第13話 歴戦

 迫る脅威を前に、ラブラは闇雲に右へと跳んだ。


 空を飛べない自分が回避行動をとったところで、あのでたらめな光線の効果範囲から逃れられないことはわかっていた。


 それでも、何もせずに敗れるのは嫌だったのだ。


 瞳を閉じる。


 ……。


 ……。


 ……。


 必然的に来るべき死。


 ところが、その瞬間はいつまでもやってこない。


『どうやら、死んではいないようだな』


 くぐもった声が、耳朶に響く。


 自分がフネの腕と脚の隙間に抱き留められているのだと理解するまでに、数瞬を要した。


 敵の一撃は、フネのすぐ真横をかすめていったようだ。


「あんたたち――なんで!」


『説明している余裕はない。とにかく遠くまで蹴り上げるが、大丈夫か?』


 労るような声音に、身体の芯が熱くなる。


 いや、今はそんなことを気にしている場合じゃない。


「イネルスを呼べば多分。まだ近くにいるはずだから――って、そうじゃないわよ。あんたたち、そんな弱い質料しかないフネで、あの化け物を倒すつもり !?」


 フネから感じる力は、ごく微弱なものだった。


 死んだ天使族の遺骸は多くの力を失うとはいえ、おそらくそもそもの元になった個体自体が貧弱だったのだ。


 老いた老婆か、それとも、年端もいかない子どもか、ともかく天使族ならばまともな戦力として数えられないような存在である。


『俺たちはいつだって弱いさ。だからこそ、強すぎる奴には負けない』


 フネの機体を通じて伝わる矛盾に満ちた言葉。


 だけど、不思議と納得してしまう自分がいた。


 フネが腰にひねりを加えてフレドを投げ飛ばす。


 再度、ラブラの身体が斜め上に浮遊した。


『ヒュー』と口笛を吹く。


 もはや魔法とすらいえないが、わずかに風魔法を含んだ救援信号は、遠くまで鳴り響いた。


「お嬢様あああああああ! よくご無事で!」


 地面に落下するギリギリ手前で、イネルスがすかさずラブラをキャッチする。


「なんとかね。あいつらの迷惑にならないように離れましょう」


 戦線を離脱しながらも、ラブラはフレドたちの操るフネから目を離せないでいた。


 合体したキメラは、全てがフレドたちのフネよりも『巨大』である。


 体格差で一○倍、保有する魔法力なら云百倍の力を有する相手にどう抗おうというのか、ラブラには想像もつかない。


「危ない!」


 思わず叫んだ。


 容赦ない炎雷の濁流がフネに向けて放たれる。


 しかし――


「ひええええええええ! お嬢様、あいつら、波に乗ってますうううううう!」


「信じられないわね……」


 木の幹を足場代わりにして、濁流を逆走している。


 後ろ手に持った刃に、器用に雷撃を当てて吸収することで、推力にしているのだ。


 言葉にすれば簡単に思えるその所業は、フネに関して素人のラブラでも、達人だと直感できるほどのすごさだった。


 足場にするとはいっても、木の幹は炎に焼かれて秒単位で燃え落ちていくのである。


 その都度、的確に巻き上げられた次の足場にジャンプしながら、同時に不規則に襲来する雷を捌き続けるなんて、一体どんな反射神経とバランス感覚をしているのか。


 それは決して激しい動きではない。


 敵のビームがあればそれに乗り、攻撃の合間にはじっと力を蓄える。


 何度も、何度も、何度も。


 単調で危険極まりない反復作業を飽きもせずに繰り返すのだ。


 それは、宙を舞う木の葉。


 幾度殴りつけても飄々と宙を舞い続ける鴻毛のような、とらえどころのなく地道な攻防である。


 それは、ラブラたちとは全く違う力学で編み上げられた戦術だった。


 天使族の戦い方は単純である。スピードが欲しいなら、より強い速い獣を食らえばいい。火は水で消せばいいし、木は火で燃やせばいい。


 力はより強い力でねじ伏せる。その在り方を剛とすれば、フレドたちの戦い方は柔の技術の神髄だった。


(なんて美しいのかしら)


 思わず、ラブラはみとれる。


 それは、まるで神話の再現であった。


 独立王アニマは、かつて、その子どものような矮躯で、不遜なる冒涜者の、山のごとき巨大なる要塞を打ち砕いたという。


 皮肉にも、冒涜者である彼らが、そのアニマと重なって見えた。


(違う。あれが、冒涜者の『文明』)


 フレドたちのフネは、偉大なる独立王が有していた魔法力と比べれば、あまりにも貧弱な、羽虫のごとき弱さだった。


 天使族が血を錬磨していったように、冒涜者は少ない力でいかに効率的に成果を得るか――すなわち、知の力を錬磨していった。


 その集大成が、フレドたちなのだ。


 だが、あれは『普通』ではないだろう。


 もし、あれが冒涜者の標準であれば、とうの昔に天使族は滅ぼされているはずだ。


(なにが『普通じゃない』よ)


 確かに、フレドたちは普通じゃない。


 ラブラはそれを勝手に、集団の中での落ちこぼれだと解釈していたが、実質はその逆だった。


 彼らもまた、選ばれし者だったということだ。


(……そう。だから、私たちの力が欲しいのね)


 ラブラはようやくフレドの言わんとすることを理解した。


 弱い質料ですらあれほどに上手く使うフレドたちが、ラブラたちの強大な魔法力を得たならば、なるほど、今までにない強大な力を得るだろう。もし共闘することができれば、モンスターの討伐は楽になるに違いない。


 そう気付いてからは、不思議と目の前の戦闘を落ち着いて見守ることができた。


 フレドたちが勝つことは、もはや当然のことと思われたのである。


 その確信の正しさを証明するように、フレドたちのフネは着実に貪沼との距離を縮めていった。


 幾度目かのビームが放たれるその瞬間に、貪沼の胸に開く大穴。


 フネは刹那の隙をついてその中へと飛び込み、鎧の内部へと侵入する。


 火と鎧をつないでいた連結部――すなわち、水の貪沼の蛇は瞬く間に斬り捨てられ、溶け落ちていく。


 余勢を駆って、フネは火と風の貪沼を切り離しにかかる。


 風の貪沼は動けない。


 突然の出来事に理解が追い付かず、内部に侵入したフネを攻撃しようにも、もはや合体して自身の一部と化した上体を貫くことを躊躇する。


 中途半端な知能が仇となった。


 火の貪沼の足と、雲のごとき風の貪沼をつないでいた蛇は、一刀両断に斬り捨てられる。強大な力が、ただのガスとして霧散していく。


 残るは火の貪沼一体のみ。


 最後の蛇は、身体の奥深くに隠れている。


 しかし、それも時間の問題だった。


 三体の連携攻撃に比べれば、火の貪沼が繰り出す炎弾など、児戯に等しい。


 フレドたちのフネは、水の貪沼が抱えていた兵器を回収し、冷静に対処していく。


 まずは足を砕き、行動の自由を奪う。


 次に腕を破壊し、攻撃の手段を無力化する。


 まるで、大鳥の肉を捌いたあの時のようなシステマチックさで、火の貪沼は無力化されていった。


 やがて、全てが終わり、森に静寂が満ちる頃、後には、幾多の命の焦げた異臭だけが残される。


 フネがゆっくりとこちらに歩みよってきた。


 ラブラたちは更地となった地表に着陸する。


「よっと。元気か?」


 フネから出てきたフレドが、はにかみながら片手を挙げる。


「あ、あ、あ、あんたたち、そんなに強いなら、最初からそう言いなさいよおおおおお! あいつらに勝てる確信があったんでしょうが!」


『ありがとう』などと言おうとして、でも照れくさくて、思わずそんな言葉が口をついて出た。


「確信はない。勝算としては七割くらいだな。事実、一回でも操縦ミスがあれば死んでたし。それでもきわどい運用だったんだ、あれは」


「やっぱり勝てる可能性の方が高かったんじゃない」


「しかしな、それでも同じような戦闘を二回繰り返せば、半分以上の確率で死ぬんだぞ? 無茶をしていれば、いずれはな」


 フレドは困ったような顔で頭を掻いた。


「あのー、もしかして、お二人は有名な方なんですか?」


「ええー! 私、地上に降りるために色々冒涜者の情報を調べてたけど、そんな話、聞いたことないんだけど!」


「そりゃ知らないだろうさ。ボクたちは天使族との戦争の前線に出るのは避けてモンスターばっかり狩っていたから、天使族の間での知名度は低いはずだ。『不殺』のフレドと、『万眼』のシズ。冒涜者の間では、そこそこ名の知れた存在だぞ。色んな意味でな」


 シズが皮肉っぽく呟く。


「いうほどか? 天使族との戦争を拒否している冒涜者がいると知れると士気が下がるって、俺たちの存在は大っぴらにされてなかったはずだが」


「ふう。フレドは本当に世評に鈍感だな。隠しても隠し通せてないという話だ。当たり前だろう。天才的メカニックでもあり、稀代の操縦士のお前と、最高の観測士であるボクが組んでるんだから。軍の英雄といえば、姉貴。鬼才といえばボクとフレド。常識だ。いや、『だった』だな。今はこうして姉貴共々、仲良く中央部からつまはじきだ」


 首を傾げるフレドにシズが呆れたように溜息をつく。


 きっと、フレドは他人と自分の力を比較することには、まるで興味がないのだろう。


 重要なのは、自分の夢を実現するにふさわしい力を手に入れられるかどうか。


 そのために必要なことをやっていただけに違いない。


「後ろ向きなお前にしては、珍しく前向きで自信過剰な発言だな」


「事実だからな。そして、不幸の原因でもある。大体、ボクたちが今までどれだけ、軍部に貢献してきたと思っている。本当ならもっと出世していてもいいはずなんだぞ。この前の戦争に向けた軍需物資の調達だって、ボクたち以外の誰ができた? 一ヶ月でミスリルゴーレム六○体分集めてこいとか、無茶もいいところだったぞ」


「まあ、仕方ないんじゃないか。俺たちは、狩ったモンスターの材料を全部軍部には納めてないからな。いいパーツは自分たちで使って、残りカスを上に投げてる。俺たちからすれば当然の権利だが、奴らは横領だと思っているだろうし」


「『たち』じゃない。勝手にボクを巻き込むな」


 シズが嫌そうに顔をしかめた。


「ちょ、ちょっと待って……。ミスリルゴーレムって言った? 私、防御力を強化するために洞窟に向かった天使族が、八本の腕を持った、ゴーレムかフネかわからない化け物を見たっていう噂を聞いたことがあるんだけど……」


 ラブラは頭痛をこらえるようにこめかみを押さえて呟く。


「ああ、それは俺たちだな。該当するようなモンスターはいないし、一般の軍用の対ゴーレム装備は四本腕だ」


「で、でも、今乗ってるそのフネと、噂のフネは全然形が違うじゃない!」


「普通の冒涜者は同じ機体を使い続けるが、俺たちは必要に応じて乗り換えているからなあ」


 フレドは当然のごとくそう言い放つ。


「じゃあ、もしかして、西部からワイバーンの群れが根こそぎいなくなったのもお二人の?」


 イネルスがうかがうような視線をフレドたちに送る。


「いやいや、それは俺たちじゃない」


 フレドは疑問を一笑に付す。


「ほっ。そうよね。そうなんでもかんでも正体不明の伝説があんたたちな訳――」


「ワイバーンを目標に討伐に向かったんだが、奴らは、異常発生した軍隊バッタの群れに食い殺された後だった。まあ、そこで俺たちは羽の材質としてはワイバーンに劣るが、飛行装置の数を集めるにはちょうどいいということで奴らを一網打尽にしたんだ。軍に求められるのは質より量だからな」


「あれは気持ち悪かったなあ。ボクは二度とごめんだ」


 シズが鳥肌を抑えるように腕を擦る。


「もおおおおおお、あんたたち、一体なんなのよおおおおおおおおおおおお!」


 ラブラの叫びが、森閑とした空に響き渡った。

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