近代日本編

第8話、神仏分離よって増えた神社

【融合した神道と仏教の解体】

 奈良時代に起きた神仏習合は元々、日本古来の神々とインドから来た仏は同じだよ、という考えでした。

 

 しかし、いつの間にか神様の真の姿は仏であるという、本地垂迹の思想が広まった事によって、日本の神々は仏より格が下がってしまったのです。

 

 また、神仏習合によって出来た神宮寺はサムライにとても人気が高く、寺院と共に幕府によって手厚く保護されました。


 そして江戸時代になると、寺請制度てらうけせいどというものが始まります。

 これは、元々は隠れキリシタンを見つける制度でしたが、やがて住民調査を担う事になります。

 

 つまり寺院が幕府の公的機関に任命され、お坊さんが民衆管理をする役人で、寺院は役人のような場所となりました。


 しかし、仏の教えを広める、という本来の宗教活動は疎かになり、しかも、江戸幕府から守られているので、当時の仏教界は腐敗し、汚職の温床にもなってしまいます。

 また、当時の寺院は檀家や信者に対して、高圧的な態度や、高額なお葬式を強制させるなどをしていたので、民衆は不満をつのらせていました。


 しかし、一方で神社に従事する神職の方々は立場が弱く、また寺院によって虐げられていました。

 

 つまり、江戸の世の中は巫女さんや神主さんだけでなく、一般人までもが、お坊さんに「激おこ」だったのです。

 そして、江戸時代が中期になると「神道と仏教を分けて考えよう」という思想は強くなっていきました。

 


【そして時代は近代へ…】


 明治維新によって江戸幕府は終わり、明治政府が発足すると明治政府は神仏分離令を出しました。


 この神仏分離令という政策の目的は、国家神道を確立し、国家を精神的に一つにまとめる。

 汚職が蔓延する寺院から支配権を奪い、思想の改革を行う。

 呪術的要素の強い陰陽道や修験道を禁止し、国内の浄化をはかる、などありました。


 そして、神仏習合の思想は禁止され、神道と仏教は明確に区別され、融合していた神々と仏は分解されたのです。


 また明治政府によって修験道の社殿である権現社は、神道に帰属させられ神社になりました。

 

『第4話、増えていく日本の神様』にも書きいた通り、金比羅権現社の主祭神は、インド由来の金比羅大権化でした。

 しかし明治政府の手によって、金比羅神社と改めてられ、主祭神は大国主神に代えられました。


 火災防止にご利益のあった秋葉権現社は、秋葉神社と改名させられます。

 熊野権現を祭っていた熊野十二所権現社は、伊邪那岐神イザナギノカミや天照大御神など、日本古来の十二の神々と入れ換えられて、十二所神社となりました。

 

 祭神を明治政府の手が加えられたのは、権現社だけではありません。

 外国の神様を祭っていた神社にも政府が介入したのです。

 

 有名な所ですと江ノ島神社です。


 ここは元々、七福神の弁財天が祭られていましたが、神仏別離の影響で須佐之男神スサノオノカミの娘で三人姉妹の、宗像三女神むなかたさんじょしんへと代えられました。。

 

 江ノ島神社は今でも日本三大弁財天の一つと言われてますし、弁財天も祭られています。

 しかし主祭神が違う神様なのは、このような背景があるのです。 


 神仏習合によって出来た神宮寺は幕府という後ろ盾を無くし、一気に立場が悪くなりました。


 日光東照宮も神仏習合の思想によって生まれましたが、規模がかなり大きいので残りました。


 しかし街中にあるような小さい所は違います。


 幕府の保護下にあった神宮寺は本来の宗教活動を怠っていたので、信者の数が少なく、存続が難しくなりました。

 

 そして神宮寺は神社に転向するか、消滅するなどして数を減らしていきました。

 

 このように、神宮寺や修験道の権現社も取り込んで、明治時代に神社は大きく数を増やしたのです。


 ところが、明治政府の出した、神仏分離によってとんでもない事が起きてしまいます。

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