第9話 新田 剛健の下宿先
詩乃は新田 剛健の部屋を見れないかと佐々倉に尋ねた。
「事件があってから少ししか日が経っていないし、もしかすると、田舎から親御さんが来て持って行ってしまったかもしれませんが、行ってみますか?」
と佐々倉と、詩乃と運び屋と三人で向かった。佐々倉が運び屋を気にするので、
「そこら辺の石か何かと思ってくださいな」と詩乃が言う。
新田 剛健と佐々倉が下宿していたのは、医術習得学校からわりと近くの、学生などが多く下宿している宿の一つだった。
宿のそれぞれに地名が掲げているのは、そこ出身者が下宿を開いていて、その土地土地の料理が出るのだろうと察しがついた。
新田と佐々倉が下宿していた宿屋も、
宿の女将に事情を話すと、今ちょうど両親が来て整理しているというので、佐々倉が話をつけ、詩乃が部屋に入った。
両親がいぶかしく詩乃を見る。
「あ、えっと、このかたはですね」
と佐々倉が言うのを、詩乃が制し、
「しーっ。良いですか? 大声で話しちゃいけません」
と言って辺りをきょろきょろし、階段まで行って下の様子を窺い、両親の前にズイっと進むと、
「お子息は殺されました。犯人につながるものを探しております。私は六薬堂という薬問屋の女将ですが、同心の岡っ引きまがいに調べ物を言い使っております」
と小声で言い、
「ぜひ協力をお願いします」
と今度ははっきりとした声で言った。
「……女、だが?」
ようやく父親が絞り出した言葉に、詩乃は再び小声を出し、
「女が岡っ引きだなんて誰が思うものですか? この辺りは有名武士のご子息やら、いろいろな家柄の方が多くいます。そこへ、町方なんて無粋なものが来てごらんなさいな、宿屋の信用はがた落ち。この家に居るご子息たちの出世さえ危ぶまれます。でも、女である私が来れば、生前親交のあった薬屋の女将が弔問に来たのだ。ぐらいにしか思いませんでしょう?」
詩乃の言葉がもっともらしく聞こえたのか、父親は荷造りをしている母親の手を止めさせ、
「剛健が、なぜ死んだのか解ればよいのだが」
と、廊下に出てくれた。
詩乃は深々と頭を下げ、学校用帳面をめくり、すぐに眉をひそめた。次の帳面も、その次も、全ての帳面をめくり終え、数冊だけ広げておいて、小物の詮索に取り掛かった。
医術道具を広げ、ますます眉をひそめていく。そして木箱の奥底にあった、手ぬぐいで包んでいるが、それから血がしみ出しているので、間違いなくこれは凶器の一つであろうと判る匕首を取り出し、詩乃は自らの懐から風呂敷を取り出すと広げ、
「ご了解を得ねばなりません。
……ですがね、その前に言っておいてもよろしゅうございますか?」
詩乃の声は震え、怒りをにじませているようだった。
両親はその様子に詩乃の前に座り、佐々倉も入り口に座った。運び屋は階段の中ほどに居て身動き一つしない。
「誰が、剛健さんを殺したにしろ、あたしは絶対にそいつを許さない。
これをごらんなさいな。町医者の所へ自習へ行った際の
時昼前。老婆。腰が曲がり、歩きにくそう。症状、胸がつかえる。診断、加齢に伴う呼吸器の衰退。治療、食事摂取の向上。
という町医者の診断に、「好きなものを聞き、それを聞いて、食べれるならばそれをたくさん食べれるようになればいいね。と
それに、妊婦が腹がせり出してきて苦しいと言ってきた際、医者はあと少しで楽になる。とだけしか言っていないようですが、あと少しで会えますね。早く会いたいですね。と声をかけると、(診察室に)入ってきたときより幾分か顔色がよくなった。と書いている。
さらに、これなんかね、子供が道端でこけたのを、母親が「痛いの痛いの飛んで行け」をしていたようで、何の根拠もないけれど、あれは万能薬だと書いている。
……あたしはね、悔しいですよ。こんないい先生になるであろう素質の子を殺したなんて。
今の医術は手を施したり、薬を与えたら終わりになってきている。でも、本当に患者が望むのは、こんな些細な言葉だと私は思っている。相手を想いやる言葉を使えば、ほんの一瞬だけでも症状は和らぐものです。
町医者たちの言っていることは正しいでしょう。年寄りだから、息苦しいのだし、妊婦だって一生妊婦なわけじゃない。だけど、子供が転んだ時のように、何の根拠も、痛みや、傷が治るわけではないけれど「痛いの痛いの飛んで行け」なんて言葉で随分と救われるもんじゃないですか。
それが解っていて、それをこれからも続けると……私は、絶対に犯人を許しません」
詩乃はそういって唇をかみしめてから、息を整え、
「ここに、明らかに他の町医者とは違う誰かに師事をし、その人との施術を詳細に書いているものがあります。この二冊と、それと、この、血が付いているような匕首、手術用の道具を一度預からせていただけませんか? 解決後にお返ししますので」
というと、両親は快諾してくれた。
「今は手ぬぐいの染めにはいい時期でしてね」
そういって両親は剛健の荷物を持ってとんぼかえりするのだといった。剛健の荷物を木箱に背負い、父親は懐から手ぬぐいを取り出し、
「そうだ、詩乃さん、これはうちで染めた手ぬぐいです。この色を出せるのはまだうちだけなので珍しいでしょう。どうぞ、お受け取りください」
「よろしいのですか?」
「息子をいい医者になったとほめてくださったのでね」
「ありがたく頂戴します」
老齢の両親はその荷物を大事そうに、大事そうに持って帰っていった。
振り返ると、運び屋と一緒に岡 征十郎はやってきた。
「ひと足遅かったか」
「ええ、帰りましたよ。ただ、剛健さんが誰に師事していたとか、全く知らないようでしたね」と佐々倉
「……そうか」
「これ、その誰かが解るかもしれない
……、あたしの見たてでは、剛健さんというのは本当にいい医者になったに違いないね。患者のことを親身になって考えられる人のようだね。外科に籍を置いていたようだけど、総合的に見ても、
「お前が褒めるか」
「あら、あたしだって、いいものは褒めるよ。……だからね、岡 征十郎。あたしは絶対に許さない」
詩乃の力強い怒気に、岡 征十郎は了解したと言わんばかりに力強く頷いた。
「ところで珍しい手ぬぐいを持っているな、黄色か?」
「剛健さんのご実家が染問屋なようでね、手ぬぐいを染めているって。今日だってすぐに帰ったのも、この手ぬぐいを染に帰ったんだよ。この黄色はまだ剛健さんの家しか作っていないって。
そりゃそうでしょうね、クチナシよりは濃い色が出せるものはウコンぐらいだが、ウコンは薬として重宝されていて、まだまだ出回ってないからね。この風合いはウコンだろうからね、この深い色味はね。それに絞り模様を入れているなんてなかなか粋だと思うね」
「お前によく似合っている」
岡 征十郎の言葉に、詩乃も、佐々倉も、運び屋も岡 征十郎を見上げた。
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