第19話 私が担当する櫻井理佐
「私、もう嘘をつき続けるのは嫌…」
理佐のこの一言が重く胸に突き刺さる。秘密にし続けるのも理佐の心もそろそろ限界なのかもしれない。でも、やっとの思いで世間からの注目を逸らしたと言うのにこのタイミングで交際を公表なんてすれば以前よりも理佐へのバッシングは酷いものになってしまう。
優しさの欠片も感じない言葉と言う名の刃物に彼女がどれだけ傷付けられるのか想像しただけで耐えられなくなる。守りたい、そう思ってこの関係は今までひた隠しにしてきたのに気付けば、隠していることで理佐に負担を掛けて理佐を苦しめている。どうして上手く守れないんだろう。ただ君と幸せになりたいだけなのに……
「どうすれば幸せになれるんだろう…」
「なお、私ね、なおと一緒に居られるなら今の仕事辞めてもいいって思ってるよ?」
「えっ、でも、女優は理佐がずっと夢みてた――」
「私の今の夢は、なおのお嫁さんになること。日本ではまだ難しいから式はスウェーデンに行って挙げたいな…」
なおのお嫁さんになること。その言葉は、私の中に漠然と存在していた憧れで、いつか叶えたいと夢見ていた未来を照らすものだった。それなのに照らされたと同時に許されないのかもしれないと怖くなった。それは理佐の家族やファン、事務所の人から向けられるものなのか、それとも自分の心の奥底にいる自分自身になのかは分からないけど、、許してもらえないと思った。
自分に自信が無いのかもしれない、理佐の恋人として堂々と歩める自信が無いのかもしれないと沈みかけていた時、私の腕の中で微かに震える彼女に気が付いた。自分の顔を隠すようにぎゅっときつく私に抱き着く姿にまた胸が痛くなる。知ってるよ、こんな事をするのは、泣くのを必死に我慢してそれを気付かれたくない時にするの癖だって。知ってるんだ……
「許してもらえるかな」
「えっ…」
「理佐と一緒になることを許してもらえるのかなって…」
「…誰に?」
「…分からない。けど、漠然と頭に浮かんじゃって」
「なお……」
「理佐は沢山の人に愛されて大事にされて……でも、私は…」
一瞬、理佐の体から力が抜けた気がしたかと思えば、今度は勢い良く顔を上げて涙を一杯に溜めた綺麗な瞳を向けられる。きっとすぐにその涙は溢れてしまうだろうからその前に優しく拭ってあげたいと思ったのに向けられた表情も声もあまりに切なくて動けなかった。
「なお……」
「私はマネージャーで裏方だから、理佐みたいに沢山の人から愛されることも憧れの眼差しを向けられることもない。立場が違う、裏方の私が表舞台で輝く理佐となんて…釣り合わないし、誰も認めてくれないんじゃないかって怖い……」
「…そんな風に思ってたの?」
「……」
「なおはどうしてそんなに周りの目ばかり気にするの? 私たち二人のことなのに、どうして」
目線を少し下げたと同時に理佐の瞳からとめどなく流れる涙が彼女の悲しみも切なさも痛みも全て映し出しているみたいでそんな綺麗な瞳で見つめないで欲しいと思った。
私の瞳にはない輝きを持つ理佐の瞳を私が濁してしまっているようで苦しかった。
「もう子供じゃないんだから自分たちの都合だけで好き勝手できないよ……」
「どうして! どうして好きな人に好きって言うことすら制限されなきゃいけないの? 嫌、そんなのもう嫌……」
「……」
「私はこの世界に入る前からなおのことが好きだった。なおもそうでしょ?」
「……うん」
「それならその頃は? その頃も立場とかそんなくだらないこと気にしてた?」
「いや、そんなの考えてなかった」
「じゃ――」
「でも! 今はあの頃とは背負っているものが違い過ぎるよ…」
「……どうして分かってくれないの」
「どうしてって……」
「なおには女優とかモデルとかそんな私は見て欲しくない……、私は私なのにみんな私じゃない私しか見てない。なおだけはちゃんと私を見て欲しいの……」
「理佐……」
「もし私が普通の会社に就職して、普通に働いていたらこんなことにはなってなかったのかな」
「それは…」
「もう、辞める。純白の櫻井なんてもう辞める……」
「だめだよ! そんなことは絶対にだめ! さっきも言ったけど、理佐は沢山の人に愛されて必要とされているんだよ? 櫻井理佐って言う存在は特別なんだ……」
「私は一度もそんな風に思ったことない。マネージャーや事務所のスタッフさんたちが支えてくれるから、営業とかお仕事を取ってきてくれるから私は頑張れるの! だから輝けるの! 私は一人じゃなにもできないってちゃんと分かってる!」
「それは違うよ、例え同じ仕事だったとしても理佐にしかできない表現が沢山ある。才能は誰しもが持っている訳じゃないんだ。特別なんだよ…理佐は…」
「こんな風になるなら特別なんて言われても全然嬉しくない…」
その言葉と共に彼女の温度が一度下がったような気がした。
さっきまで私は彼女の瞳にしっかりと映し出されていたのに、まるで彼女の瞳が光りを失ったかのようにもうそこに私は映し出されていなかった。彼女の中の私が消えてしまったように思えて、それは彼女の想いそのものを表してしるんじゃないかと不安になる。どうしていつもいつもうまくいかないんだろう…。
「理佐、あの――」
「やっぱり帰すべきじゃなかった」
左側から聞こえたその声は、いつもいつも私に敗北感を与えるもので、どうしてそうやってタイミング良く現れるんだと生気を失うには十分だった。そしてその感覚に慣れたくないのに慣れていく自分自身にどこか諦めを覚え、だから私じゃだめなのかもしれないとそこでやっと漠然としていた理由が分かった気がした。振り向きたくないと思いつつ、既に私ではなくその人を見つめる理佐の視線を追うように私も視線を左側に向ければ、彼女は温度の無い目でこちらを睨み立っていた。
「……美由紀」
「森橋さん…」
「こんなことになるなら此処に帰すべきじゃなかった。無理にでも引き留めれば良かった…。ごめん、理佐」
「帰すべきじゃなかったってどうして森橋さんがそんなこと――」
「分からないんですか?」
「えっ……」
「今の理佐を、彼女を見ても貴女が如何に櫻井理佐を壊しているか分からないんですか? 私が担当する櫻井理佐を」
「……」
「貴女のせいで精神的安定を失い、仕事にも身が入らない。それが弊社にどれだけの損害リスクを負わせているか分からないんですか?」
「……本当なの? 理佐」
「……そんなことない」
「悪いけど、お互いをかばい合う様な美談はどうでもいいの。実際、大事なコスメ広告の撮影日にメイクのりが不調で周りのスタッフに迷惑を掛けたり、ドラマの撮影時に演技が薄っぺらく感じたり、ミス連発したり……迷惑してるんだから」
「…ごめん、美由紀。でも、それはなおのせいじゃなくて私がちゃんとできてないからで――」
「そのちゃんとできない理由がこの人にあるって言ってるの! 根本にある原因を解決しないと意味ないんだって!」
「美由紀……」
「これ以上理佐のイメージを傷つける訳にはいかないの。今まで必死に頑張ってきたのにこのままじゃ全部水の泡になるんだよ? やっとここまで理佐と二人できたのに……、こんなことで邪魔されたくない。それに、佐野さんだって自分の担当にもっと目を向けるべきじゃないんですか? 貴女は今、由香が何を思って何を目指しているかちゃんと分かってるんですか?」
「夏目さんなら現状の目標は媒体を広告優先にコスメ関連の広告獲得を――」
「そうじゃない!……私が言いたいのはそんなことじゃない、貴女は由香のことも何一つ分かってない」
何一つ分かってない、その言葉はとても冷たく鋭く私の頭の中を木霊し続けた。どうして、事務所の方針も夏目さんの意向もすり合わせて決めた目標なのに何が違うと言うんだろう…。森橋さんは何を知っているんだ……
「理佐、行こう。これ以上此処に居る必要はないよ」
「美由紀、待って」
こちらを気にしながらも理佐は森橋さんに掴まれた腕を振りほどく事なくマンションを出て行った。その腕を振りほどかなかったのは、理佐も私に対してあの人と同じように思っているからなのだろうか……
「佐野さん?」
そして、貴女はどうして今まで一度も来たことのないこの場所に、このタイミングで現れるのだろうか。まるで全部仕組まれているみたいで悔しかった。
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