第二章 ヨーク狂詩曲
第15話 中立都市ヨーク(1)
ヨークは、残丘に築かれた山岳都市である。
標高二○○○メートル級の山腹を切り開いて築かれたそれは、まさに、天と地のはざまにあり、両種族の交流拠点としてふさわしい位置に厳として屹立していた。
両種族の戦闘が禁止され、自治権を有し、商業的自由が保障されている中立都市ヨーク。――そんな表面的な説明をうのみにして、のどかで開放的な風景を期待した新米兵士をまず絶望させるのが、武骨な要塞だ。
実用一辺倒で構築された城壁は、景観というものが一切考慮されておらず、一度中に入ってしまえば、外の景色はろくに拝めない。
さらに、地上、空中問わず、街の中を常時巡回する兵士たちの醸し出すピリついた空気を浴びれば、観光気分は一瞬にして霧散するだろう。
そんな街中を、フレドはラブラと連れ立って歩いていた。
「もうちょっと、離れなさいよ」
「離れたら意味がないだろう。配偶者とはいわずとも、少なくとも、友人以上の関係に見えるような、親密な距離感を維持する必要がある」
天使族は個人主義だからか、冒涜者よりも、そもそものパーソナルスペースが広い傾向にあるらしい。
肩が触れ合いそうな距離で歩こうとするフレドと、二歩分の距離を保ちたいラブラの間で、暗闘が繰り広げられる。
傍から見れば、機嫌を損ねたラブラの歓心を引こうと、フレドが甘言を囁いている構図にでも見えるのであろうか。
そう思うと、フレドも急にくすぐったい気分になるのだが、それでもやるべきことをおろそかにするほど、自分の感情を優先するようにはできていなかった。
「にしても近すぎでしょ! 親にもこんな近くで囁かれたことがないから、くすぐったいわ」
「よくイネルスとは密着として飛行しているのにか?」
「あの子は女だし、家族みたいなものだからいいのよ!」
「仲間になった以上は、俺のことも家族のようなものだと思ってくれていい」
フレドは真顔で言った。
「か、か、か、家族って! こ、これはあくまでも演技でしょ! 私はあんたと結婚なんて……。なんて……」
ラブラはフレドに聞き取れないほどの声で、もにょもにょと何かを呟いた。
「声を落とせ。誤解するな。配偶者という意味ではなく、共にフネに乗ると決めた以上は家族くらい信頼して、お前に命を預ける覚悟があるという意味だ」
「な、なんだ。そういうことね……。はあ、それにしても、中立都市っていうから、もうちょっと気楽な感じかと思ってたのに、なんなのよこの息苦しさは。まるで戦時中みたいじゃない」
ラブラは小さく息を吐き出して、何かを誤魔化すように呟いた。
どうやら、ラブラは天使族と冒涜者のカップルが、和気あいあいと街中のそこかしこを散歩しているような場所を想像していたらしいが、それは無茶というものだ。
両種族がヨークにおいて共闘しているからといって、打ち解けているかといえばそれはまた別問題だ。中立都市の意味する『中立』とは、『両者が鉢合わせしても殺し合いには発展しない』程度の意味でしかない。
冒涜者は冒涜者の商会をつくり、天使族は天使族で物々交換専用の『クモ』に引きこもって、お互いのテリトリーを保っている。
つまり、この地域の住民は、両種族の『るつぼ』ではなく、『サラダボウル』スタイルで暮らしているのだ。
「そりゃ対モンスター防衛網の最前線だからな。そもそも、この街は、成り立ちからして、軍事拠点として造られたんだし」
「はあ。よく考えれば当たり前よね。この先には、『世界の果て』の一つの、『死の山』があるんだから。私たちが一人前として認められるための通過儀礼でも、死の山でモンスターを狩ってくると一目置かれるのよ」
若干落ち着きを取り戻したラブラが、フレドに歩み寄ってきた。
拳三つ分ほどの距離。
これが、彼女の妥協ラインの限界らしい。
「ああ。死の山――俺たちはダルタロス火山と呼んでいるが、あそこのモンスターは強いからな」
この世界の生存限界は、すなわちプールであり、そこにはいずれも陽光を遮るほどの途方もない数のモンスターが群生している。プールは定期的にモンスターが溜まる度、スタンピードを起こして、天使族、冒涜者の区別なくその命を奪うことは共通しているが、それには地域によって各々の特性があった。
すなわち、激雨~集雷級の弱いモンスターが大量に湧くタイプのプールは、スタンピードから次のスタンピードまでの間隔が短く、爆石~地震級の強いモンスターが湧くタイプのプールはその逆である。
ダルタロス火山は後者であり、前のスタンピードはもはや数千年前に遡る。その時のすさまじさたるや、日頃反目し合っている両種族が、否が応でも共闘して要塞を築く必要性を痛感するほどの被害だったらしい。
何とかスタンピードを凌いでから、ヨークの統治権をどちらが握るかで、また幾度かの戦争があり、結局、中立都市として自治権をもたせることで落ち着いたのだ。
「でも、そんな所に逃げ込むんだから、カインとリエも大した度胸よね。敵ながら、そこは尊敬するわ」
「まあ、ずっと腰を落ち着けているというわけではないだろうがな。フネを火山に隠しておいて、日頃はヨークに潜伏しているというのが有力な分析だ」
「そんなふうに隠れてる二人を見つけられるかしら。悪いけど、イネルスもあんたの相棒も、情報収集に向いているとは思えないわ」
ラブラが首を傾げる。
確かに、イネルスもシズも対人的な諜報活動に向いているタイプではない。
一応二人に仕事を与えてはいるが、そうした主な理由は、四人一緒に歩いていると、ラブラとフレドが睦まじい関係に見えないからである。
「そっちはメインじゃないからな。こうして、俺たちが親密にしている姿を周囲に見せつけて、ヨークの街に『異物』の噂をばらまく。やがて、自分たち以外にも親密な関係にある天使族と冒涜者がいるという情報を聞きつけたリエとカインは、俺たちに興味を持って、きっと向こうの方からこっちに接触してくるはずだ。闇雲に街中を探すよりはずっと効率的だろう」
「確かに、嫌な視線はバシバシ感じるわね。この感じなら、噂はすぐに広まるでしょうけど、私たちが仲良くしているからって、本当に向こうから私たちに会いにくるの? 普通、罠だって思うんじゃない」
ラブラがちらりと雑踏を一瞥して言う。
地を歩く冒涜者たちは、フレドたちを避けて通り、これみよがしに何かを囁き合っている。
空中を舞う天使族はこちらに侮蔑の一瞥を寄越すのがほとんどだが、たまに嫌がらせに痰を吐きかけてくる輩もいるので、上には常に注意していなければならない。
「来る。リエは俺が軍部の異端者だと知っているし、そもそも、興味を持ったことには首を突っ込まずにいられない女だ。今まで一切生殖活動に関心をもたなかった俺が、初めて興味をもったのが天使族だと知れば、嬉々として根ほり葉ほり事情を聞き出そうとしてくるに違いない」
「随分確信を持っていうじゃない」
「シズから散々愚痴を聞かされてきたし、数回しか会ったことはないが、その時の印象があまりにも強かったからな。そもそも、『常識』が通用する冒涜者ならば、天使族と駆け落ちするようなぶっとんだ真似はできないだろ」
「それもそうね――っていうか、今まであんた、一度も繁殖したことがないんだ。ふーん」
ラブラはそう言って、にやにやと口元を緩ませる。
もしかして、自分は馬鹿にされているのだろうか。
いや、確かに繁殖相手を見つけられないということは、生物的に劣等だと考える冒涜者は多いが、ラブラのはそういう悪意のこもった笑みではなさそうだ。
考えすぎか。
「そうだが? ――そもそも、二人ともこのまま潜伏していてもジリ貧だということはよくわかっているはずだ。だとすれば、現在の軍の情報や、何らかの妥協点がないか、俺たちと接触して確かめたいと思うのは当然だろう。他に選択肢がないからな」
「それはそうよね。このまま隠れていても、いずれかは追手に捕まるか、モンスターに食われるかの二択しかないわ」
「ああ。まあ、もし、俺の推測が外れるとすれば、カインの方がリエを強硬に制止した場合くらいだろうな。だけど、もしあいつの暴走を止められる奴がいたなら、俺は逆に尊敬するよ」
「そんなに個性の強い人物なら、止めるのは無理でしょうね。カインには。あいつ、流されやすそうだもの」
「その口ぶり、面識があるのか?」
「一回だけね。一応、私はあいつとつがわされる予定だったから、将来のための顔合わせみたいな感じ。家のゴリ押しでね。冒涜者の言葉でいうと……許嫁、だっけ? そんな感じで、嫌われ者の私をあてがわれるくらいだから、なんていうか、色んな厄介ごとを押し付けられやすいタイプなんだと思うわ」
「そうか……」
『許嫁』、その言葉を聞いた時、フレドの胸はちくりと痛んだ。
この感情は、久しく忘れていたが、一度だけ経験がある。
かつて、自分が『師匠』に対して抱いたもの――その名を『嫉妬』と呼ぶ。
あの人は、自分では及びもつかないようなメカニックと操縦技術を持っていた。
フレドは、あの圧倒的な力に追いつこうと、学び、実践し、今の自分を手に入れたのである。
つまり、嫉妬とは、自分が持っていないものを有している他者に対して抱く感情である。
今回の場合、カインは優れた天使族であることは以前から知っていた。そして、今までずっと嫉妬を感じたことはなかった。ということは、カインの能力そのものに嫉妬している訳ではないのだ。であるならば、今回、唯一の新たに加わった変数はラブラであり、自分は、カインがラブラの許嫁であるということに対して嫉妬しているという結論に至る。
(許嫁とは、独占的に繁殖する権利だよな。つまり、自分はラブラの配偶者になりたいと思っているのか?)
いや、違う。
似ているが違う。
今の自分の感情は、配偶者の決定のような、将来を見据えた、計画的なものではない。
今のフレドには、ラブラと子孫を残して安穏に生活している光景はとても想像できない。
ただ、彼女と一緒に時を過ごすのが心地よく、もっと一緒にいたいと感じる――そんな、刹那的で衝動的なものなのだ。
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