第2話 呉越同舟

 二人が上空三○メートルほどの所にまでやってきた。


「……」


 金髪の少女と目が合う。


 彼女が、何か宝石でも見つけたかのように顔をほころばせたその刹那――


 ヒュウ! と、一陣の風が吹き抜けた。


 煽られてはためくワンピース。


 白磁のごとく滑らかな太ももと、その付け根の秘所を守るための布切れが目に飛び込んでくる。


「黒か」


 フレドは思わずそう呟いた。


「み、み、み、み、み、見たわね!」


 フレドの言葉を知ってか知らずか、金髪はスカートを押さえてフレドを睨みつけてくる。


 意外な反応だった。


 天使族の多くは、そもそも冒涜者を、対等な存在とはみなしていない。


 彼女たちにとって、フレドたちは、厄介な毒虫。良くて、便利な非常食程度にしか思われていないはずだ。


 犬に裸を見られてはずかしがる人はいないように、冒涜者に下着を見られたところで、うろたえる天使族などいない。そう思っていた。


 なのに、目の前の少女は、まるで種族の壁などないかのごとき自然な反応をする。


「……」


 生来の研究者魂がうずき、フレドは興味深げに金髪の少女を観察する。


「イネルス! どうしよう! あ、あいつ、全然、目を背けない! それどころか、こっちをめっちゃガン見してくるんですけど !?」


「はわわ! 大丈夫ですぅ! このイネルスがスカートを押さえて、ラブラ様のパンツをお守りしますぅ!」


「いや、だめでしょ? イネルスが手を離したら、私が落ちちゃうでしょ? ちょっとあんた! 後ろ向いてなさい!」


「戦場で目をそらすのは自殺行為だ。少なくとも俺はそういう訓練を受けているんでな」


 フレドは冷静に答えた。


 シズほど疑心暗鬼のネガティブではないが、仮にもついこの間まで戦争をしていた相手に隙をみせるほど、フレドはぬるい生き方をしてはいない。そもそも、いつモンスターに襲撃されるか分からない環境で、気を緩めることは命取りなのだ。


 それは、冒涜者だけではなく、多くの天使族にとっても同じことだと思うのだが、もしかして、ラブラと呼ばれていた金髪は、ほとんど戦闘経験がないのかもしれない。


 ビュウ!


 ビュウ!


 ビュウ!


 ラブラたちを嬲るように、風が四方八方から吹き付けてくる。


 さらには、超局所的ゲリラ豪雨が彼女たちに降り注ぎ、彼女のワンピースをしとどに濡らした。ぴっちりと服が身体に張り付いたおかげで、彼女のふくよかな胸の形が露わになる。


 空も、大地も、季節も、何もかもおかしくなってしまった世界では、異常気象なんて日常茶飯事なのだ。


「いやああああああああああ! もう! こんなことなら、ズボンを穿いてくればよかったああああああ!」


 下着と胸のどちらを隠していいか迷うように、ラブラが手足をばたつかせる。


「はわわ! お嬢様! 暴れちゃだめですぅ!」


 イネルスと呼ばれていたメイドも、それに感応してパニック状態になったのか、ラブラの身体のあちこちに手を伸ばした。


「「あっ」」


 二人の動作はかみ合わず、結果、ラブラを抱きしめていたイネルスの腕が、その身体を離れた。


「ちょっ! 落ち――!」


 顔を青くするラブラ。


「お嬢様あああああああああああああああああああ!」


 慌てて手を伸ばすイネルスの指が空を切る。


 フレドは、すかさずポケットの一つから、手の平大のボールを取り出して、落下予測地点へと投げつけた。


 ボンッ。


 破裂したボールから、フネの緊急修復用エアバッグが飛び出す。


「きゃっ!」


 即席のクッションにワンバウンドして、虚空に放り出されるラブラ。


 その身体を、フレドは両腕でしっかりと抱き留めた。


 温もりと共に、潤滑用スライムにも似た柔らかい感触が、フレドの肌に伝わる

 バニラのような甘ったるい匂いが、鼻腔をくすぐった。


 不自然に高鳴る心臓。


 戦場では、男女混合の部隊で寝食を共にしてきた。


 今更、この程度の接触で動揺するほど、うぶなつもりはなかったのだが。


 これがつり橋効果というやつだろうか。


「大丈夫か?」


 フレドは内心の動揺を隠し、なるだけ平静に問うた。


「はっ、放して!」


 ラブラが顔を真っ赤にして、フレドを突き飛ばす。


 地面に尻もちをついた彼女は、自身の濡れたワンピースの胸元を、腕で隠すように抱きしめた。


「なぜ隠す必要がある? 天使なら、炎の異能でも使えば、服を乾かすくらいはお手のものだろうが」


 フレドは首を傾げた。


 いちいち、フネを組み上げなければ満足に戦えないフレドたちとは違い、天使は倒したモンスターの死体を食らうだけで、その特性を吸収できる異能をもっている。


 ラブラには翼がないから、強いモンスターを狩るのは難しいかもしれない。しかし、そこら中に繁殖し、たまに倉庫を火事にする雑魚モンスター――発火ネズミでも食べていれば、服を自動乾燥させるくらいは簡単なはずだ。


「……」


 ラブラは、苦虫をかみつぶしたような顔で俯く。


 どうやら、色々訳ありらしい。


「お嬢様ぁあああああああー。すびばせえええええええん!」


 そうこうしている内に、イネルスが空から降りてきた。


 顔を鼻水でぐしゅぐしゅにして、平謝りしながらラブラの服に手をかざす。


 オレンジ色の光が、ラブラの服にしみ込んだ水分を、瞬く間に蒸発させた。


「いいのよ。私が焦っちゃったのが悪いんだから。イネルスのせいじゃないわ」


 立ち上がったラブラが、そう言ってイネルスの頭を撫でた。


「……ま、ちょっとしたアクシデントもあったが、まずは自己紹介だ。俺はフレド。メカニック兼、操縦士兼、まあ、今は人員不足で攻撃士もやっている。フネの扉の隙間からチラチラこっちを覗いているのが、観測士のシズだ」


 フレドが友好の握手を求めて、手を差し出す。


「偉大なる太祖アニマに連なる誇り高き四名家が一つ、『払暁』のラブラよ。こっちは、私の妹分で、従者をやっているイネルス。さっ! そんなことより、さっさと私の羽を寄越しなさい!」


 手早く自己紹介を終えたラブラも、急かすように手を差し出してくる。


 もっとも、フレドのそれとは、だいぶ意味合いが異なるようだが。


「羽?」


「ええ。あんたは、冒涜者にしては珍しく、立場ってものをわきまえた奴だって聞いてるわ。天使をパワーアップさせるための羽を作ってるんでしょ? だから、私がその実験台になってあげる。感謝しなさいよ!」


 上から目線で、ラブラはそう言い放つ。


「情報の伝達に、微妙な齟齬があるようだな。確かに、俺は天使族を殺さずに活用する研究をしているが……」


「え? じゃあ、ないの。私の羽」


 露骨にがっかりした顔になるラブラ。


「いや。まあ、そうだな。確かに羽といえば羽だな」


「なんだ。びっくりさせないでよ。あるなら、もったいぶってないでさっさと出しなさいよ」


「……出すもなにも、お前の目の前にあるだろ」


「え? なに。私の目には、あんたたち冒涜者の作った、デカくてダサいフネしか見えないんだけど」


「ああ。それだよ。あのフネが、そして、操縦士の俺が、お前の新しい羽だ。そして、あんたたちには、動力源兼、攻撃士として、フネの運用に参加してもらうつもりだ」


「え? なに? 今あんた何て言ったの? 冒涜者語はよくわからないからもう一回言って」


 ラブラが耳に手を当てて、顔を引きつらせる。


「あ? だから、お前も乗るんだよ。フネに。天使族を殺して動力源として利用しようとすれば、およそ、九割ものエネルギーロスが発生する。しかも、経年劣化が激しい。だが、そのまま生体をエネルギー源とすれば、ロスはゼロな上、半永久的な再利用が可能になるんだ」


「わ、私を動力源にって! まさか、奴隷にしようって言うの I 古の鬼畜王ギースみたいに!」


 ラブラが一歩、二歩、後ずさる。


 かつて、天使が冒涜者を非常食にしていた時代もあったし、冒涜者が天使を奴隷としていた時代もあった。


 一進一退の攻防を繰り返しながら、それでも二つの種族は、お互いに決定的な勝利を得られないまま、今に至っている。


「俺たちの歴史を考えればそう思うのも当然だが、俺は天使の奴隷化なんて考えていない。せっかくの思考力を有するマンパワーをモノとして扱うなんてもったいないからな。俺が提案するのは、いわば、『共闘』だ」


 フレドは努めて冷静に説明する。


「はあー。どうりで話が上手すぎると思ったのよ。私は羽がもらえるって聞いたから、わざわざ汚れた地上まで降りてきたのに!」


 しかし、ラブラはフレドの言うことなど聞こえてないかのように、肩を落として頭を抱えた。


「おい、だから、俺の話を――」


「もう後には引けないのよ! むうー、こうなったら、あんたを食べて、栄養補給してやる!」


 勝手に興奮して、ラブラはフレドに飛び掛かってきた。

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