第7話 料理(2)

 フレドが最近食事をふるまった他者といえば、シズくらいのものだが、彼女は食事中もいつも陰気な顔をしているので、はっきりいって作り甲斐がないのだ。


「モグモグモグモグモグ……なに見てのよ。あっ! もしかして、私が食べすぎだって言いたいの? そうよね。二人で作ったんだし、私ばっかり食べてちゃだめよね……。ほ、ほら、あんたも食べなさいよ」


 ラブラはそう言って、歯形のがっつりついた涎まみれの手羽を、心底名残惜しそうにこちらに差し出してきた。


「いや、別に俺は大して腹は減ってないから、食べられるなら、全部ラブラが食べてくれて構わない」


 嘘だった。


 すごく、というほどではないが、それなりに腹は減っている。


 なのに、とっさに抵抗感を覚えて拒否してしまった。


 フレドも軍人であるからには、物品の共有や、回し食いには慣れている。


 いまさら食べかけの肉を回されたところで、何の感情も抱かないはずなのだが。


(まさか、俺の中に、天使族への無意識的な差別感情があるとでもいうのか? いや違う。今感じているこの気持ちは、嫌悪感などではなく、もっとこう、何か、むず痒く、照れくさい……)


 フレドは自身の抱く、分析不能な感情に困惑した。


 得体のしれないその疼痛は、拒みたいのに拒みがたく、恐ろしいのに心地よく、少なくとも、フレドが今まで、体験したことのない何かだった。


「なに言ってんのよ。こんなおいしいのに、食べたくないなんてことある訳ないわ! そんなに私ばっかり食べさせてどうするつもり? はっ! 思い出した! そういえば、昔、冒涜者が反乱を起こす前に、天使族の貴族に一度食べたらやめられなくなる『禁忌の食物』をたくさん捧げて、太らせることで動きを鈍らせたっていう策略があったけど、あんた、まさか――」


 ラブラが警戒するように一歩後ずさる。


「わかったわかった! 食べるから、余計な邪推をするのはやめろ。……それにしても、不思議だな。味覚が俺たちと変わらないなら、生のモンスターなんてまずくて食べられたものじゃないと思うが」


 フレドは迷いを振り切るように手羽にかぶりついた。


 我ながら、そこそこ上手く焼けたと思う。


「んー。なんか感じるところが違うのよね。生で食べて色を吸収する時は、実は口にしたもののほとんどはお腹に入っている訳じゃないのよ。口の中に入った瞬間に色が反応してストックされるから、味もほとんど感じないし。だからこう、いつもの『食べる』は身体の奥が悦んでいる感じで、こっちは口が嬉しいのよね。えっと、あんたたちの表現でなんて言ったっけ――そうそう。別腹、みたいな」


 どうやら冒涜者と天使族では食事の概念が違うらしい。


 考えてみれば当たり前の話である。


 モンスターの巨大な肉体を、物理的に胃に収めることは不可能なのだから。


「ふむ。天使族にとっては、料理された食物自体が嗜好品のようなものなのか」


 例えば、酒やタバコは冒涜者に快楽をもたらすが、それは生存に要か不要でいえば、不要なものだ。


 それと同じで、天使族にとっても、別に料理した食物を食べる必要性はなくても、料理を楽しむことはできるということなのだろう。


「嗜好品? よくわからないけど、贅沢は贅沢よね。生で食べた方が得られる力は大きいのに、わざわざ余計な手間をかけてこんなものを作るんだから。――冒涜者はいつもこんなおいしいものを食べてるのね」


 ラブラは指についたキイチゴのソースを舐めとって、羨ましげに呟く。


「いや、上層部は知らないが、一般的な冒涜者の兵士は、この『汎用携行食』を常食としている。食べてみるか?」


 フレドは首を横に振り、尻ポケットから、スティック状の包みを取り出した。


 その端をピリッと破ると、中から、灰色の固体が出てくる。


「ウエッ。ウオェ! ……まっずい! まずい! まずい! なにこれ、魔法の力もほとんど入ってないし! ゴミじゃない!」


 ラブラは何度も不平と嗚咽を漏らしながらも、吐き出すことなく汎用携行食をTみ込む。


「それでも冒涜者が必要とする栄養素は含んでいるからな。フネの生産で余ったクズ肉からできるから、コストパフォーマンスがいい。作るにも消費するにも便利なんだ。カロリー計算もしやすいし、兵站の輸送の計画も立てやすい」


 古の時代に比べて、冒涜者の兵器――フネの生産技術は大いに向上したのは間違いない。しかし、文化の面については、かえって衰退すらしているように思える。


 天使族と冒涜者がお互いに潰し合って無駄にリソースを消費する中、じわりじわりとモンスターは生息域を広げ、天地の異常気象はその頻度を増す。ジリ貧になっていくリソースはそれでもなおその多くが戦争に回され、効率化につぐ効率化で、嗜好品の生産に割かれる余剰はほとんどない。


「それにしても、よく我慢できるわね。私だったら耐えられないわ。こんなおいしいものを作れる力があるのに」


 ラブラは渋い顔をして、残ったカツの最後の一切れを口に含んだ。


「初めから知らなければ、それは『当たり前』になるんだ。今の前線に出ている兵士の多くは、物心ついた時から、この携行食以外の食事を口にしていない。『おいしい』を知らなければ、不満に思うこともないさ」


 フレドはそう言って、残った携行食を口に詰め込む。


「じゃあフレドは、なんで知ってるの?」


「俺は『師匠』から教わった。後は禁書庫に忍び込んで古の文献を漁ったりとか、色々な。そのせいで俺は『普通じゃない』と言われ、多くの人間から嫌われている」


 実際フレドに向けられた悪意は、『普通じゃない』程度ではすまないのだが、あまりにも醜悪な軍の現実を、付き合いの短いラブラにぶつけるのはためらわれた。


「嫌な言葉よね。『普通じゃない』って。私もよく言われたわ。他にも――いえ、なんでもないわ」


 ラブラは遠い目をして、開きかけた口をつぐみ、片方しかない羽を両腕で抱え込んだ。


 彼女が何を言いかけたのかはわからないが、察することはできる。


 凪のような沈黙の中で、種族も文化も言語も超えたもっと深い部分で通じ合ったような幻想を抱く。


 それは、こぼれた水が地面にしみ込んでいくような自然さで、非論理的な、でもだからこそ確信できる実感だった。


「……ともかく、普通じゃないという意味では俺は筋金入りだし、シズの奴もあんな感じだから、安心してくれていい。イネルスとかいう娘のことはよくわからないが」


「イネルスもそうよ。あの子がどんだけドジか知らないでしょう! この前なんか、掃除の時に私のパンツを頭巾代わりにしちゃってね。その上、雨雲が近いっていうのに洗濯物を干しっぱなしにしてたから、着るもの全部びちょびちょで大変だったんだから! ほんと、いつもそんな感じで大変よ!」


 なぜか張り合うように、ラブラはそう言い張る。


 言葉では腐しながらも、その声音にはにじみ出るような愛情が潜んでいた。

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