第九話

静謐な空間に殺気が満ちる。

完璧な芸術品にヒビを入れるどころか、粉々に打ち砕かんばかりの、絶対の圧力。壁が欠けるどころの話では無い。

むしろ、手にしたカップは塵と化している。

握力だけでは不可能。自己強化系の魔法が掛かっているのだろう。

部屋はおろか、建物自体から人の姿が消えている。

外からは、動物や鳥がパニックに陥り、声を上げているのが伝わる。

気の弱い者なら、それだけで気を失ってもおかしくは無い。

そんな空間の中で、俺はのんびり茶菓子を貪っていた。


「いきなり話がある、と帰って来たと思ったら⋯⋯。自分の言っている事を理解しているのか?」

「んー。親父が国の為に自己犠牲精神を発揮する提案ー」


ズズっと茶を啜る。

あー、やっぱり紅茶も悪く無いけど、緑茶の方が馴染むなあ。

俺の言葉を聞いて、何やら翳りを無表情に加える伯爵様。近衛騎士団長様、と言うべきかね。


「⋯⋯はあ。お前は、いや、違うな。ルシード殿下は、この国を其処まで低く見積もっておられるのか?」

「いんや、保険かね。この間の茶番もそうだけど。なるべく問題は起こしたく無いんだよ。隣国に関して静観を決め込んでいるなら特に」


親父がため息を吐くと、満ち満ちた殺気が霧散する。

親父も解っているからなあ。ただ、俺に直言されたのが腹立たしかったんだろう。

基本的に親父は越権しないで、自らの職務を完璧にこなす型だからな。それが、学生に過ぎない俺に政務について意見されたのだ。

不遜である、と感じているだろう。

とは言え、近衛騎士団長としての職務は多いし、陛下から個人的に仕事を割り振られる事も多い。

ぶっちゃけると、キャパオーバーだ。

未然に防ぐ、と言う場所まで手が届かない。


「お前の言わんとしている事は解っている。隣国絡みの厄介事は御免だからな。王権派とクーデター派のどちらが勝利を収めるのかも読めぬ。混乱収束後に実権を握った側から恨まれるのは得策とは言えぬ」

「かと言って、どちらかに加勢するってワケにもなー」

「うむ。クーデター派は派閥が多過ぎる。下手に関われば、必ず我が国に害になる行動をするだろうな」

「それだよ、親父。向こうから勝手に関わって来ておいて、失敗して逆恨み、ってのも面倒じゃねえか。だから、そもそも行動を起こさせない」


うむう、と一つ唸り、腕を組む。

しばらく目を閉じて思案に耽っている間、俺は勝手に茶をお代わりする。


「良かろう。儂が七草を辞退する事の利点は大きい。この国の為になるのなら、儂個人の名誉など要らぬな」

「さっすが忠臣!そこにシビれる!あこがれるゥ!」

「黙れ愚息」

「はい、スミマセン」


暢気に茶を啜る上に、父親を茶化す茶目っ気たっぷりの穀潰しに、一瞬殺気を飛ばして来やがった。

先程までと違い、不意打ちに近かったので、反射的に謝ってしまう。

あー、情け無い。

儂、とか使う年でも無いだろうに。このカッコつけー。お前なんか怖くないんだからなー。

心の中で罵倒していると、それが伝わったのか、一層鋭い眼光を飛ばされる。


「それで、儂が七草を辞退する理由は考えているのか?」

「ん?ルシードの一件で良くない?馬鹿王子の愚行を、取り巻きの愚息が止められませんでした、で」


ん、親父の雰囲気が和らいだからか、館に人が戻って来ているな。

文字通り空気を読んで行動しているんだから、ウチの使用人達も優秀と言うか、強かと言うか。

後でお茶菓子のお代わり貰おう。


「それだけだと弱いな。他の者や、それこそ陛下御自身に止められる可能性がある。まさか、馬鹿正直に理由を言う訳にもいくまい」

「あー、辞退しまーす、で終わらないんだ」

「お前は事を簡単に考え過ぎる」

「難しく考えても解らねぇもん。自分の役割くらいは、きっちり出来るけどさ。頭脳労働は俺の仕事じゃねえし」


ちょっと横を向いて答える。

俺だって、出来れば自分で全部考えて答えまで辿り着きたいけどさ。

時間がかかり過ぎるし、そうやって出した答えが正解とも限らないし。

少しコンプレックスだから、視線逸らしちまったけどな。

俺が悩むより、ルシードやリオンに任せた方が良い。


「そうやって、いつしか融通が利かなくなり、堅物になってしまうのだぞ?不要な部分は父親に似おって」

「ん?親父、そんなんだったの?」

「堅物とは作られるのだ。始めから頭ガチガチの人間なんか居るか」

「意外だな。親父は生まれた時から⋯⋯いや、何でも無い」


睨まれたので、言葉を打ち切る。

此れでまた殺気を放たれてみろ。使用人達が一斉に回れ右してしまう。

慣れているとしても、不憫だからな。


「其れを喜ばしいと感じてしまうのだから、儂も甘いのかな」

「末っ子は可愛いって言うからなあ」

「自分で口にする馬鹿が居るか。それに、どちらかと言えば、出来の悪い子程、の方だ」


苦笑する親父に軽口で返す。

大兄貴は文武両道の遊び人気質だし、小兄貴は引き篭もりの頭脳労働特化だからなあ。

で、俺は脳筋の礼儀知らず、と。

ああ、これは苦労するわ。

思わず親父に向かって両手を合わせてしまう。このまま拝んでしまおうか。


「ごほん⋯⋯お前には、もう一つ悪名を挙げて貰わんとならんな」

「それで上手く行くんなら、幾つでも悪名を轟かせてみせるぞー」

「頼むから、後一つだけにしてくれ」

「あいよ」

「そうだな。『パピヨンクラブ』で問題を起こして来い」

「はあ?」


どうして此処で『パピヨンクラブ』の名前が出るのか。

実は詳しく知らないんだよね、俺。

親父の話に拠れば、あの店は目元を覆う型の仮面をするのがドレスコードらしい。

一階の酒場では、希少であったり、一部、何処からか横流しされた物を扱うとか。それを素性を明かさずに楽しむのが流行なんだとか。

問題は地下。

地下一階は、性のフロア。

地下二階は、薬のフロア。

⋯⋯潰して良くない?


「潰したのだよ。かつては国に仇名為す者達が運営していたのだがな。今は国の息がかかった者が仕切っている」

「いや、でも横流しに薬って」


国の闇を聞かさせているなあ。

正直、かなり腹が立っている。

人一倍潔癖な親父が、どうして冷静で居られるのか。


「横流しという名目で、国から仕入れているだけだ。薬も依存性の無い物を厳選している。性に関しては、接待用という側面を持っている」

「思ったより健全で合法な店だった!⋯⋯接待ってのは、外国の人間か?」

「ああ。そういう場所を喜ぶ、腐った輩は少なく無いからな。必要悪だ」


此処で初めて、親父の顔に怒りの色が出る。

成る程。店では無く、それを喜ぶ客が許せないのか。

気持ちは解らないでも、無い。無いが⋯⋯。


「若いな。だから『パピヨンクラブ』に客として赴き、一つだけ許せない事を潰せ。あの店には『人物特定』の魔法を使う者が常駐して居る。仮面をしていても、見た人間のファーストネームと、所属が判別出来るのだ」

「仮面の意味無いなあ。とんだトラップだわ、そりゃ」

「それで、お前が暴れたならば、先の一件と合わせて、儂が七草を辞退するに相応しい理由になる」


うん、親父も『パピヨンクラブ』を心良く思って無い訳だ。

本当ならば、自分で暴れたいが、それが出来る立場では無いので、愚息を使うつもりなんだろうなあ。

結構狡いな。


「まあ、色々理解はしたけどな。性のフロアで俺の愚息が」

「バル」

「スミマセン⋯⋯」


そのピンポイントな殺気、勘弁して下さい。


「だが、そうするとお前は就職先を失う事になるだろうがな。良いか?」

「まあ、そうだろうな」

「良いのか?中央警備隊からの近衛だぞ?実力者が通るコースで、個人的にも良い話だと思うのだが?」

「ああ。どっちにしろ、ルシードに付いてく気だからな。諦めたんだ」


以前、リオンと話していて、すっぱり諦めた。ルシードと居た方が、間違い無く遣り甲斐も、楽しさも有るだろうしな。

ま、言い方悪かったから、リオンは逆の意味に捉えているだろうけどな。

いつも、やられっぱなしだから、たまには意趣返しってやつだ。

俺がルシードの元から離れると思っているのかね。

そう思われているのが心外だから、敢えて、という意味合いもあったしな。


「ふむ。ルシード殿下の近衛も悪くはない、か。ルシード殿下の近衛は『裏』との兼ね合いもあるから、決まっていないしな」

「おお!確かにルシードにも近衛が付く筈だよな!リガトーニ子爵領に入ったら、どうなるか不安だったんだよ!」

「うむ。名目は変わるかもしれぬが、実質は近衛と呼ぶに相応しい者を、相応しい待遇で付ける筈だ」


本音で言えば、願ったり叶ったりだ。

ルシード個人に仕えたままで、近衛に成れるのだから。

親父を見て来た所為か、どうしても近衛への憧れが強いんだよなあ。ただ、あまり表に出すと恥ずかしいから、なるべく口にしない様にしてるけどな。

思わず親父の前で喜んでしまった気まずさを誤魔化す為に、いつの間にか戻って来た使用人に緑茶と茶菓子のお代わりを頼む。

強かな使用人も、厳格な父もニヤニヤしているのが伝わって来るので、居た堪れない。

くそう。

これじゃまるで父親に憧れる息子の図じゃねえか。

絶対に違うからな。


「もう一つ。お前が問題を起こす事で、だ。恐らく、婚約破棄になるだろう」


親父の言葉が理解出来なかった。

困りつつも使用人を見て、自分の顔を指差してみると、無言でコクコク頷いている。


え?

俺、婚約してたの?


「聞いてないんだけど」

「言ってないからな」


いや、マジで。

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