悔し泣き、憎し鳴き

 真隣に小学校で仲のいい男友達が引っ越してきた。

 どうやら前まで住んでいた家を建て替える間、学区内で住む場所を探した結果、値段や立地の関係でたまたま私の家の隣に建つ古い木造一軒家を選んだらしい。

 私もその子も恋愛感情を持っていたわけじゃないけど、とにかくお互い好きで仲のいい友達同士だった。今考えれば小学校高学年にしては珍しくクラスメイトからもからかわれなかった。


 そんな友達が近所どころか隣に引っ越してきたのは嬉しくて、知った時には一日家中を跳ね回っていたくらいだ。


 でも一つだけ頭の片隅には不安があった。


 うちの隣の家は外側はブロック塀、内側は伸び放題の雑草に四方を囲まれた平屋の一軒家で、絵に描いたようなボロ屋だった。

 しかもただボロいだけじゃなくて、小学校で話される怖い噂もあった。


 私もその噂を知っていたからいつもその家の前だけは駆け足で通って自宅に逃げ帰っていた。

 でもその男友達が引っ越してきてからは、短期間とはいえ毎日生活するんだから、とその子の両親が雑草を刈り、ブロック塀を磨き、屋内の掃除もバッチリしたことで10年分くらい新しくなったように見えた。

 そのおかげで怖さも減って、家の前を走り抜けるのも噂も忘れてその子とよく遊ぶようになった。



 その子の家族が隣に越してきてから1週間が経った頃。


 2階の私の部屋は隣家の側にあった。窓からは平屋の屋根がよく見えたが、夜中になるとよく「ぬぁーん、ぬぁーん」みたいな赤子とも子猫ともつかない鳴き声が聞こえてくるようになった。

 当時の私にはそれが怖くて怖くて、何が鳴いているのか確かめることもできずにいつも布団にくるまって怯えていた。

 両親に鳴き声の話をしたが「聞こえないけど……?」「寝ぼけてたんじゃないか?」と言われるだけで、全く知らないみたいだ。


 私は鳴き声せいで寝不足気味になって、その男友達にもひどい隈を心配された。だからその子にも聞いてみた。


「ねぇ、夜になると変な鳴き声が聞こえない?」

「へ? 全然、なんにも聞こえないけど…いっつもぐっすり寝てるからかなぁ?」

「そっか……」

 毎日起こる不気味な現象をその子と共有出来たら心強かったのに、と私はうなだれた。

「でも僕も最近朝起きると、あちこち痛いし疲れてるんだよね。変な寝方してるのかな?」

 上半身を大きく伸ばしながらその子は言った。

 ひょっとしたら鳴き声が眠っている彼の身体にも影響を与えているのかもしれない。

 私は自分のため、そして男友達のために鳴き声の正体を確かめようと決意した。



 その日の夜、私は布団の中でじっと蹲っていた。

 怖さはなかった。



 部屋の電気も消してどれくらい待っただろう。真っ暗な中待っていたから眠気に襲われて、下がる瞼と必死に格闘していた時。


……ぬぁーん、ぬぁーん。



 にわかに窓の外から鳴き声が聞こえてきた。

 泣きわめく赤ちゃんみたいな、親を探す子猫のような、気味悪い声。


 布団から何故か音を立てないようにゆっくりはい出た。


 カーテンの閉まった縦長の窓の前に立つ。

 その布の端をしっかりつまんで、顔だけが外を覗けるくらい持ち上げた。

 小さい頭をカーテンと窓の間に滑り込ませ、暖房で結露した表面を素手で拭った。


 眼下に暗さに包まれた鼠色の瓦屋根が見える。


 探す必要もなく、鳴き声の主がわかった。



 屋根の上で全裸に四つん這いで座り込む男友達がいた。妙に寂しげな声を低く響かせながら、どこかの誰かに向けて鳴きながら、泣いていた。


 どう捉えていいのか分からず私はカーテンを元に戻して、布団にそそくさと戻った。




 謎が解けた安堵と仲良しの友達の奇行に頭がぐちゃぐちゃになった。

 それでも数日の寝不足から眠りに落ちそうになる。

 意識が途切れるまで、入り組んだ感情の隙間で隣家の噂を思い出した。


 噂によると、その昔あの家に住んでいたのは独り身のお婆さんだった。お婆さんは近所で有名だった。それは猫の多頭飼いと養子の不審死で、だった。

 前者は外観からでもわかるほど庭にも屋内にも錆びたケージが散乱していて強烈な悪臭を放っていたという。餌もろくに与えられないばかりか糞尿も餓死や共食いの死骸も放置で、行政指導が度々入っていた。

 そして後者。このお婆さんだったに引き取られた養子が数人いた。その子たちは3〜6歳の幼い子が多く、お婆さんは家の状況などを隠したまま養子を受け入れていた。結果、食事も与えられず、猫に引っ掻かれ噛まれて病気に感染したりして死んでいったという。

 そのお婆さんはもう10年以上前に無くなって家は遠い親族が片付けて売りに出された。


 しかし死んでいった猫と子供は家の真下の地中に埋められているらしい。



……男友達の身体には死した猫と子がいるのかもしれない。彼らは今も無念の生を悔やんで夜な夜な鳴いて、泣いている。



 その男友達はまもなく学校に来なくなった。


 1度家にお見舞いに行ったが、母親に「ごめんね、今はあの子と会えないの……ごめんね」と涙を滲ませながら言われた。



「あの子"と"会えない」



 取り憑かれすぎて、男友達はどこかに追いやられてしまったのだろうか。



 家の建て替えが終わって新居にその家族が引越しすると、私も関わりが無くなった。




 その子は卒業まで小学校には来なかったし、学区の中学校にも形だけ入学して3年間来なかった。




 その後の足取りはわからない。



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