第8話 医術習得学校
細田先生と田内が面談室で待っている岡 征十郎のもとにすぐにやってきた。
面談室は東側にあるせいか、昼を過ぎてしまうとすでに薄暗くなっていた。
「新田君が亡くなったと聞きまして、もしかすると、岡様が来るかもしれないと思い、取り急ぎ新田君の周りを調べておきました。
たぶん、新田君に指示を出していた町医者のことや、変わった様子はないか。そのようなことを聞かれるのではないかと思いまして」
「助かります」
「いえいえ、実は年の瀬も近づいてきて、生徒には試験が予定されていましてね、それの邪魔になるのであらかじめ聞いておいたところです」
と細田先生は―なので、学生に話しを聞かないようにお願いします―と念を押すような形でメモを取っていた帳面を開いた。
「新田君が厄介になって居たのは、
ただ、その生徒の数名から、新田君はいつごろからか一人抜け出て別の先生を師事するようになっていたというものがありました。それが誰なのか不明ですが、一人、それに心当たりがあるものが居まして、相手の先生が誰かは不明だけども、以前土左衛門として挙がった、うちの生徒、鳥瀬 喜八郎たちと同じ先生ではないかと思う。というのです」
「同じだという証拠や何かあるんですか?」
「それがですね、その生徒に言わせれば、手伝いの賃金をくれる。場所、そして、その医者の名を他人に言わないという条件。それから、必ず夜、暗くなってから来るように言われる点。そして、同じ方向、この学校から見て北西、つまりそのまっすぐ先には、下流岡場所がある方角へと向かっていたというのです。
さすがに暗くなってからの診察は、明るい時でさえも見落としがあるのに、さらに患部の見落としがあるではないか? と聞いたところ、新田君が、
「女郎が仕事を始める前がいいのだよ」
っと言っていたというのです。
だが、それでは女郎は客は取れないじゃないかと言いますとね、
「休んだ理由が本当なのかどうか、店主から依頼があるのだとか、あと、昼間だと、他の医者が面倒を見て、患者が来ないのだと言っていたというのです。
その生徒は、もちろん、変わった理由だといったそうですが、新田君は、その先生と仕事をすることがとても楽しいのだと言っていたそうです。
それは、鳥瀬たちも同じだったらしく、初めのころでしょう、その頃は非常に楽しそうに、また、成績もいきなりよくなるのです」
「確か、最優秀成績者になったとか?」
「そうなのです。調べてみたら、鳥瀬たちもまた、誰だか解らない町医者に師事を始めたころ、同じく成績優秀者になって居ました。
ですが、それが、彼岸坂―急こう配な坂道―を下る様に成績が悪くなり、急に物思いに沈み、そして、「医術とは、いったい何のために行うのだろう?」と言い出したそうで」
「三人とも?」
細田先生が頷く。
「細田先生と聞き込みをした後で、どうしても、鳥瀬と同郷の高柳の行方が気になりましたので、あれからいろいろと聞いて回っていました。
ちなみに私は、
「先日、あまりにもよくならない女郎が居て困っているというのです。所用の容態はただの腹下しだというのですが、腹を抑えて唸ってばかりで店に出られないというのです。
そこで、その女郎を看ていた、
腹には二つの切り傷があり、一つはきれいな措置で、我々が習っているような手術跡だったそうです。ですが、もう一つはひどく粗末で、順庵先生はどこか悪い医者に腹を開かれたのではないかと思ったそうです。
そして、すぐ、手術ができる小早川先生のところに運んだのですが、その道中で死亡してしまったそうで、ですが、小早川先生が腹を開くと、腸に傷ができ、そこから出血していてそのせいで死んだのだと解ったそうです。
腸にできた傷は、……手術中なら、我々でも傷つけることはあります。ですが、すぐに塞ぎますし、すぐに傷口が閉じたりします。でも、その、女の、腹の中には、なかったそうです」
岡 征十郎が首を傾げる。
「子宮です。子供ができる場所です。しかも、むげに引きはがして取ったようです。あちこちに傷ができていたという話しです」
田内は呼吸を整え、憤りを抑えながら、
「ですから、私は順庵先生から聞いた、馬之上 秀穂と名乗る町医者についてみなに聞いてみたのですが、ほとんどのものが知らずと答え、中に、数名、下流岡場所で、たいそうな名前の医者だと思った。と聞いたことがあると言っていました。
ですが、どこの岡場所に住んでいるかまでは解らず、その姿も解りません」
「なるほど、そこはわれらで探すとしよう。
被害に遭った、新田 剛健について話が聞きたいのだが? 成績はどの程度のものでした?」
「群を抜いて優秀だというほどではありません。努力はしていましたし、そこそこの医者になったと思います」
「あまり、勉強ができるほうではないと?」
「新田はあまり成績に向上を求めていませんでした」
「新田君は
家の商いなどは至極まっとうで十分評判がよく、あの辺りは土地がまずくて年貢が支払えない小作人が多かったようですが、そこの女、年寄りを働かせてその辺り一帯で年貢を賄っているとか。ご両親ともかなり人格者だと、面談時に感じております。
両親の意見も同じですが、新田君は三男でありながら、すぐ上の姉とは10も違った末っ子ゆえ、皆の愛情を受け甘やかされ、非常に優しく穏やかな人です。これは、教えている教員すべての意見も一致しております。
そんな彼が医者になりたいといったのは、その10離れ、親代わりに面倒を見てくれていた姉が、今では大したことのない病で亡くなったのがきっかけだとかで、常々病のない世界を作りたいのです。と話しておりました。
勉強に向ける姿勢はまじめです。他者を蹴落とすことはせず、いろんな科のものと議論を交わしたがる方です。
そうそう、以前、今は別の下宿先を見つけてしまっていますが、以前同室だった、佐々倉 安之輔がよく知っているでしょう」
「佐々倉は、茅野原のほうにいい下宿先が決まったと、少し遠いが、飯も食えるのがありがたいと言っておりましたよ」
岡 征十郎は頷き、佐々倉に事に関してはあまり話を触れずにいた。
「それで、田内さん、あなたたち同士から見て、新田 剛健はどのようなものでしたか?」
「どのような? ですか?……、まぁ、なよなよした、弱弱しくて、それなのに外科などに居ますから、血を見て倒れるなよ。と馬鹿にしておりましたが、最初の、磔の死刑囚の体を解剖するときに、最後まで平然としていたのが新田でした。
独特の気持ち悪さで、みな口や、その場を離れますのに、大丈夫だったのかと聞きますと、
「大丈夫ではないよ。当分、もつ鍋は勘弁願いたいね。だけどね、我々は、我々しか与えられていない
だから、この前の授業で、先生が、酒の飲み過ぎによる肝硬変の説明をしてくれたじゃないか、石みたいになっていたと。だけど、それが我々の見知っている石のような姿形なのか見たことはない。正常なものがどんなものだから、それを異常というのか解らない。
だけど、あの死刑囚の肝臓はきれいだったね。柔らかそうだった。それが石のように固くなってしまっていたら、そりゃ、機能しないだろうと判るじゃないか。
だからね、僕は、そちらの方に興味が向いてしまって、気分の悪いのを通り越してしまったのだよ」
と涼しい顔で言うものですから、意外に、こういう優男のほうが度胸と言いますか、そういったものには強いのだろうなぁと感心したのです」
「私は難しいことは解らないにしても、言わんとしていることはよく解るし、そういう心持ちの医者にできれば看てもらいたいね。と思うよ」
岡 征十郎は軟らかく言うと、田内は少し困ったような顔をして、
「ええ、でも、新田はもういませんがね」と言った。
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