アップルパイ

cokoly

アップルパイ

「何してるの?」


 珍しくキッチンに立って何か考えている啓太を見て、奈々は聞いた。


「いや、たまには何か作ろうと思って」

「へえ、珍しい」


 奈々は啓太が料理に関心を持った事などこれまで見た事もなかったので、意外だった。


「何作ってくれるの?」

「アップルパイ」

「アップルパイ!?」

「うん」

「なんでアップルパイなの?」

「アップルパイ嫌い?」

「好き」

「そか。よかった」

「作った事あるの?」

「いや、全然」


 何がきっかけで啓太が突然アップルパイを作ろうと思ったのか奈々は不思議だったが、啓太がそんな事を言い出したのはこれまでなかった事なので、それはそれで嬉しい気がしたのだ。


「どうやって作るの?」

「さっきネットで見たから、材料を今確認してたんだ」

「材料は足りるの?」

「リンゴとパイ生地が足りないね」

「アップルパイにとっては欠かせないものね?」

「そうだね。その二つがそろわない限り、どんなに工夫して料理してもアップルパイと呼べるものは出来ないだろうね」

「確かに」

「だから今から買いに行く」

「今から?」

「うん」


 奈々は窓から外を見た。

 今朝早く上陸した台風が、今まさに付近を暴風域に覆っている所なのだ。激しい雨と風が窓をさかんに叩き付けたり震わせたりしているのを見て、奈々は言った。


「天気悪いから、明日にしようよ」

「明日は仕事だし、多分早く帰れないと思う。今日作りたいんだ」

「ねえ、台風来てるんだから、危ないよ。アップルパイ作る気になってくれたのは嬉しいけど、その気持ちで十分だから、今は外に出るの止めよう?」

「大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないよ」

「さっきネットで確かめたんだ。あと少しでこの辺りは台風の目の中に入る。その間に必要なものを揃えてくる」

「危ないってば」

「大丈夫。慣れてるから。俺の田舎じゃよくやってたんだ」


 結局、啓太は奈々の制止を聞かずにその30分後にはスクーターで近くのスーパーへ行って40分後には帰って来た。


「な、平気だったろ?」


 得意げな啓太の顔を見て奈々は何も言えなくなった。(あなたはどうか知らないけど、私は台風になんか慣れていないんだから。どんだけ心配したと思ってんのよ)と言う内心の思いを伝えたところで、能天気なまでのリアクションしか返って来ないだろうと言う事がやすやすと想像できた。


 それから一時間後、啓太は驚く程の手際の良さでアップルパイを完成させた。


「おいしい」


 奈々が素直にそう言うと、


「な、行って来て良かっただろう? 多分もう二度と作る気にならないよ」


 と啓太は言った。


「そんな事言わないで作ってよ。すごくおいしいから」

「じゃ、また台風が来たらね」

「普通の時でいいでしょ」

「こういうのはさ、タイミングとか、気持ちが大事なんだよ。普通の時に俺がアップルパイ作ったって美味しくなる訳がない。それ、わかるだろう?」

「全然分からない」

「全然?」

「分かった。こうしようよ。今度台風が来たら、雨とか風とかが激しくなる前に買い物を済ませましょう」


 奈々はそう提案した。奈々は至極当然の事を言ったつもりだったが、啓太はしばらくうーん、と唸って、あまり納得してはいないようだった。


「そうじゃなきゃ私食べないからね」

「…それは困る」

「じゃ、決まりね」

「譲歩しよう。でも他のものを作りたくなるかも知れないよ?」


 奈々はだんだん答えるのが面倒になって来た。


「冷えないうちに食べちゃおうよ」

「それもそうだ」


 二人は暴風が窓を揺らしたり、豪雨が建物全体を叩き付けるような音に囲まれながら、啓太の作ったアップルパイを黙々と平らげた。

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