第17話 イリニ劇場(1)

 劇場前のチケット売り場が、冒涜者用と天使族用に分けられている。


 冒涜者用は地上。天使族用は地上一○メートル以上の高さの空中――小型の『クモ』の中にある。


 まだ開演時間まで若干時間があるので、人影はまばらだ。


「ラブラ」


「大丈夫よ。登って、降りるだけ。一瞬だから、大して力は使わない」


 ラブラは微笑を浮かべ、フレドと組んでいた腕をほどいた。


「それならいいが」


 フレドは、予約席表の掲示板――格子状に席割りの記された鉄板の、予約済みの箇所に、磁性のある小石を並べている――を一瞥する。


 劇場もまた、中央の通路を境に、天使族と冒涜者で左右に二分されているので、ラブラの近くに座るには、中央道路際の席を選択する必要がある。


「――C1~Q1が空いているな。どこでもいいから、今いった範囲に対応する位置の席が空いているか、上で確認してくれ」


 フレドはそう呟いて、腹の付近にあるポケットから、ヨークで流通している通貨を取り出し、投げ渡す。


 そもそも、通路際の席は人気が薄いものだが、天使族と少しでも距離を取りたい思いからか、すき好んで左端の席を選ぶ冒涜者は少ない。


 それでも、A1とB1が埋まってるということはそれなりに人気のある劇のようだ。


「三列目~一七列目の間の、右端で空いている席よね? わかったわ」


 ラブラはコインをキャッチして、一気に跳躍した。


 そもそもの身体能力に加え、魔法で強化された脚力でクモの上へと着地する。


 ……。


 ……。


「フレドー!」


「どうした? 決まったか」


 降り注ぐ呼び声に、フレドは顔を上げる。


「それが聞いてよ! こいつ、ふざけてんのよ! 通路際の席は全部空いてるクセに、私には売らないって言うの!」


 ラブラは、チケット販売員らしい中年の女の天使族をヘッドロックしながら、こちらに晒してくる。


「お客様、申し上げている通り、事前に別のお客様に予約を頂いていたことを私が失念しておりまして――」


「ありえないでしょうが。あんたが、『通路側でよろしいですか? 内側の席も空いておりますが』とか言って、私が『いいのよ。下にいるフレドと一緒に座りたいから』って、言った途端に、今まで人気なかった席が全部埋まるって。あんた、私を馬鹿にしてんの?」


 どうやら、ラブラは正直にフレドと座ると言ってしまったらしい。


 世慣れていれば、適当に誤魔化した方が上手くいくと自然に分かるはずなのだが、箱入り娘だったラブラにそこらへんの機微を理解しろというのも酷だろう。


 やがて、冒涜者側のチケット売り場からも販売員が出てきて、せっせと予約表の通路際の席にチケット売約済みの石を置き始めた。


「なんだ。通路際は全部埋まってしまったのか? 今買おうと思っていたところなんだが」


 フレドはわざとらしい口調で尋ねる。


「……ええ、たった今、団体様の予約が入りまして」


 販売員が、天使族のそれと同じく、マニュアルじみた口調で答えた。


 どうやら、彼女たちには通達が届いているらしい。


 劇場は、常に天使族と冒涜者のいざこざに巻き込まれることを恐れている。


 しかも、今は特に敏感な情勢だ。


 カインとリエがこの街付近に潜伏していることは、公にはされていないが、隠してはおけないビッグスキャンダルである。


 もし、二人がやってきてそれを看過していたら、劇場を快く思わない存在から、反逆者に密会の場を提供したなどのいいがかりをつけられかねない。そのための用心だろう。


 まあ、それでなくとも、公の場で天使族と冒涜者が睦まじくしていると、他の客からクレームがくるという懸念もあるかもしれないが。


「ふう……。お前たちが争いの芽を事前に摘んでおきたいというのはわかる。だが、こっちも軍の任務なんだ。何とか融通してもらえないか。断られると、こっちにも、報告義務というものがあるんでな。面倒なことにしたくない」


 フレドは、大げさに肩をすくめてみせる。


 まるで、ラブラとの逢瀬は本意ではないとでもいうように。


「なるほど、そうでしたか。――少々お待ちください。上と相談して参ります」


 冒涜者の販売員は若干表情を和らげて、劇場の奥へと駆けていく。


 ラブラが天使族の販売員とギャーギャー口論するのをなだめていると、やがて冒涜者の販売員が戻ってくる。


「お待たせしました。結論から申し上げますと、やはり、通路際の席は全て予約済みでした。お客様のご期待にお応えできず申し訳ありません」


 販売員が深々と頭を下げる。


「ふむ。それで?」


「ですが、お客様に不快な思いをさせたままお帰り頂くのは心苦しいと、支配人は申しております。そこで、お詫びにといってはなんですが、チケットを個室の特別者席にグレードアップさせて頂く形でご納得頂けないかと。ただし、重ね重ね申し訳ありませんが、こちらの席も少々難ありでして」


 販売員が含みを持たせた口調で呟いた。


「というと?」


「はい。今回、偶然、ペアの特別者席にキャンセルが出たのですが、他の特別者席は全て埋まっております。ですが、不覚にも、同じようにこちらの不手際でご迷惑をおかけしたお客様がもう一人おられまして、実はそちらの方が天使族なのです。つきましては、お嫌でしょうが、そのお客様と、『相席』をお願いできますでしょうか。『クモ』型のお席ですが、ボーイもつけますので、ご不便はかけません」


 販売員がもったいぶった口調で言う。


「ああ、なるほどな。隔離された個室なら周りの観客への影響はない。ボーイという名の監視もつけられるし、一石二鳥といったところか」


 あくまで、劇場側は、フレドとラブラを連れだと認めない。


 公式にはそういう見解ということだ。


「お客様……」


「いや、わかってる。仕方ないな。相席でいい」


『わかっているだろ』的な目をする販売員に、フレドはそれっぽく答えた。


「フレドー! なんかわかんないけど、一緒に座っていいってー!」


「お、お客様、お静かに願います!」


 どうやら、同じことを説明されていたらしいラブラが、にこにこ顔でこちらに飛び降りてきた。


 フレドも販売員に通常席分のチケット代を払い、入り口へと進む。


 チケットの半券をモギリに渡すと、二人して中に入った。

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