第8話 恋という未知の概念について

「そうか。……でも、よくよく考えれば、一番『普通じゃない』のは、今回の俺たちの討伐対象だよな。天使族と冒涜者が発情し合って出奔するなんて、少なくとも俺の知る限り、歴史初だ」


 もちろん、歴史といっても、冒涜者側に都合の悪い歴史は抹消されているだろうし、文字の記録がない古代のことはわからないのだが、少なくともここ千年の間では観測されなかった異常事態だ。


「確かに『普通じゃない』けど! あれはダメよ! 許せないわ!」


「どうしてだ? 異種族同士が交配しようとしたからか?」


 フレドは目を細めた。


 分離主義は、冒涜者、天使族双方にとって、この世界のスタンダードだ。


 ラブラは、時折突拍子もない発言はするが、温室育ちなせいか、種族的な偏見は少ない方だと思っていたのだが……。もし彼女もまた、分離主義者だとすれば、両種族が共闘すべきと考えるフレドにとっては残念である。


「違うわよ! 戦争中に仲間も役目も放りだして、自分たちのことしか考えずに逃げ出したからよ! カインはね。天使族の中でも、指折りの名家の生まれだったのよ。モンスターにも、冒涜者相手でも、一度も負けたことがなくて、いずれ、天使族を率いていく存在になるんじゃないかって言われてた。もし、私にそんな力があったら、絶対、あんなことできない! そんなにその女の冒涜者が欲しかったなら、捕まえて戦争の恩賞として正々堂々、天使族みんなに要求すればよかったのよ!」


 ラブラは語気を荒らげて叫んだ。


 それは、あるいは、ふがいない彼女自身とカインを比較してのコンプレックスから出た発言だったかもしれない。


「それを言うなら、確かにシズの姉――リエも一○○年に一人と言わるほどの英才だったが……。少なくとも俺たちの軍では、恩賞として天使族を生きたまま要求するのは無理だな。過去に天使族を奴隷として扱おうとして痛い目をみているから。天使族もそうだろう?」


 かつて、天使族は家畜として冒涜者を飼っていた結果、反乱を起こされて地上を失った。


 その後、天使族を兵器として管理しようとした冒涜者は、「品種改良」によって生まれた優秀な天使族に、滅びの一歩手前まで追い詰められた。


 故に両者は不倶戴天の敵なのである。


「そりゃそうだけど……。ああもう! それにしても、わかんないわね。そんなに見境なくなるほどすごいものなのかしら『恋』って」


 ラブラが発したその短い単語の意味を、フレドは理解できない。


「『恋』とは?」


「え? あんた知らないの? 天使族の間では、重大な禁忌の一つなんだけど、ええっと、好きになる、とかそんな感じの意味なんだけど」


 自信なさげに、ラブラが呟く。


「発情、性的な興味、劣情などとは別の感情か?」


「そういうんじゃなくて、天使族の間では、『麦に似た毒麦があるように、愛に似た恋がある。毒麦は早く育つが、麦のようには実らない』って教えられるんだけど」


 愛は理解できる。


 特に、親愛、敬愛、友愛。


 軍の中でも、士気向上や組織管理のお題目として称揚されている徳目だ。


 だが、『恋』とは何だ?


「悪い、なんとなくわかる気もするが、正確に理解できた気はしない。生殖関連の情報は特に管理が厳しくて、下手すれば一番俺の中で知識が不足している部分かもしれない。冒涜者の間において、人口管理は特に重要な事項だから、情報の規制も厳しくてな」


 フレドは唇を噛んだ。


 冒涜者の間では、功績を残した優秀な個体のみが生殖の権利を与えられ、その数も制限されるのがその常だ。


 かつては、常時、モンスターや天使族との戦争中なのだから、人口は多ければ多いほどいいという考えもあったらしい。しかし、結局、対モンスターにおいても、対天使族においても、まともに戦力になるのは「フネ」を使える兵士だけという事実はどうしようもなかった。フネの生産には天使族の遺骸が必須である以上、その生産数には限界があり、人口を無駄に増やしても、それは食料事情を悪化させるだけだと気づくのに、さほど時間はかからなかったようだ。


「仕方ないわ。私の方も、そんなに詳しい訳じゃないの。とにかく、『恋』はしちゃいけないものなのよ。認められてるのは、あらかじめ決められた『つがい』との『愛』だけで」


 天使族の間では、弱肉強食の論理が徹底されており、より強力な個体を生み出すために、強者同士で生殖を行う風習があるという。


 つまり、かつて冒涜者が強制していた『品種改良』を自主的に行っているのだ。そうしなければ、日々強化されていく「フネ」の技術に対抗できないのだから、当然といえば当然なのだが。


「つまるところ、この世界に留まる限り、二人の逃避行は必然的に破綻するしかないということだな。残念だが」


 フレドは意味深にそう言って、ラブラの表情を窺う。


「そんなことないわ。なんとかする方法あるわよ!」


 ラブラは不敵ににやりと笑う。


「なに? 本当か?」


 フレドは目を見開いた。


 まさか、自分以外にも、この閉塞的な世界を打破しようという壮大なビジョンを持った存在がいたとは。


 もしかしたら、思索の末、彼女は自分と同じ結論に達したのかもしれない。


 期待を込めてラブラを見つめる。


「誰も文句言えないほどの最強の存在がいればいいのよ! 独立王アニマみたいにね。そいつが、『天使族と冒涜者はくっついてもいい』っていえば、二人は許されるでしょ! そういう圧倒的な力を持った天使族になるのが、私の目標なの!」


 かつて、冒涜者の反攻作戦により、一時的に天使族が隷属状態に置かれた時、その窮状をたった一人で覆したのが、彼女のいう独立王アニマだ。


 つまり、ラブラの言っている理想とは、子どもがおとぎ話の竜殺しに憧れるような、子どもじみた英雄願望だった。


「そうか……」


 フレドが視線を落とす。


「あっ! なんかがっかりした顔してない? 私、何か間違ったこと言ってる? 昔、冒涜者が天使族に逆らったのは、天使族に非常食として食べられるのが嫌だったからよね? で、最強だった独立王アニマは、自分を虐げていた冒涜者への憎しみから戦争に走ったけど、その力をモンスターの討伐に向けていれば、もっと世界は安全になってたし、たくさんの食料が手に入っていたはずじゃない。私はそういう力の使い方をしたいの。モンスターをたくさん倒して、頑張れば、天使族も、冒涜者も、みんなに行き渡るほど食料を集めることができるんだって証明する! そしたら、きっと戦争もきっとなくなるでしょう」


「なるほど……」


 フレドは一応頷いてみせたが、全く納得してはいなかった。


 両種族が抱える怨恨は、ラブラの言うほど単純ではない。そもそも、両陣営がラブラの言うように「食料さえ足りれば仲良くできる」なら、今すぐモンスターに対して共同戦線を張ればいいのだ。それができないのにはそれ相応の理由がある。


 しかし、実現性はともかく、不毛な戦争を回避しようという目標には同意できた。


 一見、どんなに馬鹿げたアイデアであろうとも、端から検討もしないで一笑に付すのは、フレドの嫌う『当たり前』を愛する人々のやることだ。


 突っ込みどころはあまりにも多すぎるから、ネチネチそれを一つ一つあげつらうことはしない。こういう場合は、もっとも楽観的なケースを考えよう。


「……仮にラブラの言う計画が全て上手くいったとしよう。もし、お前の理想通りの世界が実現すると、戦争で死人が出ないから、人口が増えるぞ。そしたら、いずれ限界がくる。この世界が養える人口の上限に達した時、どう対応するつもりだ?」


「うっ……そ、それは、その時考えればいいでしょ! そんなに言うなら、あんたも何かアイデアを出しなさいよ。世界を良くする何かを!」


 ラブラは不機嫌そうに、羽をピンと逆立てて要求してくる。


「そうだな。俺は――」


 そこで言いよどむ。


 よく考えたら、フレド自身もラブラのことを笑えない。


 というより、フレドの抱いている夢は、彼女のアイデアよりもさらに馬鹿げていて、実現可能性が低く、困難で、危険な道だ。


 だが、決して可能性はゼロではない。


 そして、実現した時に得られる希望は、彼女の抱く理想よりもさらに素晴らしいことは断言できる。


 ここで言ってしまおうか。


 あまりにも荒唐無稽すぎて誰にも話せなかったが、もしかしたら、ラブラなら理解してくれるかもしれない。


 そんな逡巡を繰り返すフレドの思考を、胸元から放たれた光が中断する。


 ポケットから取り出したアミ――さきほどまでは半透明だったカードが、今は黄色へと変わっていた。


 それが示すところは、『要警戒』。


「なにっ?」


「レーダーに反応があったようだ」


「なに? モンスター?」


「いや、この色は、知的生体の接近反応だ。点の大きさと、移動速度からみて、冒涜者だな。一人だ。――『モグラ』か?」


 モンスターか、天使族が接近した場合は、『危険』として赤色に発光する設定にしてある。黄色の反応になるのは、脅威にならない程度の小動物か、フレドたちの同族――すなわち、冒涜者のどちらかである。


「そう。なら、大丈夫ってことなの?」


「いや。同じ冒涜者だからといって、安全だとはいえない。念のため、二人を起こしてきてくれ」


 フレドはそう言って、ニードルガンを構え、予測出現地点に銃口を向けた。

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