帰省

 数年ぶりに実家へ帰省した。

「ただいま」

「あら、おかえりなさい」

 母が迎えてくれた。他県で就職した俺は忙しさを理由に帰りたくなかった。

 薄情と言われるかも知れないが、ちゃんと理由がある。


 アレがいるから。


 家族は皆知らないの一点張り。たしかに姿は俺も見た事ない。けどアレは確実に実家で同居している。

 幼い頃から感じていたその気持ち悪さに耐えられなくなり、俺は半ば強引に他県の大学に入学した。以降実家には帰っていない。


 挨拶も適当に済ませて、俺は2階の自室に向かった。古い家だからか空気が凍えていた。昔を思い出して動悸がした。


「なんか臭うな」

 階段で鼻を突く焦げ臭さ。肉や野菜とは違う臭い。思わず足が止まる。

 臭いを探ろうとしたら、目前に原因があった。最上段の2階床で俺を向く真っ黒に煤けた足袋が1足、左右ぴったり並んでいた。

 瞬間的にやばいと思った。アレがいる。


 手の甲で額の汗を拭った。やけに冷たく感じた。

(避けて行けば、大丈夫)

 自分に言い聞かせ、足袋の横を壁伝いに通った。その方を見ないように。

 つま先立ちで膝から下が震えたが、無事に通り抜けた。

 たった1mに凄まじく体力を使った。

 目に入れたくないが、確認のため後ろを振り返る。



 足袋はまた俺の方を向いていた。

 動いた形跡はない。でも先程とは真逆の方向になっている。


 俺は自分の胸倉を掴んだ。息切れが激しい。体はまるで立ったまま金縛りにあったかのようだ。


 対峙する俺と黒い足袋。


 人生で一番長い10秒だった。


 先に動いたのは、足袋だった。

 サザッ、布が床板と擦れる音。小さな音が耳の奥に触れる。

 すり足で、片方が歩いた。


 やっぱり、いる。目の前の空間には透明な何かがいるのだ。



 1歩、1歩、1歩。


 静かに、確実に俺を目指してくる。



 不味い、そう思った俺は足袋を蹴飛ばそうと恐怖に囚われた心を振り払い、右足を大きく振りかぶった。

「ああああッ!」

 

 サッカーで渾身のシュートを決めたくらいの力で蹴り抜いた。



 なのに、蹴った感触は無い。



 床からは今までそこにあったはずの足袋が消えている。



(どこにいったんだ!?)

 足下にも背後にも、足袋は跡形もなく消えていた。





 サザッ。



 背後にすり足の音。


 それが聞こえた次の瞬間、俺の腹に子供くらいの腕が抱きついていた。


 背中に張り付く上半身と腹に巻き付く腕は、人の体温を超えた凄まじい高熱を持っていた。

「あ゛ぁっ!」

 己の肉が焼けるのを文字通り身に染みて感じた。

 クスクスという笑い声が聞こえ、あたりに焦げ臭いにおいが立ちこめた。




 俺は純白のベッドの上――病院で目覚めた。周りには救急車を呼んだ家族や駆けつけた友人がいた。


 丸1日寝ていたと初対面の医者から告げられた。

 背中から腰、腹にかけての火傷は深達性Ⅱ度の重症で、理由については原因不明と診断された。俺もそうなんだと無理やり自分を納得させた。




 退院以来、実家には帰ってない。

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