第11話 貪沼(2)


「お嬢様? ――大丈夫ですか?」


 沈黙し俯くラブラの横顔を、イネルスが不安げ見つめてくる。


「ええ。どういう順番でさばこうか考えていただけ。右回りで行くわよ!」


 敵は三角形の形に分散している。


 感じる魔法の属性は、左から順に、火、水、風だ。


 この中で、一番挑発するのを先延ばしにしたいのは火タイプである。


 下手に刺激して大規模な爆炎魔法でも使われて、森全体が大火事になれば、火と煙に巻かれて犠牲者が増えることが予測できるからだ。


 となると、右から、風、水、火の順で注意を引くのがいいだろう。


「いました。風の『貪沼』です」


 イネルスが囁く。


 それは、さながら稲妻を纏った巨大な雲のようであった。


 その表面、三六○度全てを埋め尽くす獅子の顔、かつては尾であったであろう蛇が髭のように張り付いて、あたかも人を嘲弄する猫のような表情を作り出している。大きさは、フレドたちが乗っていたフネの一○倍はあるだろうか。やはり、かなり力を食らった個体のようだ。


 それは、周囲の木々から風の力を吸い取り、青葉を枯葉に変えながら、冒涜者の背を目指して驀進を続けていた。


 瞬間ごとに、命が散っていく。


「不縛なる風は眠れる水を運び、猛き火を鎮め、傲慢なる火は風を糧に空を欲す。されど忘るることなかれ、何物にも侵されず、何物も侵さぬ沈黙の土」


 復習するように暗唱する。


 魔法にはそれぞれ相性があり、今回の敵の場合、有効なのは火の魔法となる。


 魔法とは、色と質料の積。


 モンスターから摂取した魔法の構成元素たる色をたき火とするならば、天使族が生まれながらに有する質料はたき木と同じだ。


 どちらか一方では成り立たず、どんなに片方が強くとも、もう片方が弱ければ、弱い方に引っ張られてしまう。


 故に、質料の大きい貴種は尊重されるのであるが――


「くうっ。やっぱりきついわね」


 ラブラは唇を噛みしめ、肉をえぐるごとき激痛に右胸を両手で押さえる。


 天使族にとっての羽は飛行手段である同時に、魔力増幅の役目も担っている。


 左の羽しかないラブラでも、脳は容赦なく両の翼で魔法を練るように指令を下す。


 不完全に生成された右の魔法は、本来羽のあるべき肩甲骨の付け根で滞留し、暴走し、やがて行き場をなくして、全身に環流する。


 その多くは、排泄時に外部に放流されるが、一部は血に、内臓に、骨に固着するという。


 いわば、それはやがてこの身を食らう病。


 ラブラは魔法を使う度、『お前は欠陥品だ』と罵られているようでいたたまれなかった。


 日常生活で使う程度の弱い魔法なら、ちょっとした不快感くらいで済むのだが、それでも、周りの目を盗んでちょっとした魔法の練習をする度に、澱は徐々に身体に蓄積していった。


 まだ外に悟られるほどの症状ではないが、すでに右の足と手の感覚が鈍くなっているのだ。


 ラブラが、まともなモンスターを食料として与えられなかった原因もここにある。


 もし、この余計な症状がなければ、最前線とは言わずとも、ラブラとて、強大な質料を持つ名家の一員として、固定砲台程度の役目は与えられた違いない。


「ファイアランス!」


 先ほど食した大鳥から得た火矢の魔法を、にやにや顔の塊に放つ。


 本来右に羽が存在したならば行使できたはずの、数分の一程度の威力。


 それでも、元の質料が大きいだけに、並ではない。


 ズグゥーン、と、腹に響くような重低音。


 かつて、全ての悪の源を解き放ったという、楽園に大穴を穿った巨人の鉄槌がごとき一撃が、塊を直撃する。


 ラブラの魔法は、敵の三分の一を吹き飛ばすが、またすぐに形状を取り戻した。


 わかってる。


 この程度で倒せるとははじめから思ってはいない。


「くるわよ! 森に潜って!」


「はい!」


 急降下する。


 瞬間、ビビビビビビと、雷光が周囲に轟いた。


 背中を向けるラブラたちに、枝のような側雷が木々の幹を破砕しながら迫ってくる。


 どうやら、敵を引き寄せることには成功したらしい。


 そうでなくては困る。


 ここに、冒涜者を一○○○人束ねても敵わないほどのおいしい餌が近くにあるのだから。


「次は水よ! 私たちが魔法を使わなくても、敵が勝手にやってくれそうね!」


「はいいいいいいいいいい!」


 イネルスが、返事なのか悲鳴なのかわからない叫び声を挙げる。


 仕方ない。


 一応、ラブラも風魔法で援護はしているが、イネルスは二人分の重量を負担しなければならないのだから。


 やがて、二体目が見えてくる。


 水の貪沼は、一見、巨大なスライムにも見えた。


 凝固した血液のような、半球状の濁った赤紫。


 その中に、隠し切れない醜悪を包んでいる。


(天使族の骨に、冒涜者のフネの残骸? なんでもありね!)


 道化が繰り出す手品のように、身体の至る所から銃口が飛び出して、無秩序に弾丸をひり出している。


「一瞬上に出るわよ!」


「うわあああああん!」


 森の上に顔を出す。


 再びこちらに狙いをつけた雷撃を誘導するように、水の貪沼に突っ込んだ。


「ウィンドシールド!」


 水の貪沼から狙いなくばらまかれる弾は、風の魔法で軌道を変えてやれば、そうそう当たることなどない。


「左へ!」


「ふええええええええ!」


 再び森に突っ込む。


 雷撃はより電流を通しやすい水の『貪沼』に直撃した。


 水の貪沼の弾幕が、こちらに集中する。


 早めに同士討ちを始めてくれれば――と思うが、そんなに甘くはないようだ。


 視覚のない水の貪沼は、より鋭敏にラブラたちの力を感じ取り、ヌメヌメした触手を伸ばしてくる。


 最後の一体は分かりやすい。


 焦げた臭いとどす黒い噴煙が、常に奴自身の居場所を示している。


「見えた!」


「きゃあ!」


 黒い炎に包まれた巨人――最後の一体の姿を認識するのと、身体が浮遊感に包まれるのは、ほぼ同時だった。


 敵の攻撃をしのぐことに気を取られ、対応が遅れる。


 そのまま、何本もの枝を下敷きに地面に叩きつけられる。


「ゴホッ。ゴホッ。イネルス! 大丈夫 !?」


 衝撃に咳き込む。


 何本か足と背中に枝が刺さった痛みはあるが、骨は折れていない。


 天使族は、脆い冒涜者とは違い、この程度のダメージならばすぐに回復する。


 ラブラは上を見上げる。


 巻き上げる黒煙に阻まれて、イネルスの姿はおぼろげにしか見えない。


「ご、ごめんなさい! 敵の弾が腕をかすめて――でも、大した傷じゃないです! 今、そちらに行きます!」


「逃げなさい! ここまできたら、私だけで大丈夫!」


 狼狽した声で叫ぶイネルスに、そう返答する。


 それは半分嘘で、半分本当だ。


(イネルスがいた方が成功率は上がるのだけれど、私のわがままには巻き込めないもの)


「でも、お嬢様を置いて従者の私が逃げる訳には――」


「時間がないわ! これは私からの命令よ!」


 咎めるような強い口調で叫ぶ。


「わ、わかりました!」


 やがて、イネルスの気配が遠ざかっていく。


 グ、グ、グ、オ。


 きしむ鉄骨のような鳴き声を上げて、炎の巨人がこちらを向く。


 黒煙に包まれた全身の中で、その巨大な単眼だけが、ギョロギョロと光っていた。


 突如乱入してきた雷撃と弾丸に混乱していた火の貪沼も、ようやく、今、優先的に狙うべき仇敵を認識したらしい。


 地獄さえも焼き尽くすほどの極炎が肥大していく。


「来なさいよ! 化け物。私はね、こう見えて、しぶといわよ? ――ソイルウォール」


 身体に密着するように、土の鎧をまとう。


 これはあくまで下準備。


 本番は、今、全力で練り上げている、この水魔法だ。


 といっても、魔法の元となる色は、ただのそこら辺に生息しているスライム。


 数はたくさん食べたとはいえ、酸性の粘液を吐き出すだけの存在を取り込んだところで、大した魔法は使えない。


(ああ! もう! 気持ち悪い! 右脚の感覚もなくなってきたし!)


 意地でも吐き気はこらえる。


 あんなにおいしいものを食べたのは、生まれて初めてだったのだ。吐いたら、思い出まで一緒になかったことになってしまう気がする。


 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!


 灼熱の奔流が眼前に迫る。


「ウォーターボール!」


 それは、ただの水の塊。


 天使族ならば、子どもが魔法の練習という名のお遊戯で披露するような、およそ戦闘向きとは言い難い魔法。


 しかし、これだけの規模で現出させられる子どもは、そうはいない。


 炎と水。


 相反する二つのエネルギーが激突する。


 隙間なく耳に土を詰め込んでいても伝わるほどの爆音。


 身体が宙を舞う。


(フレドの道具を壊しちゃったのは悪かったけど、失敗もしておくものね)


 爆風で破壊された土の鎧がボロボロと零れ落ちる。


 浮遊が自由落下に至るまでの数瞬、ラブラは自分の力で舞う悦びを堪能しながら、視線を前方に移した。


 キメラは視線のはるか向こう。


 三つの巨体が重なり合うのが見えた。


(これで大丈夫)


 いまのラブラは、相当量の魔法を使ったせいで消耗し、外に漏れ出る力も少なくなっている。


 質料が回復するまでは、敵に感知もされにくいはずだ。


 ――そう安堵した刹那、羽がぞわりと立つような悪寒。


「エア!」


 思考に先んじる本能で、ラブラは残った力を振り絞って魔法を放つ。


 放たれた突風は、わずか一拍の間、ラブラの身体を空中に押し上げた。


 たちまち足下を通過したのは、弾丸――いや、違う。


 それは弾丸というには太すぎる、炎と雷の濁流。


 まるで果物の薄皮を剥くようにたやすく、一直線に地面ごと森を抉り取る。


 羽をはばたかせて勢いを殺しながら、地面に転がって着地。


 ようやく上体を上げたラブラの視界が絶望に染まる。


(…………嘘……でしょ?)


 共食いするはずだった三体の貪沼は、しかしその予測とは真逆の様相を呈していた。


 それはさながら、紫雲に乗った邪神である。


 風の貪沼は、火の巨人の鎮座する玉座となり、本来属性的に相容れないはずの水の貪沼が、その鎧となって全身を覆っている。


 あまりにも卑小すぎるラブラを探しあぐねたような緩慢な動きで、巨人の瞳がラブラを捉えた。


 ウボボボボボボボボボボボ。


 巨人は興奮したゴリラのように胸を叩く。水の鎧は中心でぱっくりと割れ、地獄の門のように開いた。その中心に、雷撃を纏った粘液と炎が入り混じり、再び必死の光線が練り上げられていく。


(ここで終わりなの? まだ、死にたくない。死ぬわけにはいかない。まだ何も残してない! まだ、誰にも私を認めさせてないのに! 私が私の何たるかも知らないままで!)


 すでに、質料も色も尽き果て、魔法は使えない。


 右脚の感覚は鈍く、左足は震えている。


 それでもなお、ラブラは枝を杖の代わりにして立ち上がる。


(助けを求めたりはしない。私は天使族だもの)


 強者と戦って死ぬならば、それは摂理であって恥ではない。


(でも――)


 脳裏に生意気なあの男の顔がこびりついて離れない。


 まだ出会ってから大した時も経っていないというのに、こんなに危ない場面で思い出すのがなぜあいつなのか。


 その理由を考えている余裕は、今のラブラにはなかった。

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