞ」

「そうだね。いつか聞いてみよう。よし見えるように、頑張るぞー!」


 奇跡来は両手を勢いよく頭の上にかかげて、気合いを必要以上に入れた。その姿を見て、コウはニヤニヤしていた。

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