第6話 医術習得学校

辰五つ(午前8時ごろ)。医術習得学校。

 岡 征十郎は小早川医師からの招待状を持って、医術習得学校にやってきた。

 面会室に通されてからしばらくして、指導医と生徒が入ってきた。

 指導医は細田と言い、名前の割には中肉中背の男だった。丸い眼鏡をつけて、赤く黒い吹き出物があるせいで苺のような鼻をしていた。

 生徒のほうは「田内たのうち 数馬かずまと申します。外科の総括委員をしております」と言った。

 こちらはひょろっとしていて頼りなげな子供のような男だった。月代つきしろを作らず、総髪そうはつ撫で付けを始めたばかりのような、何とも似つかわしくない頭をしていた。

「総括委員とは?」と岡 征十郎。

「外科に限ったことなのですが、学年の垣根をなくし、外科的知識などを深めようという目的で生徒が作ったものです。主に、新しい文献の翻訳や、新しい手術方法の解読などです。

 そのほか、町医者の所へ行き、その手伝いなども行うときもあります」

「その手伝いは、吉原や、岡場所と言ったところもですか?」

「もちろんです。正直申せば、その場所のほうが病が多いのもので」

 田内は小声でいった。見た目の割には落ち着いていた。

「実は、このところ女郎の土左衛門が増えていましてね、」

「存じております」

「先日、揚がった女郎に関しては解剖が行われ、出血性ショック死大量出血という死因でしたが、それ以前が事件として扱われておらず、確証が持てないのですが、事件を担当した同心によると、これは連続的なものだという話しでしてね」

「なるほど。小早川先生からの手紙にも書いておられましたが、その遺体からは手術を行ったような痕があったと?」と細田先生。

「そうです。私には難しすぎて詳しい話をできませんが、医術を施せるものの仕業だろうということです。ただし、ある一定の年齢以下の知識だという話しなのです」

「それが、新しい手術我々が行っているの手法ですか?」

「そうです。ただ、わたしが見る限りでは、その者は人殺しの片棒を担がされているとは思ってはいないのではないかと思っています」

「と言いますと?」

「町医者の所へ行くと言いましたね? 田内殿、もしその医者が、あなたたちが学んでいる新しい知識を教えてくれと言ったとします。教えますか?」

「もちろんです。お役に立てるのならば」と田内。

「手術の作法はどうです?」

「それは、」

「それは難しいですよ」

 と細田先生が言い、解剖図を広げた。

「あなたは何度か見たことがあると、小早川先生から聞いておりますのでお見せしますが、」

「毎度見ても、あまり気持ちのいいものではないですな」

 岡 征十郎の率直な意見に細田はほくそ笑み、その図解の上を指でなぞりながら、

「まず、縦に切り込みを入れますね? そして、ここを横に斬ります。そうすると、中が開かれてこういうものが出てきます。これが、心臓です。胃です。

 と言われて、出来ると思いますか?」

「そりゃ、私はずぶの素人ですから無理ですが、相手は町医者とはいえ、医者でしょう?」

「そうですけどね、人の解剖には見た目の気持ち悪さもさることながら、悪臭も立ちます。魚なんかをさばいた時でさえ、その臓腑なかの匂いはひどいでしょう。それが人です。よほどの熟練者でも耐えられません」

「……中絶処置を繰り返しているものにとっては?」

「……正直なことを言えば、大丈夫だと思います」

「では、それに慣れているものならば、腹を開いたとしても平気だと?」

「平気だとは言いません。それに、我々は患者を助けたい一心で、そういう事―つまり、気持ち悪さや臭いなどの不快感―をどこか、そう、脇にでも追いやれるものなのです。

 ですが、町医者のほとんどが民間療法や、古い文献に頼っているところがまだあります。それらが悪いと全否定できないのもあるのですが、ですが、こと、切り開く作業に関しては、彼らはあなたと同じくです。

 ましてや、武士から医者になった人が、腹を開くなどということができるはずがないのですよ。

 たしかに、腹を切り開いているという解剖結果を見る限りでは医術を志す者が手を貸しているように思いますが、ですが、説明を聞いただけで、では開こうか。などとは、医者ならば思いません。どうしても開かなければいけない患者は別ですが」

「では、健康的な人を切り開きたいとは思わないと?」

「……それが難しいところでね」

 細田先生は赤く大きな鼻を指で掻きながら、

「健康的な人の体の中身に興味がないとは言いません。本来あるべき姿というものが解っていなければ、どこが間違っているか治せませんからね。

 ですから、処刑されたものの解剖に立ち会ったり、死体解剖を率先して行うのです。正直、まだまだ分からないことだらけですからね。

 ですが、道を歩いている人を襲ってまで、その中身を知りたいとは思いませんよ」

「素直な人ですね」

 岡 征十郎の言葉に細田先生は首をすくめた。


「では、考え方を変えてみましょう」

 岡 征十郎は少し考えてから口を開いた。

「自分が無知だと知っている。いや、違うな。自分の腕は確かだと思っている。だが、最近では、胸を開いて治療する方法があるということを知った者が居たとして、その医者はどうしたら胸を開くことができると考えますか?」

「単純に、人を襲い胸を開くでしょう。ですが、医者は武士とは違って、人を襲う力はないです。そりゃ、趣味で武術をたしなむ人は居るでしょうが、ほとんどは頭を使っていますからね。そういう連中が人を襲うかと言えば襲わないでしょう」

「では、どうしますか?」

「待っていても、向こうから来ますよ。なんせ、医者ですから」

 細田先生の言葉に岡 征十郎はぞくっとして眉をひそめた。

「私だってね、自分の力の限界を感じたり、西洋から来るいろんな本を見て、自分だってそれをしたい。高度な技術を身に着けたい。という欲求に駆られるんですよ。

 いくら本を読んだって、所詮は絵です。体温も、血のぬめりも、それこそ臭いもしません。あるのは紙きれです。そんなものが、いざ、胸を開いた患者を目にして役に立つだろうか? そりゃ予習はしないよりしたほうがいいですが、紙の上で見たものと、実践では、はるかに経験値が違うのですよ」

 細田先生はそういって解剖図に目を落とした。

「今は、武士の世の中です。腹を切るなんてのは人間のやることではないとさえ思われています。ですが、そのおかげで助かったという事例もあるのですよ。

 それを聞くと、自分が助けてみたい。と思ってしまうのです。

 だからと言って、私は人を襲ってまでそれを達成しようとは思いませんよ。

 人を切り開いて処置をするには相当な危険を含みます。まだまだ開発段階ですが、麻酔というものが発明されたようです。以前使っていたものよりも、目覚めた後の不快感が減るもののようですが、いかんせん、それの調合が絶妙だとかで、まだこちらにやってきません。

 いや、それが無くても切って、縫って、成功したとして、その後の経過が大事だったりと、好ましくない事象が発生する確率が高すぎるのですよ。それらはまだ我々の医学では補えないところにあって、それに。と解っているので、ほとんどの医者はそういう事を思っても実践はしないでしょう」

 細田先生ははっきりと言い切った。

「では、どんな奴ならすると考えますか?」

「医者だと言っているが、医者だと言っているだけの人。そういう人ならば実績を欲しがるでしょう。何人かの手術や治療をしたという看板を欲しているはずです」

「そういう人は見分けられますか?」

「それは難しいですね。私などにはそういう人は声をかけてきません」

「学生に声をかけてくると?」

「学生でも、そうですね、頭はいいが気の弱そうな、いや、気が弱いというか、おとなしく優しい者を狙って声をかけるでしょう。

 先ほども説明しましたが、町医者の所へ出向き、その手伝いをする。ですがね、そういう大人しいものは、町医者の所に飛び込みで許しを請いに行けないのです。躊躇してしまうのですよ。

 そういうものを狙って、自分のところでよければと声をかける。

 ですから、わたしや、この田内君のようなものには心当たりがないのですよ」

「なるほど。……では、そういう大人しいものが、最近おかしな行動を取って居ませんか?」

「……大人しいのとは違うのですが、」

 田内が口を開く、

「もう、ここの生徒でもないのです。半年前に金に困って辞めてしまった、鳥瀬とりせ 喜八郎きはちろうが女郎と土左衛門として揚がったと聞いてます」

「なんですと?」

 細田先生と岡 征十郎が同時に声を上げる。

「もう、辞めてしまっているので、北町のお役人が来た時に私が接客しまして、先生にはご連絡をいたしませんでしたが、」

 細田先生は無報告に対して不機嫌な顔を見せたが、

「それで、どうしたわけで、鳥瀬が?」

「それが、北町の方が言うには、女郎と赤い紐で括られて死んでいたと。鳥瀬の人となりを知りたいと言われたのですが、半年前にここを辞めていましたし、同郷の高柳たかやなぎともども田舎に帰ったと思っておりましたし。

 あの二人が他の誰かと仲が良かったかなど聞かれましたが、言われるほど仲が良いものはおらず、皆、同じ学び仲間ぐらいの関係でしたので、なぜ鳥瀬が田舎に帰らず土左衛門になったかなど、ましてや、女郎と無理心中など、と驚きました。と申しました。

 女が嫌いではないでしょうが、遊びは医者になってからと禁欲していたのは知っていました。あまり成績がよくないので、願掛けなのだと笑っていましたから」

「では、辞めたので、吉原通いを始め、溺れたというのか?」と岡 征十郎。

「そのように聞かれましたが、そういう事ではなく。田舎に幼馴染の好きな相手がいるのだとか、医者になって帰ったら祝言を上げるつもりだと言っていた。と申しました」

「その、鳥瀬が辞める前に通っていた町医者はどこだろうか?」

「さぁ。高柳と一緒に行っていたようで、たまには先生を交換しようという申し出を二人は拒否していたようですから」

「なぜ拒否を?」

「ほとんどのところが手伝いなので賃金は入りません。ですが、そこでは多少なりとも金をもらえていたようです。

 金をもらうことは別に珍しいことではないのですよ。医療治療以外のことでの駄賃をもらうこともあります。私は料理が得意でして、独り身の先生の所へ行ったときに食事を作ってあげましたら、それは別手当だと言っていただいたりしたこともありますから」

「では、鳥瀬たちの行っていた場所を誰も知らないと?」

 田内が頷く。

「……しかし、質問が解らないうちによく調べていたな?」と岡 征十郎。

 田内は微笑み、

「北町のお役人さまに聞かれて、学校中を聞いて回っていたのです」

「なるほど。合点がいった。

 では、今のところ、鳥瀬は死亡。高柳は行方不明か?」

「田舎に帰っていることを願うばかりですが、向こうに着いたとかそんな手紙を書くような奴ではありませんからね」

「田舎はどこだ?」

「水戸の二葉村だそうです。鳥瀬は馬場主の四男坊。高柳は道場師範の次男坊で、二人は幼馴染だということです」

「水戸か、遠いな」

 細田先生がつぶやく。

「その二人以外に、怪しい生徒は居ませんか?」

 岡 征十郎の質問に二人は同時に首を振った。

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