成長する死花

 早由利と付き合い始めて1年が経過した。お互い社会人で将来のことを考えた結果、この度同棲をすることになった。今は引越作業が終わったばかりだ。

「こっから荷物を開けなきゃいけないな~…疲れた……」

「も~翔くんはそんなこと言って、ほら寝っ転がってないで早く終わらせよ?」

 大の字で新居の床を占領していると足先で早由利につつかれた。俺は反動をつけて渋々起き上がり、手近なダンボールを引き寄せ開封していった。


 引越自体は業者に頼んだのでさして疲れてはいないのだが、近頃大きな悩みの種があって、それを少しでも無くすために引越したというのもある。



 早由利には言っていないが、付き合い始めてしばらくしてから彼女の友人に嫌がらせをされているのだ。


 その友人は麻里という名前で、早由利とは学生自体からの仲らしい。元々は暗い性格で見た目も田舎くさい雰囲気だったが、早由利と友達になってからは180度人が変わり服装や性格も明るくなった。


 その代わり、早由利への依存度が高い。


 俺はそんなことは知らず、共通の友人の紹介で早由利と知り合い数回のデートの後、告白した。即答で返事をもらったのは良かったが、俺のことを早由利は“親友”の麻里にもすぐ話したようだ。


……後のことはお察しの通りの嫌がらせの連発だ。俺がマンションに帰るとその入口で待ち伏せしていて、いきなり「早由利と別れろ」と叫ばれた。当然家の住所は教えていない。以降も脅迫まがいの手紙が何通も届いたり、スマホに何度もイタズラ電話をかけてきたり。こっそり警察にも相談したが、実害が出ていないからと動いてくれなかった。

 そんな日々が彼女との幸せな日々を侵食するように1年近く続いている。

 もちろん早由利のことはずっと好きだし、麻里の話を楽しそうにする彼女の姿を見ていると胸が痛むし複雑に思考が入り交じる。俺はどうするのが正解なのか、別れればいいのか、いや別れたくない。けど嫌がらせは過熱している。

 早由利に言えるはずもなく、でも一人で考え続けるのにも限界が来て、今回まずは物理的に距離を置こうと同棲を建前に引越しをしたのだった。ちゃんとオートロックの管理人常駐のマンションだ。ほんの少しだけ気が楽になった。



「――もうこんな時間か」

「お腹減ったね」

 スマホを確認したら夜8時を過ぎていた。荷物整理に没頭していて完全に時間を忘れていた。


「すぐそこのコンビニで買ってくるよ。何がいい?」

 俺は重くなった腰を持ち上げ、背骨から肩首の関節を伸ばした。

「ん~とねぇ、サンドイッチ。タマゴのやつね」

「おっけ」

「いってらっしゃーい」

 床に投げ捨ててあったジャケットを羽織って外に出た。




 鼻息すら白い。外気で即座にかじかんだ両手をポケットに突っ込んでマンションをあとにした。



 徒歩3分以内のコンビニで夕食と明日の朝食を適当に購入、早く新居に帰ろうとしたら帰り道を人に通せんぼされた。


「……麻里!?」

「こんばんは。翔太くん」

 皮肉げに俺を君付けで呼ぶ女。明るい茶髪はウェーブが毛先に掛り、薄いチーク、パステルカラーのロングコートがいかにも今時の女子大生らしい。が、根の暗さが滲み出たハイライトのない黒目をしている。

「何でお前がここにいるんだ」

「あら、いいじゃない。私も早由利の新居にお邪魔したいもの」

「頼むから、もう俺らに構わないでくれっ。いい加減迷惑なんだよ」

 俺があからさまに不快感を露わにすると、麻里は意外にも落ち着いたトーンのまま返事をした。

「……わかったわ。今の私は二度と、あなたと早由利には近づかないわ」

「本当か……?」

「ええ。じゃあさようなら、翔太くん」

 そう言うとくるりと反転して夜の町に消えていった。


 俺に面と向かって宣言した麻里の目には、誰が見ても明らかな殺意の念が宿っていた。




「……ただいま」

「おかえり~」

 帰宅しても麻里とのことは当然早由利には言わなかった。

 なるべく悟られないように笑顔でビニール袋からサンドイッチを取って彼女に渡す。

 新居初めての食事を慎ましやかに初めた時、早由利のスマホがいつもよりけたたましく鳴った。


「もしもし、菜実ちゃん?」

 大学時代の友人のようだった。麻里じゃなくて俺はほっとため息をついた。

 しかしそれもつ束の間、電話の向こうの様子がおかしい。

「……うん、うん……え!? うそ、え? ……あ、う、うん……わかった」

 笑顔から困惑、めまぐるしく変化した早由利の表情。電話を切ったので何事か聞こうとしたら、

「麻里が……死んだって、自殺だって……」

 言葉を辛うじて紡ぐとわっと泣きだした。


 俺も衝撃だった。

 ついさっき下で話したのに、ものの10分後に自殺の訃報。あれは本当に麻里だったのかと疑ってしまうくらいだ。

 わんわん泣く彼女を抱き寄せながら、内心複雑な気持ちだった。

 これで晴れて俺への嫌がらせはなくなる。けれど彼女にとっての同性の友人が亡くなったのは決して喜ばしいことじゃない。一時は心の中で麻里の死さえ願った自分がちょっと恨めしくなった。


 

 数日後、麻里の葬式に早由利は参加した。俺は行かなかった。


 早由利が聞いた話によると、どうやら麻里は首を吊って亡くなったという。足下に固定された遺書には「あなたへの怨みと呪いと共に来世へ」とだけ書いてあったとか。細かな事情はよく分らないみたいだが、俺は自分のせいなんじゃないかと不安が募った。

 けどそれ以上に、知らせを聞いてから早由利の精神状態が不安定になって仕事も休んでいた。

 俺は会社も休んで自分のことは二の次に、彼女のサポートに徹した。放っておいたら食事も睡眠も摂らないまま……になりそうで、同棲を始めて良かったと心から思った。




 麻里が死んでから2週間経っても早由利は回復しなかった。それどころか日に日に体力も落ち、ご飯を口に持っていってもあまり食べなくなった。夜になると突然叫び出して暴れ回ったりした。俺は何度も病院に行こうと言い続けていたが聞く耳を持たず、頻繁にまるで誰かと会話しているような独り言を言うようになった。 

 このままでは本当に死んでしまうと思い、俺は救急車を呼んだ。


 嫌だと駄々をこねて救急隊員にまで暴力を振るう姿はとても見ていられなかったが、半強制的に病院まで送られた。

 医者からは各臓器の著しい機能低下と急速な栄養失調による幻覚幻聴や躁鬱など精神疾患をいくつか発症していると言われた。即刻入院レベルの重症だった。



 ――月明かりだけの薄暗い病室。薬を打たれ安らかに眠る早由利。彼女の腕から細い管が伸びて点滴袋に繋がっている。俺はその手を握って無事を願った。



 


……気付けば翌朝だった。俺は疲れと彼女の入院への安心感も相まってぐっすり眠っていたようだ。


 白いシーツのベッドは空だった。


 早由利の姿が部屋のどこにもなかった。

 


 慌ててナースコールを連打した。


 看護師や先生達も大慌てで監視カメラの確認や病院内にいないか探し回った。



 出入り口の監視カメラを見たら、深夜3時頃に病院を抜け出す早由利が映っていた。




 俺はそのまま病院を飛びだし、彼女が行きそうな場所を探し回った。



 新居のマンション、俺や彼女の前の家、友人の自宅に実家へも連絡したが、見つからなかった。


 他に可能性がありそうなのは、彼女が通っていた大学くらいだった。




 休日だったが門は開いていた。

 都内でも屈指の在学生を誇る大学なのでそこそこ学生がいる。


 それっぽい姿の女子を見かける度に動きが止まる。でも見つからない。



 校舎中を走り回って、体力の限界が来た。休憩しようとたまたま3階渡り廊下の手すりに前傾でもたれかかった。下は中庭で数本の木が芝生に囲まれ伸びていた。人は全くいなかった。


――いや、一人いる。



 息を簡単に整えて再び足を動かした。



 階段を駆け下りて見下ろしていた中庭へ。


 正面に佇む少し小柄な木を目の前に、俺は膝を落とした。




 ジャンプしたら手が届きそうな低い枝にロープが掛かり、真っ白な顔の早由利が吊られていた。



 


 



……早由利の通夜も葬式も終わり一週間。



 俺は彼女が亡くなったあの木に来ていた。



 なんてことのない、ただの木がこれほど特別に思えるなんて不思議だ。


 俺は彼女を救うことが出来なかった。多分もっと前にどこかで選択肢を間違えていたんだと思う。


 そしてそのことをずっと後悔して生きていかなくちゃいけない。



 頬を伝う雫を拭って、その場を去ろうとした。



 ふと目を落とすと足下に花が咲いていた。

 アザミの花だった。本来なら夏頃に咲くはずの、季節外れの花。


 ここで見つけたのは何かの縁に違いない。

 俺は2輪咲いている内、大きな1輪を折り取った。

 




 新居は俺1人にはずいぶん広く感じる。空間と心を少しでも埋めてくれるならと、持ってきたアザミの花を花瓶に生けた。

 わずかな変化だがそれでも十分だった。

 すぐに枯れてしまわないよう、毎日世話をした。


 その甲斐あってか、花はいつまで経っても枯れることなく一週間が過ぎた。

 きっとこの花は彼女、早由利の生まれ変わりなんだと信じた。それで心が救われた気がした。




 ただ、ここ最近俺の体調が芳しくない。発熱に体の痛み、咳に頭痛に腹痛。インフルエンザかと思って病院にも行ったが結果は陰性。もらった薬も気休めにもならず1人で家にこもるようになった。


 でも横になると枕元に誰かいるような気がして気が落ち着かない。眠ったら人に追いかけられて殺されかける夢を見る。

 俺はなるべく起きて、気を紛らわせるために花瓶の花に話しかけていた。

 花は、以前より大きくなっていた。



 体調不良から2週間経っても変わらず、より悪化していた。

 もはや食事は喉を通らず、歩くことも辛かった。体重は恐らく20kgくらい落ちていた。


 脳裏によぎるのは衰弱していく早由利の姿。今の自分にピッタリ重なった。


 彼女が体調を崩したのは親友が死んだからだとばかり思っていた。

 


 でも、たぶん違う。


 俺の朦朧とした意識と混濁する脳はそれでも確かな答えを出した。



 俺は自殺した麻里の呪いだと確信していた。



 麻里は死んだ後、早由利に取り憑いてじわじわとその肉体を侵食していって憑き殺した。



 そして次の狙いは、もちろん俺だろう。




 麻里の遺書には「呪いと共に来世へ」と書いてあったらしい。

 そして最後に会った時言った“今の私は”の意味が、ようやくわかった。



 麻里は強い怨念を持って自殺した。その来世が何になったのか。




 ベッドで悶え苦しむ俺が体を横にすると、リビングの机に置いた花瓶が目に止まった。

 根無しでも成長する季節外れのアザミの花。


 あれは早由利の生まれ変わりじゃない。



 そもそも早由利が何で通っていた大学を選んだのか。


 

 そして麻里が自殺した場所はどこだったのか。




 

 全てが脳内で結びついたとき、俺の目に写ったのは、成長して花瓶から抜けだした一人の全裸の女。



 その女は明るい茶髪に光のない黒目でこちらまで歩み寄ってきた……。



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