第9話、そして神社だけが残った
【民衆の怒り大爆発!?】
明治以降、神仏分離の影響で、日本における仏教の立場は弱くなっていきます。
江戸時代では、寺院は幕府によって権力が与えられていた半面、日本仏教界は腐敗しており、人々はその不満を大爆発させたのです。
長年仏教に虐げられていた神職の人々だけでなく、仏教に強い不満を持っていた一般人までもが寺を攻撃する、
寺院、仏像、経典などが燃やされるだけでなく仏具を質屋に流されたり、海外に流出してしまい、国宝級の仏像や仏教建築まで、消失してしまいました。
廃仏毀釈の程度は地域差がありました。
その中でも、最も激しかったのが伊勢神宮のある、三重県だと言われています。
県内にある寺院の大半が攻撃され、特に伊勢神宮のお膝元である伊勢市の寺院は300ヶ所あったのが、一気に15ヶ所まで減らされたそうです。
また、鹿児島県では寺院が完全に消え、奈良県にある興福寺では奈良時代から受け継がれた歴史ある、仏像の多くが盗難にあい、その殆どが消失してしまいました。
これは、もうテロレベルですね……
神仏別離令は、仏や外国の神様を追い出すような政策でありません。
「日本古来の神々と、仏は分けて考えましょうね」
「国家神道を確立して、国民の思想を一つにまとめ、文明的に進んでいる欧米諸国に追いつこう」という政策でした。
しかし、一般人や神職の人々が抱いていた、当時の日本仏教界への不満はとても大きいものでした。
廃仏毀釈という事態は、明治政府も思いがけない結果であり、事態の鎮静化に乗り出す事になったのです。
【神仏分離の結果】
神仏分離は融合した神道と仏教の解体には成功しました。
しかし、明治政府が目指した国家神道を国民に広める目的は、廃仏毀釈の影響もあり失敗しました。
また、余談ですが神仏分離と共に
これには、神道を強化するためキリスト教を排除する目的ありましたが、廃仏毀釈の混乱と同時に、欧米からキリスト教の解禁を迫られて、失敗に終わりました。
明治時代に起きた神仏分離により神社が増え、国内にあった寺院の約半分が廃仏毀釈で消えたと言われています。
こうして、神道と仏教の関係は現代のものへと近付いていきます。
神仏分離、廃仏毀釈がなければ日本で一番多い建物は寺院だったのかもしれません。
コンビニよりも数の多い神社は、人々の願いや信仰心だけでなく、策略や企み、そして時代の移り変わりによって数を増やしたのです。
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