第2話、神社と神道の発展
【御神体は自然物から人工物へ】
自然物を祭る神奈備信仰だけでは、神社が日本一位の建物数を誇る施設にはなれません。
なぜなら御神体になるような、滝や山、樹齢数千年を超える大木なんて滅多にないからです。
まあ、滅多にないから聖域になるんでしょうけど、これでは神社は限られた地域にしか建てられません。それでも何故、ここまで神社は増える事が出来たのでしょうか。
古代日本人が住む集落周囲に、祭るような大木や滝がない地域もありますが、弥生時代ごろに中国から鏡や製鉄技術などが伝わりました。
そこで弥生人は……
「神社を作りたいけど、御神体になる自然物がないンゴ。せや、中国人が鏡を祭っていたから真似したろ!」
このように考えたのかはわかりませんが、弥生時代になると、祭祀に使われたとされる鏡が出土しています。
さらに中国では日本より、千年先に鏡を神として祭る
中国から日本へ鏡が伝わってくると共に、この考え方も入ってきて、弥生人達は外国の文化を真似たのです。
神道の礎である精霊崇拝の対象には、道具も含まれていますので、鏡を御神体にするのはとても相性がよかったと言えます。
今でこそ鏡はホームセンターでも売っている当たり前の物になりましたが、当時の鏡は選ばれた人しか持てないとても高価な物で、霊験を感じるには十分だったのでしょう。
現代、鏡を御神体として祭っている神社が多いのは、このような歴史背景があったからです。
【大和朝廷の日本統一と神道の統制】
古代日本は現代のような統一国家ではなく、小さな国がいくつも点在している状況で、それらが戦争したり結びあったりしていました。
そして、各小国ごとに自分たちの守り神を祭っているので、ロックマンのボスキャラのように、数多くの神様が存在する事になりました。
しかも……
「オレ達の神様が最強ンゴ!」
「いやいや、こっちの神様が偉いンゴ!」
「何いってるの? 我が国の神が世界を創ったンゴ!」
このように自分達の神様が絶対だと思っていたので、最高神が数多くいるカオスな事になりました。
しかし、この統一性のなさが、
三世紀に古墳時代が始まると、奈良県で周囲の国々を従えるほど、特に強い国が現れ、大きな一つの国家を作り上げました。これが現代の皇室となる大和朝廷です。
大和朝廷は
それと同時に自分達が信仰していた
しかし、朝廷は配下に置いた氏族の神様を否定する事はしませんでした。
そして地方神や他の氏族の守り神を、天照大御神の親戚や家来としたのです。
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