きみとスタンプ

 ピンポーン


 おでこの汗をぬぐいながら待っていると、しばらくしてガチャリとドアが開いた。

「あらヒメちゃん。いらっしゃい」

「こんにちは!」

 わたしはツトムママに大きな声で挨拶をした。ツトムママはチェック模様のエプロンをつけている。お料理してたのかな?

「ツトムー! ヒメちゃんきたよー!」

 ツトムママがわたしより大きな声で呼んだら、バタバタと足音が近づいてきて、びっくりした顔のツトムがやってきた。

「なあに?」

 わたしは背中に隠していた絵の具セットをジャーンと取り出して言った。

「宿題、手伝って!」


 夏休み、あとちょっとしかない。自由研究どうしようかな。

 ママにそんなことを相談していたら、朝早くに釣りに出かけたパパとお兄ちゃんが帰ってきたんだ。

 パパはとっても嬉しそうに、釣ってきた魚をママに渡していた。お兄ちゃんはなんだか疲れた顔をしていたけど、わたしにすごいものを見せてくれた。

 おっきいお魚を真っ黒に塗って、おっきい紙に押したスタンプ。魚拓って言うんだって。

 わたし、それを見たらピンときたの。


「それで、シロでギョタク作ろうと思ったの?」

「そう! シロは犬だから、イヌタクね!」

 わたし達二人はツトムの家の庭で、イヌタクを作る準備をしている。

 シロはツトムの家で飼っている犬だ。少し前までよく一緒に遊んでいたけど、最近はすっかりおとなしくなっちゃって、ほとんど動かない。もうおじいちゃんなんだって。

 小さなシロは、今はツトムの膝の上で目をつぶってる。

 わたしが持ってきた画用紙を見せたら、ツトムが「ちょっと小さいんじゃない?」と言うので、セロテープを借りて何枚か貼り合わせることにした。

 そしたら、いつの間にかお布団みたいに大きくなってしまった。地面に広げたら本当にお布団みたい。……まあ、いっか。

 さて、何色で作ろうかな。

 黒? かわいくないし、つまんないな。

 赤? やめとこ。血みたいだもん。

 青? いいかも。だって、わたしとツトムが好きな色だから。

「よ〜し」

 わたしはパレットに青い絵の具をたっぷり出して、水を吸ったスポンジでゴシゴシと混ぜた。真っ白だったスポンジはすぐに真っ青になった。

「じゃあつけるよ」

「うん」

 ツトムがシロを地面に置いてくれた。

 わたしはシロの横にしゃがんで、スポンジでシロの体をぐしゃぐしゃとこすった。シロの白い体が、さっきのスポンジみたいにあっという間に青くなった。

 シロは最初はおとなしくしていたけれど、顔をこすったとたん、急にびっくりして飛び起きた。その時に体をブルブル震わせたので、近くにいたわたしとツトムに、青い水がたくさんかかった。

「うわっ」

「キャー!」

 シロはキャンキャン吠えながら走り出した。

「こらー!」

 わたしはカーッとなって立ち上がり、すぐにシロを捕まえた。でも、またブルブルッとしたせいで水が思いっきり顔にかかった。わたしがびっくりしている間に、シロは逃げた。

 普段はヨボヨボなのに、急に元気になっちゃって!

「待てー!」

「シロ、待て!」

 ツトムと二人がかりで追い回すけれど、シロはなかなか捕まらない。

 そのうちわたしは足を滑らせて、画用紙の上にべしゃっと転んでしまった。鼻を打ったみたい。ちょっと痛い。

 起き上がったら、画用紙の上に青い跡がついていた。

「あ! ヒメタクだ!」

 ツトムがそう言って笑った。

 ムカついたので、近くに来た時に服を引っ張って、転ばせてやった。

 ツトムがゴロンと転がったところと、手をついたところが少し青くなった。

 わたしはわざと意地悪な言い方をした。

「ツトムタクで〜きた」

「やったなー!」

 ツトムは両手をパレットに押し当てて絵の具をつけると、画用紙の上をハイハイして手形だらけにした。

「いっぱいつけてやる!」

「わたしだって!」

 わたしも同じように手のひらに絵の具をつけて、ベタベタと画用紙をさわった。

 二人して夢中で画用紙を叩いていたら、ふいに、ツトムの手がわたしの手の上に、バシッと音を立てて乗った。

 ツトムは慌てて手を引っ込めた。わたしは胸の前でぎゅっと手を握った。

「ごめん、痛かった?」

「だいじょうぶ」

「ほんと?」

「だいじょうぶだよ。あ、シロ!」

「あー!」

 いつの間にか画用紙の上に寝転がっていたシロが、ちょうど立ち上がろうとしていた。

 ツトムは「イヌタクとれたね〜」と言いながら、シロの体の形をした青い跡を見に行った。

 手とほっぺたがじんじんする。

 わたしの顔、あんまり見られなくてよかった。きっと、いつもと違う顔をしているから。


 二学期になった。

 わたしが『絵の具のきれいな落としかた』を先生に提出したら、次の休み時間にツトムがやってきた。

「ねえ、イヌタクは?」

 不思議そうな顔をしてる。

「大きくて持ってこれなかったの」

 とわたしが言ったら、「そっかぁ」と言って、自分の席に戻っていった。


 本当はね、持ってこれないんじゃなくて、持ってくるの、やめたんだ。

 だってあれは、ツトムタクだもん。

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