第5話、日本オリジナルの仏が登場!?
【権化の登場】
飛鳥時代(592年~710年)になると修験道という宗教が現れます。
神道由来の山岳信仰と、仏教の考え方を取り入れた、宗教です。
つまり神道と仏教のハイブリットな、新興宗教という訳です。
神道に戒律はなく、厳しい修行を強いる事はありません。
しかし修験道は仏教と、仏教から派生した密教の影響を受け、俗世を離れ、山に篭り、厳しい修行によって霊力を上げ、人々の救済を目的としました。
そして修験道に属する人を修験者、または山に伏して修行するので山伏と呼ぶようになりました。
修験道は神仏習合によって出来た、
本地垂迹とはどのような考え方なのかというと……
「日本の神々の正体は、実は仏だったんだよ!!!」
「な、なんだってー!?」
という思想です。そしてこの新しい宗教観によって、日本の神々の立場は仏よりも下になってしまいます。
そして修験道は神々と仏を合体させて権現という、インド人と日本人のハーフのような神様を生み出しました。
更に修験道は独自の神様だけでなく、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩といった、仏教でも主力な仏を三神合体させて、
勿論、蔵王権現は日本オリジナルの仏です。
ナポリにナポリタン、ミラノにミラノ風ドリアがないように、インドに蔵王権現という仏はいません。
権という言葉は「仮の」という意味があります。
当時の朝廷は現代でいう派遣社員のような、
つまり仏が「仮に」神の形をとって「現れた」という意味があります。
わかりやすく漫画で説明すると「江戸川コナン(神=仮の姿)の正体は工藤新一(仏=真の姿)」だよ」という事です。
こうして修験道は
【東照大権現の登場】
カプコンのゲーム『戦国BASARA』でも東照大権現の名前は出てきたので、馴染みのある人もいるのではないでしょうか。
東照大権現はあの有名な日光東照宮の主祭神で、その正体は徳川家康です。
江戸幕府を開いた徳川家康は死後、静岡の久能山に運ばれ、そこに家康を祭る東照宮を建てられました。
そして静岡の東照宮にて神格化された家康は、一回忌に栃木県の日光東照宮へ神格を移しました。
あの有名な日光東照宮は後から建てられたのです。
ちなみに豊臣秀吉も死後、豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)の神号を授けられました。そして秀吉に縁のある地に豊国神社が建設されて、そこに祭られています。
ちなみに、
豊臣秀吉が大明神の神号を取ったので、家康の死後、神号を決める際に、周囲の人は大明神を避け、大権現を採用したと言われています。
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