第7話 ひと月後
六薬堂に風邪ひきの流行がやってきて、寒太郎が大いに街を駆け巡り始めたころ。
町方の当番が北町からまた南町になって数日がたったある日、瓦版屋がひと月ぶりの土左衛門だ。と言いながら入ってきた。
「女郎と、医術習得学校の生徒だそうだ」
その言葉に綿入れに丸まっていた詩乃が顔を伸ばす。
「なんだい? もう身元が解ったのかい? それとも数日前のものかい?」
「昨日でさぁ。発見されたのは元川の合流付近で、芝松のところの女郎でしてね。小梅というんですが、下流に流されるようなものじゃないくらい別嬪なんだが、いかんせん頭が弱くてね。そのおかげで、この芝松で世話をしていたんだけども、ふらっと店を出てどこかへ行こうとしたりって、なかなかの有名人でね。
そこの店主が早々に身元確認をしに来て、ついでに相手の男は、医術習得学校の生徒で、
若い医術見習いだが、女郎たちの評判がよく、診察対応も優しいんで、人気者だと言ってましたよ」
「随分と詳細な話だね」
「まぁ、いろいろね」瓦版屋はニヤリと笑う。
「岡の旦那がこちらに来るでしょうから、また情報なんぞあったら教えてくださいな」
瓦版屋はそういって出て行った。いつお前に情報をくれてやった? と言いかけたところにお清さんと佐々倉 安之輔がやってきた。
ひと月ぶりだったが、その間、お清さんの下宿先で飯を食べれているのか、佐々倉の顔色はよかった。
だが、顔は引きつり、眉をひそめていて、心痛な面持ち。であることが分かった。
「お久しぶりでございますねぇ。お風邪ですか?」
番頭は見当違いな声を出しながら、小上がりに案内する。番頭の、その声につられて、佐々倉とお清は詩乃のほうを見た。
「今日は、お詩乃さんに折り入って頼みがありましてね。お薬の用事じゃないので心苦しいのですけど」
佐々倉があまりにも口を開かないので、見かねてお清が口を開いた。
「用事は、……佐々倉様のほうがあるんですね?」
佐々倉は重たそうに頭を下げ、そのまま俯いた。
「お清さんから聞いても構やしませんけどね、それほど、心に重くのしかかっているようなら、あなたから聞いたほうが早いでしょう。話せるほどになったら話してくださいな」
詩乃の言葉に佐々倉は俯いたまま頷いた。
お清は配達が済んだら戻ってくると言って、いったん店を出た。
佐々倉の沈黙は思った以上に長くは続かなかった。
「昨日、土左衛門が揚がりました」
「そのようですね」
詩乃はそういってさきほど瓦版屋が落としていった情報を思い出していた。
土左衛門の名前は―
「その土左衛門は、おかしいのです。
女郎のほうは知りませんが、男のほうは、私の親友と呼べる男で、
名前から印象を受けるような男ではなく、それこそ、芝居小屋の
一回り上にお姉さんが居たそうで、今ではなんてことない病で死んでしまってから、医者になろうと出てきたと言いました。
実家は、なかなかの名家で、剛健は三男なので医術の道に進み、全ての費用は親が出していたようです。
だからと言って、偉そうなそぶりも、嫌味なこともなく、本当にいいやつで……、私なんか、
「……それが、土左衛門になって居るとおかしい理由にはなりませんよ? 志あるものだから、無理心中を図らないとは言えませんからね、女にいわれりゃ、」
「それです。それなのです……はい」
詩乃の言葉にさっと顔を上げ、声を上ずらせて言ったかと思うと、佐々倉は口を閉じ、再び俯いた。
「おかしいと、お上に口添えをすればいいのですね?」
詩乃はそういってキセルを取り出す。
「そりゃ、あたしは役人ではないのだし、あなたがおかしいという理由を詳細に聞く必要はないですが、役人の前では言わなきゃいけませんよ」
「……本人の名誉が、」
「だから、あたしのところに来たんでしょ? 岡 征十郎なら、そういう
佐々倉は頷いて今度はしっかりと顔を上げた。
「お清さんに相談したら、お詩乃さんに頼めば、あの同心に話をつけてくれると思うって。あの同心は、今まであった中で一番物分かりがいいと。
……言い渋っているのは、剛健のことを悪く思って欲しくないからなんです。
あいつは、女には興味はありませんでした。ただし、私にもです。剛健いわく、私は、青臭いのだそうです」
そういって苦笑いを浮かべ、口をぎゅっと結んだ。
「剛健は、兄姉と年が離れていて、すぐ上の、そう、亡くなったお姉さんが親代わりだったそうで、ご両親もご高齢のようで、甘えられる大人な人が好きなのだと言っていました。
私は幸いにも、剛健の嗜好はさほど気にならず、剛健の心持ちが気に入り、相部屋で宿に居たのです。
知っての通り、私は宿代が払えず宿屋を追い出されました。でもその後も剛健は一人で住んでいました。私の宿代を出すともいってくれていたのですが、返済などを考えると、その申し出は断りました。あの時は断ったことを後悔しましたが、今はお清さんのところにいるので、よかったのだと思うのですが。
もし、あのまま私が同室に居たのなら、剛健の身に何かあったら気付けたのではないかと思うと、なぜ誘いを受けなかったのかとも後悔をするほどで。
去年の秋ぐらいだったかと思ます。久しぶりに学校で剛健に会いまして、というのも、外科は昼夜問わず手術や解剖などの話を聞きますと、すぐに出かけて行きますし、その頃には、町医者の所に住み込みで医術向上なるものにも参加を始めましたので、同じ部屋に居ても、一カ月ぶりにちゃんと顔を見たような感じでした。
剛健は血色よく、いい町医者に出会ったものだから、自分の勉強の役に立っているのだ。と、ちょうどそのころ成績優秀者として表彰されたことがありまして、その時に、今までお世話になって居た町医者から別の先生に師事替えをしたと聞きました。外科は大変だなとか、成績が上がるということはよほどの名医と知り合えたのだな。とそういう話を交わしました。
それから今年のはじめでしょうか、剛健から「自分の思いに押しつぶれてしまいそうだ」という相談を受けましたが、私は、自分の金策でいっぱいで、剛健の悩みなど大したものではないと思っていました。
剛健の「思い」は、いつまでたっても成し遂げれるものではないと、自分で言っていたのに、何をいまさら恋煩いなど。と煩くさえ思っていました。
ひどいものだと思いますが、なんせ私は、宿を出なくてはいけなくなったのはそのころで、やっとのことであの宿屋を見つけたはいいけれど、お清さんが買い取ってしまいましたし、見つからないようにしなくてはいけないという心労で、ろくに相談に乗ってやれなかったのです。
先月の終わりでしたか、剛健と庭を挟んで向かい廊下で会釈をかわすぐらいでしたが、剛健と会いました。その時の印象を思いかえすのですが、剛健は微笑んでいたとだけしか思い出せず。あの時の顔色はどうだったのだろう? 痩せていたかもしれない。だが、もともと細身だったし、疲れているようだった気もするが、外科を学ぶ連中は皆疲れたような顔をしているし。それらを見て、剛健もそうだと勝手に思っているだけだ。と、全く思い出せないのです。
その日、私が帰ろうと門を出たところで、剛健が待っていまして、団子でも食べないかと誘いますので、茶屋に行きました。
その時の話は、最初は私が今どこで、どうした経緯でお清さんのところで厄介になって居るかを話し、そのうちに、私の学んでいる内科のことに話が及び、最後には、剛健の外科に話が進む。でもこれはいつもの筋書きで、いたって普通の会話でした。
ただ、その時、妙に印象的だったのが、「知らないということを恥じて無駄な好奇心に煽られなければ……、世の中、知らなくていいことというのは、本当にあるのだな」と言ったのです」
「知らなくていいこと?」と番頭。
「ええ。私も聞き返しましたが、それを何かは言わずじまいで、別れ際に、安之輔は素敵な恋をするのだぞ。というもので、赤面してしまいました。
でも、今思えば、それは女郎に対しての思いだったのか? いや、剛健は女は嫌いだった。患者として触れることは構わないのだが、そうでなければ、母と同じ年の女とすれ違っただけでもあまりいい気分はしない。と言っていたのに。
だが、そもそもそれが嘘なのではないのか? それが証拠に私にはそんな気は無かった。好みではないから手を出さなかったのだろうが、そう言っているだけなんだろうか? いや、やはり、剛健は女は嫌いだった。
という結論に達すると、女郎と無理心中をするということは、やはり無理があるのです」
「なるほど。……それは、他の人も知っている話しで?」
「いいえ、剛健は私にだけは伝えてくれました。安之輔は私がそういう嗜好者であっても変な顔をしなかった唯一の人だ。と言っていましたから。家族も知らないでしょう」
「それではなおさら、その剛健さんがそういう嗜好だという証拠はない。けれど、あなたが思うように、女が好きだった。という証拠もない。
瓦版屋の話しでは、下流岡場所でも評判のお医者だったそうですよ。親切丁寧な往診はああいう場所の女郎にとってはありがたいことなんですよ。
客も、店主も、女郎を人だとは思っていなかったりしますからね。だから、身元がすぐに解ったようです。
では、剛健さんが女好きだとしましょう。親切丁寧な往診が、女郎の気を引くためだと考えられなくないが、ああいう場所では、金さえあれば女はいくらでも買える。つまり、剛健さんがあの場所で親切丁寧に診察する理由にはならない。
剛健さんは、あそこで、本当に女郎たちを救おうとしただけだった。だから、女郎たちも剛健さんを優しいお医者さま。と慕ったはずだ。
でもそれが、無理心中をしない理由にも、する理由にもならない。
……解剖情報が欲しいね。岡 征十郎」
詩乃の言葉に佐々倉が振り返れば、腕を組んで仁王立ちに岡 征十郎が立っていた。
「しばらく前からいましたよ。気付きませんでしたか?」
と番頭に言われ、佐々倉は頭を振った。
「小早川先生が、意見を聞いて来いって言ったんだろ?」
詩乃はそういって手をひらひらさせて紙を受け取ると、それを広げる。
「……女郎のほうは、下腹部切開痕。縫合あり。ただし、急いで塞いだのか、ひどく雑で、接合させようというよりは、ただ縫っただけの印象を受ける。そのうえで、縫合に使用されていたのは、黒の木綿糸……。解剖開腹後、腸に損傷あり。腹腔内血溜まりあり。大量出血死。
剛健さんのほうは、腹部刺殺。三か所。うち一か所が腹部の動脈を傷つけたようですね。顔には殴られた痕あり、口内出血。もみ合った時の痕あり。
岡 征十郎。あんたこれを、無理心中で片付けようとはしないよね?」
岡 征十郎は嫌そうに顔を背け、
「小早川先生も同じことを言ったよ。赤い帯で縛っていたって、これは明らかに殺人だってね」
詩乃は頷き、佐々倉のほうを見た。
「つまり、佐々倉様、あなたがおっしゃる通り、剛健さんは殺されたようですね。無理心中に見せかけられて」
佐々倉が口を堅く結ぶ。
「本当に、医者の心当たりはないのか?」
しばらくして岡 征十郎が佐々倉に聞いた。佐々倉は頷き、
「外科の知り合いに聞いてみたのですが、剛健はどうも連中から浮いていると言いますか、仲間意識が薄いようで、知っているものが居ないと言っていました」
「学校のほうへ行ってみなけりゃならんな」
「……、剛健さんが行っていた町医者の所に、他の生徒が行っていなかったのか? って聞くんだね?」と詩乃。
「そうだな、」
「それと、佐々倉様の言う話では、様子が変わってきているはずだから、様子が変わったのはいつだったかぐらいは解るだろうから、聞いてきてよ」
「なぜだ?」
「佐々倉様のさっきの話しで、最後に会った時には多分、思いつめていたんじゃないかしらね。師と仰いでいる人が実は
そんな時に佐々倉様と再会し、胸の内を打ち明けたかったが、佐々倉様は自身の悩みでいっぱいだったり、安住を約束され意気揚々とされている。そんな佐々倉様に自身の悩みなど到底理解はできないだろうし、それは今すぐにでも番所へ相談に行こう。と言われることが一番嫌だったんだと思うね。ただ……番所へ行き、知っていることをすべて話し、その
もともと人付き合いが悪いとはいえ、更に何かしらおかしい行動をとるようになったはず。その時期が、土左衛門が揚がった時期と合えばね。
この一連の事件は、医術の心得のある者の仕業で女郎が殺されている。そして、今勉強しているであろう手法を用いているところから見て、医術学校に通っているものが何らかの関りがあると考えられる。
とあたしたちは推理した。そんな推理していた矢先に、その学校の生徒が殺されたんだ。無理心中と片付けられたほかの人も、同じところに出入りをしていた学生だったかもしれない。
理由は、単純に考えれば、町医者が女郎の体をむやみに解剖する。それをたしなめられたとする。相手は自分の子供ほどのガキだ。そんなやつらにいわれりゃ頭に来るだろうさ。それは立派な犯罪だ。とでも言われ番所へ行くと言われたら、もみ合った瞬間突飛ばして、最初はそんな感じだったのかもしれないね。ただ、打ち所が悪く死んでしまった。ちょうどここに女郎の死体もある。だったら、腰ひもで括りつければ、無理心中で片付くだろう。
まぁ、それが見事にかなったものだから、もう一人、もう一人と、上手い理由を作って捨てていく。
ただね、こうなってしまった
剛健さんの場合、剛健さんが男色で、年上が好みというだけの理由で、その意思に惚れていたとする。昨日までいたはずの同じ弟子が急に消え、しばらくして土左衛門として揚がる。そうなっても剛健さんは盲目に師匠を信じていただろうし、疑うところなどなかったはず。だけど、腹を掻っ捌いていた。ところでも見ちゃったのかもしれない。その時は慌てて措置を施し、事なきを得たとする。そして自分が居ない時に手術を行わないでくれと約束させたけど、もしくは、剛健さんの居ない間に勝手に町医者が解剖し、死なせていたことを知って、剛健さんは気に病み、無駄な解剖を辞めるように忠告した。か。その時には、すっかり別人のようになっていたはずだ。自分を認めてくれる人を救いたいとか、自分の言葉なら、聞いてくれるだろう。なんて思っていたかもしれない。
それは犯人だって同じで、剛健さんは大騒ぎなどをせず、説教もそれほどうるさくない。だけど、さすがに涙ながらに訴えられたら―まぁ、それは想像だけども―
とにかく、犯人にとって剛健さんは邪魔でしかなくなったから殺されたんだろう。
佐々倉様の話しでは、剛健さんてのはその人に陶酔していたほどなのに、先月末には、キラキラしていたはずが、変わっていたというのだから、」
「なるほど。知らなくていいことか」
岡 征十郎がつぶやく。
「剛健さんはその人に恋心を抱いていたんでしょうよ。向こうはどう思っていたか解りませんし、剛健さんの思いを知っていたか解らないけども、だけど、最初のころはとにかく楽しかっただろう。
でも、親友である佐々倉様に、知らなくていいこととか、素敵な恋をしろなんて、わざわざ言うあたり、よほど思い悩んでいたんだろうと思う」
岡 征十郎は頷いて店を出ようと踵を返して出て行った。
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