第7話 恋と憧れの隙間

「もしもし? 電話なんて珍しいね。どうしたの?」

「ちょっと相談したいことがあって……」

「相談? なに、なんかあった?」

「……あのさ、卒業のタイミングって、どうやって決めた?」

「えっ…」

「私もそろそろ将来って言うか、色々考えなきゃなって思って……」

「まだ早いんじゃない?」

「どうして?」

「なんとなくかな」

「……なにそれ、適当じゃん」

「ごめんって。まぁ、また今度ご飯でも行こう? その時にちゃんと話聞くから」

「分かった」

「うん。じゃ、空いてる日メールしとくから。またね」

「うん。ありがとう」

「じゃあね、飛鳥」


 じゃあね。そう聴こえてすぐに無機質な機械音が耳に響く。久しぶりの声は相変わらずで、でも不思議とどこか昔より冷たさを感じる。

「美由紀、なにかあったのかな……」

 携帯の画面に映し出された、森橋 美由紀の文字を見て虚しく一人でそう呟く。さっきは一本的に自分の話だけしちゃったから今度会った時は、美由紀の話も聞いてあげよう。


 卒業すれば、恋をしても許される。

 卒業すれば、私にもチャンスがあるかもしれない。


 二週間前、メンバー六人で新しい広告撮影をしていて、今回は他のメンバーに比べて私の台詞量が多くて正直、覚えるのが大変だった。雑誌の撮影や番組収録、振り入れとかいつも以上にスケジュールに余裕がなくて台詞をちゃんと覚える時間がなかった……。

 ここに来る車の中で台本を頭に叩き込んだけど、まだ完璧に覚えきれた訳じゃないから不安に似た焦りで心臓が嫌な感じがする。カンペをお願いすれば良いのかもしれないけど、台詞もちゃんと覚えてこない天狗。なんて知らない大人たちはすぐに私たちを批判したがる。それに、ちゃんと自分の役割を果たしている他のメンバーまで私のせいでそんな風に思われるのは、嫌だ。


 撮影は私の焦りなんて知らないと言うかのように順調に進み、予定時間よりも早く全体での撮影が終わってあとは私の台詞のシーンを撮れば終わり。

「セットチェンジに入るので三十分程休憩となります」

 スタジオに響くスタッフさんの声。その声を合図にメンバーは楽屋に戻ってメイク直しやケータリングを食べに行ったり各々自由に過ごしているけど、私はこの時間がラストチャンスだと思った。

「ちゃんと覚えなきゃ……」

 休憩のこの三十分で台詞を完璧に覚えなきゃ。楽屋にはメンバーやスタッフさん達が居る。煩くはないけど、集中できるどこかここじゃない静かな場所を探そう。

 スタジオの中にある階段下の狭いスペース。セットチェンジ中だから数人のスタッフさんはいるけど、それでも楽屋よりは良いかもしれない。階段下にちょこんと座って台本を何度も何度も読む。声に出さないように心の中で唱えて、そのあとに小さな声で読む。

 大丈夫、できる。ちゃんと、できる……大丈夫……


「大丈夫?」

「……えっ」

「こんなところで台本とにらめっこしてるなんて、ちょっと心配で」

「……大丈夫です。ちょっと集中したかっただけですから気にしないでください」

「いつも一人で頑張ってるの?」


 どきっとした。この人はどうしてそんなことを言うんだろう……

「撮影の時も人一倍台本を読み込んで凄く集中してたから、頑張ってるんだなーって。でも、その分、人一倍色んなものを背負い込んでるんだろうなって」

「……そんなこと」

 不意に感じる違和感。目線を上げて確かめてみれば、微笑みながらぽんっと頭に手を乗せられていた。メンバーにもこんなことをされるのは気恥ずかしくて苦手なのに……。

 でも今は、恥ずかしさや嫌な感じよりも切なさがこみ上げてきそうで、油断すると涙が出そうになる。知らない人の前で泣くなんて、絶対に嫌だ……。

「我慢し過ぎ」

「ッ……そんな、こと」

 悔しい。泣きたくないのに涙を止められなくて悔しい。

「君たちはグループでしょ? それに例えグループじゃなくても周りには沢山のスタッフがいるでしょ? 一人じゃないよ? 大丈夫だから、もっと周りを頼って我が儘言ってみなよ。ね?」


 この時のことが今でも忘れられないし、この時のあの人の優しい顔がもっと忘れられない。

 そのあとの撮影では、あんなに練習した台詞を噛んでしまったり、上手く言葉が出てこなくて何度か撮り直しをしてしまったけど、その度にメンバーもスタッフさんも笑ってくれたり励ましてくれたり、凄く良い雰囲気で終えることができた。

 私は、自分が失敗することを怖がって周りの大人を信用しなくなっていたのかもしれない。こんなにもあたたかくて良い撮影チームだったのに……。

 皆の優しさに気付けた時、不意に涙が零れた


「その人にお礼言いたいけど、名前もどこの人なのかも分からなくて……」

「それ、佐野なおだよ」

「え?」

 美由紀は目の前のお肉をトングで突いて焼き加減を確かめながらさらりと答えた

「だから、その人は佐野なお」

「なんで分かるの?」

「その広告確か由香も出てるでしょ?」

「うん、別撮りだったけど隣のスタジオで撮影してたみたい」

「当てはまるのは、由香のマネージャーの佐野さんだと思うよ? あの人ならそんなこと言いそうだから……。由香に聞いてみたら?」

「そっか、うん。連絡してみる」

「でも、飛鳥がそんなに人に興味を持つって珍し――」

 まさか、飛鳥も……

 飛鳥の反応を見ているとなんだか不自然だし、今までスタッフさんに対してこんな風にどこの誰かなんて気にしてる姿見たことがない。「もし、今度また会えたらお礼言う」なんて次の機会を作る気のないそんな人見知りの飛鳥があの人に会いたいと自ら動くなんて。

 どうして、どうして理佐も由香も飛鳥も、あの人のどこがいいの……

 デビュー前からずっと一緒に同じグループで苦楽を共にしてきた私の大切な仲間をあんな人に取られるなんて絶対に許さない。


でも、そっか、欲張っちゃダメなんだ……

もう一番大切なものだけを守れればそれでいい

理佐だけは、絶対に渡さない。


「佐野さんって凄く良い人だよ」

「美由紀、会ったことあるの?」

「ううん、でも佐野さんの噂はよく聞くよ。すっごく良い人で仕事もできるって」

「ふーん、そうなんだ」

「お似合いだと思うよ」

「……なにが」

「別に。まぁ、卒業後は恋愛解禁だしね」

「なに?」

「別に?」

「別にそんなんじゃないから。ちゃんとお礼が言いたいだけだから」

「そう」

「……」

「……心残りが無くて、絶対に譲れないものができた時、私は卒業を決心できた」

「美由紀?」

「飛鳥も人に取られなくないとか譲れないなら必死になって奪いに行かなきゃダメだよ」

「なに、それってどういう意味……」

「いつか分かるよ。ほらお肉焼けたよ」

 この時の美由紀の目はどこか寂しそうで、私じゃなくてまるで自分に言い聞かせているみたいで不思議な感じだった。この時、ちゃんと美由紀の気持ちを聞いていれば、美由紀の苦しみを少しでも軽くしてあげられたかもしれないのに……。

 ごめんね、美由紀。ごめんなさい。

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