第18話 積もった思い
「やっぱり櫻井さんは、純白だったんですね。良かったー」
この言葉の意味をすぐには理解できなかった。
レギュラーを務める雑誌の表紙撮影現場でお会いしたスタッフさんから投げかけられたその言葉は、どんな経緯で放たれたのか分からない。だから私は曖昧な笑顔を作り、それを答えとしてその場を離れた。
さっきのはどういう意味だったんだろう。世間からは、偽物の純白と嫌になるほど叩かれているのに。
「理佐」
「……美由紀、どうしたの?」
「これ、今日発売の週刊誌なんだけど……」
そう言って一冊の雑誌を手渡され、その雑誌には付箋が一枚付いていてきっとこのページに何かあるんだと分かった。
「この付箋」
「そのページ見てみて」
「…うん」
付箋部分に触れてそのページを開き目を疑った。
「…えっ」
開いたそのページの内容に頭が追い付かない。
「このインタビューいつ受けたの? 私この件に関して何も知らないんだけど」
なおとの交際否定の記事。その中には私がインタビューを受けて答えたような書き方もされている。でも、私はこんなインタビュー受けていないし答えてもいない。なおとのことは一切口にしないで沈黙を守ってきたのに……。
誰がこの記事を書いたんだろうとページの端に目をやれば見覚えのある名前が書かれていた。この人って確かなおの知り合いの記者の人。もしかしてこれは、なおが用意した記事?
それなら私は――
「ごめん、美由紀。実はこの間マンションに着替えを取りに行った時にエントランスの前で記者の人が待ち伏せしてて、疲れてたし早く部屋に入りたかったからここに書いてあるようなこと答えたかも……」
「はぁ…本当なのそれ?」
「うん…」
「その記者に会ったのっていつ?」
「分かんない、最近忙しくていつだったかよく覚えてない」
「……そう」
「ねぇ、この記事に対して何か事務所から意見出すの?」
「…いいえ、今のところ出す予定はないよ。この記事のおかげで理佐のバッシングは減るどころか、恋人がいないと明言したようなものだからファンや関係者からの好感度は以前よりも良くなったと思うし」
「そっか……ねぇ、もうこの件が落ち着いてきたなら家に戻っても良いでしょ?」
「それはまだ駄目」
「どうして? 私の家はあそこなのに……もうホテル生活を続ける理由は無いでしょ?」
「それで良いの? 理佐は嘘を付いたままで良いの?」
「……それは」
「ずるいよ……そんなのずるい」
「そんなの私だって!……わたし…だって…」
チクッと小さな痛みが胸に走って、まるでそれが合図のように涙がこみ上げてくる。付き合っていないなんて本当は嘘でも言いたくないのに、もう二度となおとの関係を否定したくなかったのに…。ねぇ、なお、どうして否定しちゃったの? 私はまたなおと引き裂かれるくらいなら全部話してしまいたい。例えこの業界で仕事を続けられなくなってもなおが傍に居てくれるなら私の居場所はここじゃなくても良い。二人でゆっくり田舎暮らしとかもいいかななんて思った事もあるんだよ……。もう、これ以上何かに縛られたり、愛を叫べないのなら全部捨てて二人になりたい。
「……全然上手くいかない」
「理佐?」
「もう疲れちゃった…」
「疲れたって、最近はスケジュールにも余裕あると思うけど?」
「ううん、もう疲れた…もう終わらせたい」
「終わらせたいって…そんな…」
「……」
「…分かった。もう家に戻って良いから」
「…うん」
「今日はもうこれで終わりだし帰るでしょ? 車まわしてくるから待ってて」
「いい。タクシーで帰る」
「どうして? いつも帰りは乗っていくのに」
「一人で帰りたい…」
「…そう。分かった。気を付けてね」
「うん…」
ねぇ、理佐。私がマンションまで行ったら何か都合でも悪いの? あの人が部屋で待ってるの?またあの場所で密かに二人で会って嘘を重ね続けるの? ねぇ、理佐――
やっと家に帰っても良いと美由紀からの許可が出た。もうこのままじゃ壊れちゃう。仕事の時は、頭の中を切り替えて頑張ってきたけど、もう感情が可笑しくなりそう。どうして皆そんなに勝手な事ばかり言うの? 私の気持ちなんてどうでもいいの? これ以上、美由紀と話していたらきっと色んな感情が爆発して自分を止められなくなると思った。
美由紀にはもうなおとのことを話したようなものだし、どんな反応をされるのか、どんな言葉を投げ掛けられるのか怖い。本当は、プライベートなことで美由紀と揉めるようなことは極力したくない。昔と違って今はマネージャーと女優と言う立場での関係は守っていかなきゃいけないし、公私のバランスを崩すなんてしたくない。
道で拾ったタクシーに乗り込みすぐさま目的地のマンションの住所と一緒に「急いでください」と言う一言を伝えた。ふとタクシーの窓に目を向ければ段々と見慣れた景色が流れてくる。帰るべき場所にやっと帰ることができる、それだけで安心する。帰ってきた、やっと帰ってきたよ。
タクシーを降りて足早にマンションに入り、目的の階について一瞬足を止める。向かいのインターホンを押すか迷ったけど、今は会わない方がいいと思ってしまった。伸ばしかけた手に寂しさを感じつつ鞄から私の鍵を取り出す。明日連絡して会う約束をしよう。遅い時間になったとしてもいいから明日必ずなおに会おう。そう決めて小さく頷きドアノブに手を乗せた時、後ろの扉が開く音がした。
「…理佐?」
「なお…」
「おかえり」
おかえり、と言って優しく微笑むなおの表情や声に安心して涙がこみあげてきた。ずっと会いたかった。会いたくて仕方なかったのにさっきまでの苛々や焦りで会うことを躊躇って明日でいいなんて思っていた私はなんて馬鹿なんだろう…。たった一言、なおの声を聞いただけで苦しくて辛くて寂しくて心が震えてしまう程に貴女を求めてしまうと言うのに…。
触れたくて、なおに触れたくて思いっきり抱き着いた。ぎゅっと二人の間にもう隙間を作りたくなくて強く抱き着いた。なおの体温と香る私の大好きな匂いに優しく包まれて安心する。
「理佐、会いたかった」
「私も会いたかった、ずっとずっと会いたかった」
なおも私の背中に腕を回してぎゅっと抱きしめてくれた。そこから伝わるあたたかさにまた涙が溢れてくる。話したいことも聞きたいことも沢山あるのに涙が邪魔をして何も言えない。だから、言葉を発するかわりに貴女の唇にそっと自分のそれを触れさせた。触れ合った唇から私の気持ちが全部伝わればいいのにと思いを込めて。
ねぇ、なお
これから私はどうすればいい?
私たちはどうすればいいの?
どうすれば私は、なおを独り占めできるの――
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