第16話 中立都市ヨーク(2)

「ええ、結局カインは忙しくて、一度も繁殖活動しないまま出て行っちゃったわけだけど、周りは、『出来損ないのラブラとつがわされるのが嫌でカインは逃げ出したんだ』なんて悪口を言う奴もいて、いいとばっちりだったわ。もっとも、あいつのおかげで地上に降りるきっかけを掴めたんだから、悪い事ばかりじゃなかったけど」


「ん? どういうことだ?」


「カインが逃げ出して、家は私に次のつがいをあてがおうとしたんだけど、私はそれを片っ端から拒否したわ。『冒涜者の女につがいをとられるなんて、天使族の恥だから、私はこの手でカインとリエを倒して汚名を返上したい』って、その一点張りでね。一応、天使族の建前としては完璧に正しい理屈だから、親族も何もいえなくて、最終的には厄介払いがてら、私は地上行きを許されたのよ」


「なるほどな……。というか、今の話だと、ラブラも俺と同じで一度も繁殖したことがないという結論に至る訳だが」


「そ、そうよ。悪い?」


 ラブラは顔を真っ赤にして、開き直るように言った。


 先ほどまでの不快な感覚が一気に霧消する。


 まだ、彼女が誰のものでもないことに自分は安堵しているのだ。


「いや、悪くないが。うむ……。そうか。やはり」


 フレドは納得して頷いた。


 やはり、この感情はあれだ。


 これは、明らかに愛ではない。


 冒涜者の間では、時と場合によって、配偶者を切り替えるのはよくあることである。


 むしろ、相手に出産経験があったりすれば、それは実績があり、繁殖相手として優秀だということで、好意的に捉えられるのだ。


 なのに、今、自分はラブラが未経験なことに安心している。


 それは論理性のない幼稚な独占欲であり、そのような感情を彼女に対して抱いている以上、これは優れた配偶者を求める感情とは別のものだ。


 つまり、そこから導き出される結論は――


「どうやら、俺はお前に『恋』をしているらしい」


「ふ、ふぁ !? こここここここここここここここここ、こい !?」


 ラブラが興奮したニワトリのようにどもり倒しながら声を上ずらせる。


「ああ。恋だ」


「ふうー。はあー。ふうー。はあー。ふうー。はあー。私を馬鹿にするのも大概にしなさいよ! さ、さっきの今で騙されないわよ。どうせ、あれでしょ。『俺はお前たち全員に恋してるんだ!』とか、発火ネズミ並の交尾願望を発揮した世迷言をほざくんでしょ。これだから、性欲の強い冒涜者は困るわ!」


 大きく深呼吸を三回繰り返したラブラが、フレドをねめつける。


「いや、この感情は初めてだし、お前に対してだけ、特別に抱いている感情だ」


「あ、あんた、ほ、本当の本当の本気なの? 大体、いきなりなに言ってんのよ! それ、今言わなきゃいけないこと?」


「いや、すまん。わからないことは解明しないと気が済まない性質でな。俺より、ラブラの方が恋についての情報を多く持ってるから、恋かどうかの真偽を判断して欲しかったんだ」


 フレドは気まずさに頭を掻いた。


 仕事に必要ないと言われればその通りなのだが、一応、今は逢瀬しているという設定だから、駄弁も許されると思ったのだ。


「真偽って……。知らないけど、カインとリエをみてると、恋って、もっと制御不能で厄介なものなんじゃないの。あんたみたいにあれこれ理屈をこねられる時点で恋っていえるのかかしら」


 ラブラが小首を傾げる。


「それは理性で抑えているだけだ。ラブラといると心臓が早鐘のように脈打つ。お前のことを考える時間が増えて、もっともっと深く、お前のことを知りたいと思ってしまう。なにが好きで、嫌いか。一挙手一投足が気になって仕方がない」


 フレドは素直に今の気持ちを吐露した。


「ふむふむなるほどね……。っていうか、もしそれが恋の証拠なら、私もあんたに恋をしてるって話になっちゃうじゃない! アホ!」


「……そうなのか? つまり、ラブラも俺に対して同じような感情を――」


「あっ、ヤバ! 今のなし! なし! なしいいいいいい! もう私ってば何言ってんのよ! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 ラブラが髪を振り乱して走り出す。


「あっ!」


 そして、すぐに蹴躓いた。


 カカッ。


 フレドは素早く踵でタップを二回。


 足長うさぎ製の靴が瞬時に加速する。


 すぐに転びそうになったラブラに追いついたフレドは、そっとその肩を支える。


「大丈夫か?」


「あ、ありがとう」


「ラブラ。お前、もしかして、右脚を悪くしてないか?」


 フレドは相当程度の確信を持ってそう尋ねた。


「……どうしてわかったの?」


「身体の重心の位置が変わってるだろ。動きで分かる。もし体調が悪いなら、正直に言ってくれ。いざという時に動けないと作戦に支障が出る」


 素直に「お前の身体が心配だ」といっても答えてくれなさそうが気がしたフレドは、敢えて厳しめの口調でそう問い詰めた。


「……魔法の代償よ。この半端な羽で魔法を使おうとすると、身体の中にたまるのよ。大抵は自然に抜けていくけど、一部はそのまま変な感じで残っちゃうの。その影響。ふう、全く困っちゃうわよね」


 ラブラがどこか達観したような口調で呟く。


「もしかして、フネに乗ることも負担になっているのか?」


 キメラに襲われた村を出てから一月ほど経つが、その間にラブラをかなり戦闘で使ってしまっている。もし、フネに乗ったせいでダメージを受けているなら看過できない事態だ。


「ああ、それは全然問題ないわよ。あれは質料を放出しているだけだから。私の身体の内部で色と質料を使って魔法を作らなければ、障害は発生しないわ」


 ラブラはあっけらかんとそう言い放った。


「本当だな?」


「嘘をついて私になんの得があるのよ。本当に大丈夫だって。それに、生身で魔法を使っても、大規模なやつじゃなくて、日常レベルの魔法なら、ほぼ影響は無いだから。――それにしても、あんたに簡単に見破られるようじゃダメね。風魔法でバレないようにうまいこと誤魔化せていたつもりだったんだけど」


 ラブラはそう呟いて、干したモンスターの肉が並ぶ店のウィンドウに映る自らの姿を見つめた。右脚を調節するように曲げ伸ばしして、その場で何度か足踏みする。


 フレドに直接魔法を感じ取る力はないが、それでも今彼女がなにをしているかは分かる。


「やめろ。無理するな」


 フレドはいてもたってもいられなくなって、ラブラの腕を掴んで引き寄せた。


「ふ、フレド。話、聞いてた? これくらいの魔法なら大したことないって言ったでしょ」


「それでも、全く影響が皆無って訳じゃないんだろう。だったら、今は俺がいるんだから、わざわざ魔法を使う必要はないじゃないか」


「……そ、そうね。で、でも、勘違いしないでよ! わ、私はまだ、あんたに恋してるって認めた訳じゃないんだから!」


「ああ。それで構わない。よく考えたら、今、俺の抱いているこの感情が――もしくは、俺たちの関係が、本当の恋であろうがなかろうが、今、二人でやるべきことは変わらないじゃないか。どちらにしろ、『恋であるように』振る舞えばいいだけだ」


 フレドは有言実行するように、ラブラと腕を組む。


「なにそれ、ずるい」


 ラブラはそう言いながらも、腕を組むことを拒否することもなく、頭をフレドの肩に預けてきた。


「そうやって俺たち冒涜者は生き残ってきたからな」


 フレドは悪戯っぽく、そううそぶいた。


 ラブラのうなじからは、熟しきった果実のような甘い香りがする。


 不妊手術をほどこされた冒涜者の娼婦のように香水をつけている訳でもないだろうに、どうしてこんないい匂いがするのか。


 世界にはまだまだ知らないことが多く、フレドの知的好奇心は尽きない。


 そのまま、ぶらりと周辺を散策する。


 街は広いが、その実、自由に行動が許されている区域は狭い。


 多くの場所が、軍事関係で立ち入り禁止になっているからだ。


 なので、ゆっくり回っても、半日もあれば、すぐにやることがなくなってしまう。


「……想像以上につまらないわね。売ってる商品は、私にはよくわからない武器か、高くて買えないモンスターの部位くらいしかないし。ご飯はフレドがつくるやつの方がずっとおいしいじゃない」


 ラブラが唇を尖らせる。


 フレドとしては、ラブラと色んな話ができたので楽しかったが、彼女はどうやらご不満らしい。


「ああ。まあそもそも観光目的でつくられた都市ではないから、そこらへんは仕方のないことだ。でも、これだけ回れば、衆目の印象には残っただろうから、目的は果たしただろう。……そろそろ時間だし、もうちょっとマシなものを観に行くか」


 フレドはポケットから懐中時計を取り出し、現在の時刻を確認してからそう呟いた。


「えっ! なになに? なんかおもしろいのがあるの?」


 ラブラが期待に瞳を輝かせる。


「そろそろ、街の中心にあるイリニ劇場で、芝居が始まる。この街で唯一といっていい娯楽だ」


「へえー。そんなもの、よくこの辛気臭い街が受け入れているわね」


「ああ。ある意味で、イリニ劇場は、俺たちと同類だからな。この街がつくられた時、両種族の停戦の象徴として建設された。そういう経緯もあって、この街じゃ珍しく、演者も天使族と冒涜者の両方が入り混じっている」


 もちろん、歴史の中で、両種族の対立が深まる度、何度も劇場を取り壊そうという動きがあったらしい。しかし、潰すとして、どちらの責任になるのかという問題や、両軍の上層部の中にも、大っぴらには公言しないものの少なからずファンがいたおかげで、今日まで生きながらえているという、何ともしぶとい施設だった。


「へえー。楽しそうじゃない! さっさと行きましょ! 歩きっぱなしで疲れたわ!」


 ラブラが急かすように腕を引く。


 それに釣られて、フレドも足早にイリニ劇場に向かった。

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