ジョギングと一輪車


 吐いた息が白く広がる早朝のジョギング。

 私が40を超えた頃から始めて、それから10年以上毎朝5kmを走る。夫も一緒にやっていたのにものの数日でギブアップ、今は1人でスマホのゲームをしながら楽しく川沿いの堤防道を走っている。



 橋から次の橋まで往復する片道約2.5kmの道のり。

 この距離程度なら特に問題なく走れる体力はある――のだが、今日は気になることがあって運動に集中できない。



 それは私とは反対側の堤防をぴったり私と同じ速度で一輪車を漕ぐ人がいるからだ。




――今から30分前、日の出ギリギリから走り始めて橋を折り返した時、ふと見た反対側に既にその人がいた。どこから来たのか、移動手段に一輪車なんて珍しすぎる。でも、ぶれることなく進む一輪車に関心すらした。


 おかしいと気付いたのはその3分後。ふたたび向かいの堤防を見たとき、一輪車は50m以上ある川と岸を挟んだ私の真横の延長線を同じスピードで進んでいた。

 確信したのは直後に私がスマホを取り出し立ち止まってゲームをしていると、一輪車もキッと停止して、まるで私が走り出すのを待っているかのように器用にバランスをとっていた。


 足裏から頭まで危険信号が巡った。



 一輪車の相手をにらみつけたまま、私はスマホをポーチにしまった。そしてゆっくり走り出すと待ってましたと一輪車も走り出した。


 何が目的かはわからないが、あいつは私の動きに合わせて動いている。不気味さもあったが、それ以上に楽しいジョギングを邪魔されたことにイライラした。




――私は走るスピードを上げる。一輪車も速くなる。

 今度は急停止する。一輪車も急停止する。


 何をしても全く同じタイミングで動きを真似される。私の行動を先読むしているとしか思えない反応。徐々に気味の悪い空気が私を取り巻いていった。


 ペースを乱され体力も消耗する。一度走るのをやめ、水分補給をした。



 遠くのビルの奥から朝日が差し込んできた。火照った肌がさらに暖められる。



 ついさっきまで薄暗く距離もあったせいでよく見えなかった一輪車の姿もはっきり見える。

 上下体操服?を着た少年らしき姿、そのわりに頭がやけに大きい。上半身と同じくらいのサイズがある。髪は刈り込んだ坊主頭、目鼻立ちは距離もあるのでさすがによくわからない。


 アンバランスな頭の大きさの一輪車に乗る少年。


 夢でも見ているのか寝ぼけているのか、何度も目をこすって見直したが50m先に見える頭は幻じゃない。


 前後や遠くを探すが、他に歩行者もいない。この場には私と異常な少年しかいない。


 そう思うと一気に血の気が下がる。立ちくらみがするのをぐっと堪えて早く家に帰ろうと、足を動かし始める。


 もはや当たり前のように一輪車も動き出す。


 ちらちら目だけで少年を確認する。進めば進むほど彼の頭が膨張していく。


 終点の橋まで残り1km。

 少年の頭は一輪車を含めた全身より大きくなっていた。



 どこまで大きくなるの? 大きくなりすぎたら最後どうなる?


 私の心中の嫌な予感も膨らんでいく。

 でも走るのはやめられない。いまは無心で前へ走るしかない。



 橋まで残り300m。


 ずいぶん近くまで来た。はっきりと橋が見える。



 少年は――ちゃんとその方を見なくてもわかるくらい頭が大きくなっている。運動会の大玉の2倍はありそうだ。鬱血しているのか暗い赤紫の皮膚に血管が浮き出ている。大きさのおかげで表情もわかる。怒りとも悲しみともとれる複雑な顔。眉も口も歪に変形している。



 もうあまり横を見ない方がいい。心に決めてラストスパートをかける。


 本気で走ることは普段ないからお腹が痛むし肋骨が圧迫される。でも私は一刻も早くこの場から立ち去りたかった。


 全身の気力と体力を振り絞って走り出すと一輪車も同様に加速する。

 破裂しそうな頭部を揺らさずに足だけが高速で稼働する少年。



 残り100m。



 この距離ならいける、そう安堵した。



 その途端、一輪車が急加速した。


 今までずっと私の速さに狂いなく合わせてきた少年と一輪車が、ここにきて私の真横から脱して走っていく。



 まさかの展開に「え?」と言ってしまった。何があったのか訳がわからない。


 でもこれで落ち着いて走り終えられるなら文句はない。私はペースをいつも通りに戻して――――。




 橋まで残り50m。



 凄まじいスピードで走り去ったはずの少年と一輪車は、なぜか橋を渡っている。



 そして、こちら側の堤防に降り立った。




 両足の運動をやめる私。


 



 正面には見上げるほど膨大な少年の顔、その大口があんぐり開いて中から底の知れない穴が出現した。



 紫色の唇の端からぼたぼたとよだれが流れ出すのをみて、私は二度と家に帰れないことを悟った。





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