第5話 道中

 陰鬱な森に、ボクサーの暗色がまぎれている。


「距離 二五○メートル 右方三七度だ」


 シズが淡々と告げる。


「有効射程まで五○メートルほど詰める。二○秒後に射撃だ。いけるか?」


 フレドは周囲の灌木を一瞥してから、射線を予測し告げる。


 ズームアップされた映像の中で、腐ったトマトのような赤茶けた色をした大鳥が、呑気に羽繕いしていた。


「任せて」


 ラブラが短く答える。


 時折吹きすさぶ烈風。


 フレドは枝がすれの音に紛れながら、ボクサーを匍匐前進させた。


「……五秒後~一○秒後に風向きが変わる。こっちが風上になると目標に気付かれるぞ」


「なら、気付かれる前に撃てばいいんでしょ!」


「ああ。射撃地点を修正だ。三メートル先、左方二○度」


 樹の陰に隠れながら、幹を支えにゆっくりと立ち上がる。


 反転する機体。


 瞬間、銃口が光った。


 ギュェ!


 熱弾は見事に目標の頭を捉え、大鳥は間の抜けた声を上げて地表へと落下していく。


「目標の撃破を確認。近くに他に敵影はなし」


「さすがです! お嬢様!」


 イネルスが称賛と共に手を叩く。


「ふふん。当然よ! これでまた一跳、最強に近づくわね。ほら! フレド!」


 フレドは彼女の言わんとすることを察し、返答代わりに落下地点にボクサーの身体を滑り込ませる。


 ラブラは、ボクサーのライフルをしまい、抱き留めるように大鳥をキャッチした。


 そのまま大鳥の節ばった足首を掴み、近くにあった太めの枝に、かぎ爪を突き刺す。


 逆さの格好になった大鳥の残骸は、その首から、まだグツグツと煮えるマグマのような体液を垂れ流し始めた。


「あー! もたもたしてると、血が全部流れでちゃう! もったいない!」


 ラブラが惜しむように叫び、シリンダーから這い出す。


 そのまま、フレドの足下にあるハッチから外に飛び出した。


 大鳥の下まで駆けて行ったラブラが、顔を上向きにして、滴り落ちてくる体液を口中に迎え入れ始めた。


 フレドが同じことをすれば焼けただれてしまいそうなその熱量を、ラブラは心底美味しそうに飲み干す。


 彼女の肌が赤く上気し、反比例するように、大鳥の身体から色が抜けていく。


 瞳を閉じて喉を鳴らすその姿は、野蛮で、美しく、まるで生命の循環を体現した聖像のごとき雰囲気を纏っていた。


 神秘的なその姿につられるようにしてフレドたちも、外に出る。


「それで、この後どうする? 多少頑張れば、今日中に中継地点のアモス村に辿り着けないこともないと思うが、もう少し進むか?」


 ボクサーにもたれかかりながら、シズが懐中時計を一瞥した。


 モンスター群という遮蔽物に覆われ、いつでも薄暗いこの世界だが、それでも昼と夜はある。


 今は日没まであと二時間余りという、進むか、留まるか、微妙な時刻だった。


 ボクサーは熱感知センサーを備えているとはいえ、視界の制限される夜は、太古の時代から変わらず、魔の時間帯である。


 ふさわしくない場所で闇を迎えてしまえば、それはすなわち即命の危険につながるので、安易な決断はできない。


「それは、俺たちだけでは決められないだろ。ラブラ――いや、もう交代の時間か。イネルス、いけるか?」


「は、はい! 頑張ります」


「プハッ。イネルス、無理しないの! あんたの力じゃ、今日はもう限界でしょ」


 息継ぎするようにこちらに向き直り、血のついた口元を手の甲で拭ったラブラが、気遣わしげに呟く。


「ん? どういうことだ? 交代時間は二人とも平等に設定しているのに、どうしてそんなに疲労度に差が出る?」


 シズが首を傾げる。


「はあー。あんた何も分かってないわね。そりゃ、生まれつきの『質料ヒュレー』の大きさが違うからよ。仮にも名家の出の私と、侍従のイネルスじゃ、持っている力が違うのは当たり前でしょ――イネルス、器をちょうだい」


 ようやく大鳥から噴き出す血の量が少なくなってきたことを見取ったラブラが手を叩く。


 イネルスが、すかさず地面の土で、大きめのジョッキを成形した。神に捧げる供物のように、即席の器に血が溜まっていく。


「よくわからないな……。天使族はモンスターを食らって力を得るんだろ? で、お前は、地上に降りてくるまで、モンスターを食べる機会に恵まれなかった。それなのに、お前の方が持っている力が多いって、理屈に合わないだろう」


 シズが首を傾げた。


「んー……私たちの中にある力は、本来、『無垢タブララサ』といって、真っ白な状態なの。それを、自らが狩ったモンスターの『エイドス』に染め上げることで魔法を使ってる。つまり、喩えるなら、私たちは空のバッグよ。大きなバッグが私、小さなバッグがイネルス。倒したモンスターの力をバッグに詰め込んでる。そして、容量が大きければ大きいほど、色んな種類の、たくさんの力を詰め込める。で、あんたたちが、今、そのフネを動かすのに使ってるのは、空いたスペースにある空気。これなら、あなたたちも分かるでしょ?」


 ラブラはしばし逡巡してから呟く。


「つまり、イネルスはパンパンに詰まった小さなバッグ。ラブラはスカスカの大きなバッグということだろ」


 フレドはまとめるように呟いた。


 何も難しいことではない。


 そもそもフネは、冒涜者が天使族を倒すため、天使族を模して作った兵器だ。


 自ら魔法を行使する力を持たない冒涜者は、天使族が無意識的に内部化している機構を外部化する必要があった。そのために、天使族の遺骸を発き動力部とし、モンスターから採取したパーツをそのまま兵装とした。天使族から見れば歪で噴飯ものの児戯に見えたことだろう。天使族の遺骸は、生来の数分の一の力しか持たず、兵装は仰々しい上に、天使族が瞬き一つの間にできる攻撃魔法の切り替えにも、半日の換装時間を要する。


 しかし、それでもなお、冒涜者たちは『均質化された量』という力を得た。


 それが戦争においてどういう効果を発揮したかは、今更言うまでもない。


「そういうこと。だから、先に行くんだったら、イネルスの代わりに私がやるわよ。まだまだ余裕があるから」


 ジョッキに入った血を飲み干して、ラブラがそう張り切る。


「いや、特に緊急性もないのにルーティーンを乱すのはよくない。そういうことなら、きりもいいし、今日はここらへんで野営するか。交代時間についても調整する必要がありそうだからな」


 フレドはあっさりそう決断した。


 衝撃の出会いを果たしたあの日から、丘に三日程留まったフレドたちは、ラブラとイネルスに基礎的な訓練ほどこすことに時間を費やした。


 さらに一週間程経った今では二人とも基礎的な動作には一通り習熟し、日常的に遭遇する程度のモンスターなら、何とか狩れる程度の立ち回りを身に着けている。


 不倶戴天の二種族の共闘としては、十分に上手くいっているといっていい状況なのだし、無理して余計なトラブルを招く必要もないだろう。


「随分のんびりねえ。そんなんで、反逆者たちをちゃんと追い詰められるの? 逃げられたりしないかしら」


「外は地も空もアホみたいな数のモンスターに埋め尽くされたこの世界で、一体どこに逃げるっていうんだ。ああ、でも、もし姉貴たちが『世界の果て』のプールに突っ込むなんて自殺行為に及んでくれれば、ボクもこんな不毛な任務から解放され――る訳がない! 訳がないんだ! その場合、ボクたちは上から証拠として遺体の回収を命じられるに違いない。そしたら、ボクはこのマッドな異端者とポンコツのお姫様たちと一緒に永遠に辺境を彷徨うか、モンスターたちに突っ込んで自爆するか、二択を迫られるんだ。ボクの未来にはどのみち破滅しか待ってないんだ……」


 シズは頭を抱え、自らネガティブ思考の螺旋に落ち込んでいく。


「……ねえ、フレド。こいつ頭大丈夫?」


「発作みたいなものだ。気にしないでくれ」


 眉間に皺を寄せてシズを指さすラブラに、フレドは欠伸一つ答えた。


「……ああ、憂鬱だ。フレド、テントを出してくれ。ボクは先に休むぞ」


 シズが大きなため息をついて呟く。


「ああ。そうしろ。ラブラかイネルスも、どちらか先に休んでくれ。交代で見張りをしよう」


 フレドはオーバーオールの腹のあたりにある大きめのポケットから自作のワンタッチテントを取り出して、地面に展開する。


 断熱性の高い怒髪鳥の羽毛に、酸を抜いたスライムを挟んだ弾力性のあるテントで、そんじょそこらのホテルよりは居心地がいいと自負している、フレドの自信作だった。


「じゃあ、イネルスから休みなさい」


「そんな。お嬢様より先に従者の私が眠りにつく訳にはいきませんよぉ。せめて、お嬢様もご一緒にお休みをいただくという訳にはいかないんですかぁ?」


「いざという時にすぐにフネを動かせるように、天使族と冒涜者がペアになった方が合理的だろう」


 フレドはそううそぶいたが、実の所、天使族と冒涜者から一人ずつ見張りを出すのは相互監視するという意味合いもあった。


 天使族と冒涜者がそれぞれ固まって休憩を取ると、同種族同士で結託し、寝込みを襲われる可能性がゼロではないからだ。無論、フレドたちにそんなつもりはないし、ラブラたちも何か不審な動きを見せた訳ではないが、最悪の状況を想定して動くのは軍人の性である。


「イネルス。私はまだ余裕があるから、いざという時にイネルスも動けるように回復しておいて。これは命令よ」


 ラブラは強めの口調で告げる。


「わかりましたぁー。ラブラ様がそうおっしゃるなら……」


 そう呟いて、イネルスは申し訳なさそうにテントの中に入っていった。

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