特異な飛蚊症
初めてそれを見たのは今から30年以上昔でした。
私が通っていた女子校の冬休みでした。家で年末特番を家族と見ていたら、芸人が映るテレビ画面と私の網膜との間にはっきり見えない黒い点がポッポっと現れました。
初めは視界を漂うゴミか何かだろうと思ったけれど、擦っても目薬を指しても消えないので看護師をしていた母に相談したら
「飛蚊症じゃない?」
と言われました。
飛蚊症はその名の通り蚊のような黒い点が視界を飛び回るようにあり続けるもので、確かに母に言われた症状の特徴と私の目に見えるものはよく似ていました。
見えても大丈夫なの、と聞き返しましたが「別に目が見えなくなったり視力が悪くはならないよ」と言われたので緊張が解れてほっとしました。
数日経って大晦日。
相変わらず私の目にはぼやけた黒い点が、毎日少しずつ数を増やし前よりははっきり見えるようになりました。
少し不安も増しましたが、母の言うことは信頼してましたし、実際ものを見る妨げにはなっていなかったのでずっと放置してました。
でも昼頃、自分の部屋で漫画を読んでいたら視野の端から急に赤い点が出てきて見開きページを邪魔しました。
赤い、私は驚いて手洗い場まで走って鏡に近寄り指で目を開きました。
しかし特に眼球に異変はありませんでした。でもこうしている間にも1個、2個と赤い点が出てきて黒い点とぶつかる様に視界を飛び交いました。
さすがにこれはと思い、台所でおせちの準備をしていた母の元に駆け寄り、症状を訴えました。
「え、赤い点? それは…聞いたことないなぁ。大丈夫?」
「目は見えるけど……」
「わかった。ちょっと知り合いの眼科の先生に電話してみる」
そういった母は頼もしい背中で黒電話まで急ぎました。私も症状を伝えるため母についていきました。
「……もしもし? 年の瀬にすみません。○○病院の……ですけど……」
丁寧な余所行き声を聞きながら、私の視界はみるみると黒い点と赤い点に覆い尽くされていきました。しかもこの数日ずっとぼやけて滲んだような点だったのに、今はくっきりとした小さな点々が下から上へと上っては消え上っては消え、を繰り返しています。
焦りを感じて、母へ急かすように今の症状を訴えました。母はそれを綺麗な言葉に言い替えて電話の向こうに伝えてくれました。
「はい……はい……そうですか、はい、ありがとうございます。それでは」
ガチャンと受話器を戻す音に食い気味で母に結果を求めました。
「先生も聞いたことがないって。いま実家に帰ってるから、年明け3日に戻ったら直ぐに調べてくれるみたい」
私の不安は最高潮に達していました。視界は赤と黒が混じってもはや母の顔すら視認が難しい程でした。
と、その時でした。
背後の方から爆発音が聞こえました。
驚いて2人でその方へ向かうと、台所でかけっぱなしにしていた圧力鍋が爆発して傍にあったサラダ油に引火していました。
母はすぐさま消そうと台所に入りましたが、もう壁紙や柱にも燃え移っていて簡単に消せそうにありませんでした。
私はさらに酷く赤黒く潰れた視界の中、電話の場所まで壁伝いに戻って手探りで119を押して火事の旨と住所を伝えました。
火は恐ろしい速度で台所から居間まで手を伸ばし、我が家は赤く染まりました。
消火を諦めた母は通帳や印鑑だけを持って私の元に逃げてきました。
そして一緒に家を脱出しました。
――火がついてからおよそ10分。木造だった我が家はあっという間に2階まで火炎が昇って昼間の空に灰と火の粉が飛び交いました。
その3分後に消防車がやってきて野次馬を掻き分け放水を始めました。
燃え盛る我が家はどんどん勢いを落として30分で鎮火しました。それと比例するように私の視界からもどんどんと赤と黒の点が消え去り、目の前はすっかり晴れました。
それで気づいたのです。
私が見ていたのは火事の前兆なんだと。
視界を飛び交っていたのは飛蚊症のせいではなく、ものが燃えた灰の欠片と飛び散る火の粉だったのです。
以来、これまで数度、同じ現象を体験してきました。
なので、もしも同じ症状が出る人がいたらよく聞いて欲しい。
私が生きてきて症状についてわかったのは、黒い点が見え始めてから1週間以内に身近で火事が起こること。赤い点が見えたら数時間以内に起きること。
そして、私がどれだけ注意しても、周りに喚起しても火事を防げないことでした。
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