第10話 貪沼(1)
「オラたちの村はこの先に――もうしわげねえ。怖くて、オラはこれ以上はとでもとでも……」
不格好なフネを繰る男がそう言って拝み伏した。
「わかった。もう敵は見つけられたから、あんたはどこかに隠れてなさい」
ラブラはイネルスに抱きかかえられた格好のまま、空から、道案内の役目を果たした男にそう告げる。
ここまでくれば、案内されなくても敵の気配くらいは察知できていた。
噴煙をあげる前方の村には冒涜者も含め、あらゆる生命の反応を感じない。
すでに、荒らされた後ということだろう。
代わりに、今は三方向から、強力な敵の気配を感じる。
おそらく、敵は村から散り散りに逃げ出した冒涜者たちを狩りに向かっているのだろう。
「お嬢様ぁー! 敵は三匹もいますよぉー。危なすぎますぅー。今からでも遅くありませんからー、逃げましょうー」
「それは後よ。まずは、あいつらを挑発して、私たちにひきつけて、冒涜者が逃げる時間を稼ぐ。それから、追ってきた奴らを、森にまぎれて撒くの。そうすれば、私たちを見失った奴らは勝手に同士討ちを始めるはずだわ」
モンスターは本能的に、モンスター以外の生命――ラブラや冒涜者などを優先して捕食するが、決して共食いしない訳ではない。
フレドたちはモンスターの生態について偉そうにあれこれほざいてくれたが、天使族にもまた、モンスターと戦ってきた歴史はある。前線に出られなかったラブラは、実技を磨く機会を与えられなかった分、勉強だけはしっかりとしてきたつもりだ。天使族は、冒涜者のような文字文化はもたない。だから、ひたすら誰かに口頭で教えてもらうしかない。自分を表に出したがらない親族の目を盗んでは、宴会の席に顔を出し、『カタハネ』と嘲られても頭を下げて教えを乞うた。
決して愉快な経験ではなかったが、おかげで今こうして役に立っている。
フレドたちがキメラと呼ぶモンスターは、天使族では『
知能の高い種ならば、同士討ちを回避して組織的に行動するケースもあるが、キメラはそうではなく、欲望に忠実なタイプのモンスターであると聞いている。
であるならば、十分に勝算はあるはずだった。
「でもー、私たちのスピードで逃げ切れますかぁー? そもそも、どうして冒涜者なんかのために、そこまでしてやる必要があるんですかぁー」
「冒涜者のためじゃないわ。私は、私の力を試してみたいだけよ……」
そううそぶいてみたが、本当は気付いていた。
自分は、切り捨てられようとしていた村人たちと、自身を重ね合わせているにすぎないのだと。
本来なら、ラブラも切り捨てられる側の存在だったから。
そもそも、カタハネという存在は、天使族の中において、一定の確率で誕生するものだ。その割合は、十人に一人とも言われ、一説によれば、より強力な種を得るため、『血を濃くした』代償とされているが、詳しいことは分からない。
そんな珍しいが、ある意味で想定の範囲内のエラーであるカタハネが、成人することは極めて稀である。弱肉強食の天使族においては、片方の羽がなく、空も飛べない存在は生まれながらの悪であり、多くの家は、カタハネが生まれた瞬間に一族の恥として、『なかったこと』にしてしまう。そうでなくても、空を飛べず、自分で餌を取れないカタハネは、自立を求められる少年期に、飢えて自然淘汰されるのが常だ。
そんな中、ラブラが生存を許されていたのは、ひとえに天使族の中でも指折りの名家の血筋だからということにつきる。
天使族は冒涜者よりも圧倒的に繁殖力が弱い。特にラブラの家は数が少なく、たとえ欠陥品であろうとも、良種の血筋を捨てるのは惜しいからと、きまぐれに生存を許された。
すなわち、ラブラという存在の天使族の中における価値は、次代の強種を生む器となることであって、それ以上ではない。
ラブラ自身の力も、心も、努力も、渇望も、彼らには等しく無意味だ。
(冒涜者の世界は違うと思っていたのに、結局、どこも同じなのね)
天使族は口癖のように言う。
冒涜者とは、弱いが故に、群れることしかできない卑怯者だと。
皆がいつも軽蔑と共に口にするその言葉に頷きながらも、ラブラはひそかに憧れを抱いていた。
もし、強い者も弱い者も等しくその存在に価値が認められる社会があったなら、どんなに素晴らしいだろうかと。
でも、現実はそうでなかった。
考えてみれれば当たり前の話である。
天使族が身を削り、血で至高に練り上げた魔法に、生半可な集団で立ち向かえるはずがない。
力にしか興味のない天使族と、効率にしか興味のない冒涜者。どちらも同じくらいに残酷だからこそ、両陣営の勢力は拮抗しているのだ。
(あいつが悪いのよ。あいつが、私に変な夢をみせるから)
自分が勝手な幻想を抱いていたのが悪いのだとわかってはいたが、やつ当たりをせずにはいられない。
お世辞にも、あいつとの出会いはかっこいいとはいえないものだった。
天使族を名乗っていながら、無様に地上に墜落しそうになった瞬間のことを考えると、今でも顔から火が吹き出しそうになる。
もっと、蔑まれると思っていた。
身内ですら疎むこのカタハネを。
だけど、あの男は、気を遣うでもなく、蔑むでもなく、事実を事実として、あるがままに受け入れてくれた。
それは、ひょっとしたら、理屈っぽく現実を観察する冒涜者としては当たり前の行動だったのかもしれないが、それでもラブラは嬉しかったのだ。
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