第3話 困惑

「なに?」


 洒落にならない言動に、フレドが身構える。


 腰の護身用棘蟲製ニードルガンを抜き放ち、引き金を引く。


 それは、考えるまでもない、反射的な動作のはずだった。


(なぜ、撃てない?)


 照準は完璧にラブラの心臓を捉えているのに。


 まさか、彼女が何か能力を使って止めたのだろうか。


 それ以外の合理的理由を、フレドは思い浮かべることができない。


 肩に回されるラブラの両腕。


 想定外の失態に、フレドは当然きたるべき未来を覚悟した。


 強靭な天使族の顎は、容易くフレドの首の動脈を食い破るだろう。


「ろうひてえ? ろうひてはめないのお!」


 ハム。


 ハム。


 アム。


 ワルツのリズムで、首筋に食い込んでくるチクチクとした疼痛。


 それは、噛みつきとはとても言えない甘噛みの感触だった。


 ラブラの意図はわからない。


 しかし、涙目の彼女もまた、フレドと同じく何かに困惑しているようだった。


「貴様! フレドから離れろ!」


 フネから飛び出してきたシズが、銃を構える。


「お嬢様は私が守りますぅ!」


 イネルスが応戦するように進み出て、その手に雷をまとわせた。


「シズ、落ち着け! ダメージはない! お前も、冷静になって、あのメイドを止めてくれ」


 フレドはシズに必死に呼びかけながら、ラブラをそっと自身の身体から引き離す。


「……イネルス。やめなさい」


 ラブラは自身の二の腕で口を拭ってから、呟く。


 シズとイネルスが、双方警戒しながらも腕をおろした。


「ふう――とにかく、不幸な行き違いがあったようだな。お前が嫌なら、俺は無理にフネに乗れとはいわない。しかし、いずれにしろ作戦を続行する必要はあるから、お前たちが本国に帰って、きちんと事情を説明した上で代替要員を連れてきてくれ」


「かっ、帰れる訳ないじゃない! ようやく、初めて『クモ』の外に出られたのよ! このチャンスを逃したら、私は一生強くなれない!」


 ラブラがすがるような瞳でフレドを見つめてくる。


『クモ』というのは、天使族が日常的に住居としている、半固体化した雲海のことだ。


「……本当に外に出たことがないのか? つまりは、箱入り娘?」


「そ、そうよ! 悪い !? 『お前は一族の恥さらしだから』ってずっと外に出してもらえなかったのよ!」


 ラブラが開き直ったように叫ぶ。


「なら、食事によるパワーアップはどうなんだ? ラブラはそれなりに育ちが良いようだし、良質なモンスターを食べさせてもらっているんだよな?」


「そんな訳ないでしょう! 誇り高い天使族は施しなんか受けないわ! わたしたちは自分で仕留めた獲物だけを食べるんだから!」


「ふむ。それで、お前はどれだけのモンスターを仕留めてきたんだ?」


「わ、私は自分でモンスターを狩ることが許されてなかったから、虫とか、鳥とか、モンスターはたまにイネルスがとってきてくれるやつくらいしか」


 ラブラが気まずそうに両手の人差し指をねじり合わせながら呟く。


「つまり、『魔法』はほとんど使えないと?」


 摂取したモンスターの能力を行使する天使族の異能。


 それをフレドたちは『魔法』と呼んでいた。


「使えたら、わざわざこんな所に来てないわよ! でも、イネルスの取ってきたまずい火ネズミをいっぱい食べたり、苦いスライムを一気飲みしたり、色々努力はしてきたわ! イメージトレーニングだって毎日欠かさずやってきたんだから、実力では他の天使に負けてないはずよ! 羽さえ、羽さえあれば私だって……」


 ラブラは悔しそうに歯噛みする。


「……まあ、事情は大体わかった。装備はフネの方に整っているから、別にお前自体が特別な魔法を使える必要はないぞ。きちんとエネルギー源として機能してくれさえすれば、それでいい」


 フレドは眉間を親指と人差し指で押さえて呟いた。


 天使族に期待しているのはジェネレーターとしての役割であって、武器としての威力ではない。


 本当は、力ある強力な天使族の協力を得て、フネのフルスペックを発揮するのがベストだったが贅沢は言っていられないだろう。


 それに、特定の魔物ばかりを捕食している天使族だと、変な個性があり過ぎて、フネの動力源としては適さない可能性もある。


 そういう意味では、基本的なモンスターばかり食してきて魔法に余計な色のついていないラブラは、動力源として適しているかもしれない。


「勝手に話を進めないでよ! 私はまだ、協力するなんて一言も言ってないんだけど !」


「現状、協力するのが、俺たちにとってもお前たちにとっても最善だと思うんだが」


 反発するラブラへ、フレドは静かに語りかける。


「なんでよ」


「俺たちの主目的はお互いの軍から出奔し、ダルタロス火山付近に潜伏していると思われる離反者二人の討伐だが、その道中でハグレモンスターを討伐することもまた、任務に含まれていることは知っているよな?」


 最近まで天使族と冒涜者たちが戦争をしていた影響で、対モンスターの防衛網にほころびができ、それぞれの生存圏への侵入頻度が増しているのだ。もちろん、軍事的、産業的に重要な主要都市は手厚く守られているのだが、国勢に影響のない程度の田舎は捨て置かれているのが現状だ。


 それでも、全く無視しているのも体裁が悪いので、国は建前だけでも戦力を派遣したという実績が欲しい。


 一方、天使族にとっても、モンスターは敵である。天使族は『クモ』という浮遊型の拠点を持っているため、本来はどこかに定住するということはない。しかし、停戦しているとはいえ、現在、冒涜者たちと緊張状態にある関係上、冒涜者の主要都市に相対するようにクモを集中させている。すなわち、冒涜者と同様に、天使族も辺境域のモンスターに対する防衛は手薄になっているのだ。


 双方にとって不都合な状況に、うってつけの処方箋。それこそが、『辺境くんだりに行く鼻つまみ者たちにまとめて厄介ごとを押し付けてしまえ』という、安直で身もふたもない決定だった。


「知っているけど、それがなによ」


「つまり、だ。モンスターを討伐しても、俺たちは天使族のようにモンスターの肉を食らう必要はない。ということは、仕留めたモンスターはラブラたちが独占して食べられるという結論になる。一度も外に出られなかったお前にとって、今回の任務はパワーアップするのに良い機会なんじゃないのか?」


「むむむ……なるほど。そうね――そういうことなら、仕方ないわね。付き合ってあげるわよ。裏切者たちを倒して、私の実力を証明するには、しっかり準備することも必要だわ」


 しばらく逡巡した後、ラブラが小さく頷く。


 渋々ながら、納得してもらえたようだ。


「よし。話はまとまったな。じゃあ早速服を脱いでもらおうか」


 何とか任務を続行できそうなことに、フレドは安堵の笑みを浮かべて、ラブラににじり寄る。


「は? え? は? ウチを脱がしてどうしようっていうの! そ、そういえば、冒涜者の中には天使族が苦しむ様子を見て興奮する変態がいるって聞いたことがあるけど、も、もしかして、私を変なキカイで陵辱するつもり I 古の鬼畜王ギースみたいに!」


 ラブラが青ざめた顔でフレドを睨みつけてくる。


「いや。お前用にフネをチューニングするために、身体のデータを取りたいだけなんだが……建前とはいえ、一応、俺たちが両種族の友好目的で作られた部隊だって、理解してるか? 今の発言とこれまでの経緯を本国に提出したら、間違いなく戦争再開だからな?」


 フレドはこめかみをひくつかせる。


 自分では冷静な方だと自認しているが、それでもいらつくという感情がない訳じゃない。


 前途多難な予感に、フレドは小さくため息をついた。

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