横田エアリフトベース・コンツェルト

上松 煌(うえまつ あきら)

横田エアリフトベース・コンツェルト



          ◇ 1 ◇



 立川駅北口の自社駐車場に社名の入った社用車を止める。

これで今日は仕事から解放されるのだ。 

「あっ、ちょっ。ちょっ、殿塚(とのづか)くんやん」

派手なだれかが呼びとめた。

ケツの出そうなミニタイトにセシルマクビーの肩出し。

風俗か水商売風の真っ赤な口紅が下品だ。

「なんや、ここなの?へ~、大多摩新聞?いいとこ入ったじゃんね」

「あ?あ、え~と。牧野?牧野か」

牧野姫衣(まきのひめい)。

学生時代、同じゼミだった子だ。

学力もないのに、金を積んでやっと入ったみたいなウワサがあった。

「やったぁ、ここ、時々車止めてんのんよ。殿塚くんが社員なら超ラッキー」

「やめろよ。来客用だぜ」

「ええやんかぁ。堅ったいこと言わんでも…。いっつもぎょうさん空いてるんしぃ。ね、ええからダベろ。めっちゃなっつかしぃわぁ。ね、ね」


 正直言って、あまり好きなタイプではない。

人なつっこく明るいが、反面、押しが強く自己中心的だ。

在日朝鮮人で日本人ではないから、民族的なものだろうか、ちょっと違和感とズレがあった。

「そんなんイヤそうな顔せんといてぇっつうの。ね、ちょっとだけ。頼むわ。コーヒーくらいおごらしてえな。ね、ね、ねっ」

しなだれかかって、腕に絡みついてくる。

新聞社の駐車場では不適切だ。

急いで振り払った。

「離せよっ、人が見てる。こんなところでみっともないだろ。…わかった、行く。行くから」



          ◇ 2 ◇



 直近のグランドヒルズ・ホテルの喫茶室に転げこむや、盛んなおしゃべりが始まった。

口から先に生れて来たようなところは、ちっとも変っていない。

「あたし。あたし今、エステサロンの店長なん。卒業して1年未満でスゴイっしょ?実はスポンサーがおるんよね。おジイちゃんで、日本人やからバカお人好し。あははは」

聞きもしないことをペラペラしゃべる。


 「でさ、大多摩新聞って仕事どない?事件の取材とかすんの?おんもろそ~。カッコいいよね」

「いや、地元以外の事件はあまり扱わない。それは大手の仕事だよ。文化的なものが多くて、今、横田基地から資料借りて,当時のアメリカから見た多摩の特集してる」

「え?ええ~?横田ぁ?そういや、横田もええわぁ」

なぜか声が跳ね上がった。


「ええやん、ええやん。ね、あったし、まだ彼氏おらへんのん~。ねっ、紹介してえな、白人の軍人さん。将校がええわ。自慢やないのんけど、あ・た・しテクニシャンなん。絶対いちコロ。ねぇ~ん、一生のお願いや。新聞取ったるわ。友達2,30人分ならマジ保証やで」

「え?ちょっと待てよ。カレいないって…そのおジイさんがカレだろ?」

「は?なにゆうてん~?嗤わせんな、もう」


 なんだか不快になる。

在日朝鮮人は通名を使っているから、アメリカ人から見れば日本人に見えてしまう。

こんな便器が日本人と思われたら国辱ものだ。

「いや、写真借用だけだから、知人は一人もいない。ムリだね。カレが欲しけりゃ友好祭とか行けば?」

「だってぇ~ん、それ終わったばっかりやん。1年も待てないしぃ。やっぱ、ちゃんとした人がええやろぉ?イケてたら国際結婚も視野や。本気やでぇ。紹介してくんなきゃ、あたし、基地のリセプションとこ行って、大多摩新聞社の殿塚の友達やけどぉ

、彼氏欲しいんですぅって言うたろかな」

「やれば?バカと思われるだけ。それに急に横田横田ってなんだよ」

「だって、今、話聞いてええなぁ思っちゃったんやもん。ほな写メや。うん、ホンマ、ええわ。白人将校最高~」


 本当にイラつく。

伝票を彼女に投げて立ち上がった。

そのまま振り向きもしないで外に出る。

牧野姫衣(まきのひめい)が追って来られないように、足早に社屋に入った。

受付の警備員が、ニコニコと挨拶してくる。

「お帰りなさい。横田基地どうでした?」

「あんまり興味ないんで…。ま、フツーに親切かな」



          ◇ 3 ◇


 そうなのだ。

今日の仕事はそれだった。

時間通り、米空軍横田補給基地(USヨコタ・エア・リフト・ベース)の駐車場に入れた。

正門の第2ゲートの警備ボックスで来意を告げる。

もちろん事前に許可は取ってあるものの、日本のプレスはここでいったん足止めされ、警備兵による確認と内部への連絡を待つ。

平成16年のこの当時、番兵は全員が物々しくM16アサルトライフルを携えていた。

前年の平成15年3月、この基地に向けて金属弾が発射されるというテロが起きていたからだ。


 やがて奥から1台の車がやって来て、乗員が降りてくる。

民間人と見まがう端正なスーツにネクタイ、磨きこんだ靴。

地元の新聞社記者、つまりおれと基地との仲介を務める「アレック・ハーディング」少尉だ。

まぁ、多分縁もゆかりもないだろうが、29代米大統領と同じ名字だ。

彼は軍人だが通訳も兼任する。

そのため、他の国より軍隊にアレルギーを持つ日本人に威圧感を与えないためだろうか、普段は背広が制服だった。

アメリカはそういうところは上手い。


 お互い、にこやかに名乗り合ってから、その車に同乗する。

ハンドルはもちろん少尉が握る。

日本の自衛隊もそうだが、基地内では勝手な行動は許されない。


 おれの所属する『大多摩新聞社』は多摩地区以外にも広く読者を持つ。

立川に本社、各所に小さな分室があり、昔は紙面のみだったが、今はネット配信もしている。

バックに市の支援がつく、いわゆる第3セクターだ。

そのため各種市民スポーツや姉妹都市との文化交流も主催している。

創立55周年の佳節に、横田基地より終戦当時の資料を借用し、アメリカから見た日本の特集を企画したのだ。



          ◇ 4 ◇



 「資料室長のところへご案内します。要望書は彼に直接提出することになります」

ハーディング少尉の流暢な日本語だ。

資料借用依頼の概要はすでにメール連絡して、承諾をもらっている。

それでも室長自らが大学を出たばかりの一介の記者に会うというのだから、厳格な人か、プレスを信用していないかのどちらかだ。

横田基地反対運動の急先鋒に『西多摩新聞社』というのがあるから、それと混同している可能性もある。


 だだっ広い基地内をめぐるように進み、横長の白い建物に着いた。

3~4棟、全く同じものが並んでいるが、番号が割り振ってあるだけの素っ気ない3階建だ。

東棟の一番奥が室長の執務室らしかった。

ドアは開け放してあったので、声をかけ、返事を待ってから部屋に入った。

いかにもアメリカ軍らしく、部隊マークやエンブレム、古い写真などが壁を飾る。

北を背に南面して重厚な机があり、60越えた老人が眼光鋭くこっちを見ていた。

なぜか、痩せた白頭ワシを連想した。


 2階に膨大な資料の山があった。

占領当時の荒れた横田の街や、鉄条網やひし形の網目フェンスにしがみつく子ら、パンパンという在日コリアン売春婦。

ジープを乗りまわし、車や自転車すら乏しい街角を闊歩する米兵。

何かの式典なのか、アメリカ国旗と垂れ幕、提灯に飾られた華やかな会場の数十枚は、舶来の飲み物や料理と相まって、いかにも戦勝国の豊かさをあらわしていた。

おれは時間をかけて丹念に資料をあさり、写真だけでなく図や表なども含めて、40枚ほど選んだ。


 ただ、年代がわからないものがほとんどだ。

サムネイルで一覧表的に並べるのに、時代が前後していてはマズい。

鷹の目の室長に尋ねると、年代を調べるので2日後に再訪してくれと言う。

 

 郵送でもいいのではと思ったが資料を預け、アレック・ハーディング少尉の案内で再び車に乗る。

これといった話もなく、ゲートに着いた。

警備兵どもが無表情で見守る中、再訪を約して別れた。



          ◇ 5 ◇



 2日後、基地の資料室から連絡があった。

礼を言って早速取りに行く。

横田第2ゲート前の駐車場に降り立つと、目の前に迫って来る車がある。

「殿塚くん、やっぱ、基地きたやん」


 瞬間的にゾッとした。

気味が悪い。

例の牧野姫衣だ。

「行動、張ってたんよ。仲間、友達ぎょうさんおるけん。みんなナマポやしなぁ、ヒマやん」

仲間?

在日朝鮮人については知識がないので、浮かぶのは在特会・総連・民団くらいだ。


 「なにがしたいんだ?おれ、仕事中だぜ」

「だぁかぁらぁ、サテンでゆうた話しぃ、な、よろしゅうな。ええやん、ええやん」

「ふざけるなっ。彼氏が欲しけりゃ自分でアタックしろ、バカ」

「あっちゃぁ~、あたいに、この口のきき方ぁ」

姫衣が運転席を振り返る。

そこにはいかにもコレもんの黒サングラス。

「お兄ちゃん、恋のキュウピッド頼んま。嬢ちゃんな、なんや急に横田の彼氏欲しゅうなったんやと。ま、言い出したら聞かんよって、いい彼見つくろってえな。な、悪いようにはせんさかい。兄ちゃんの紹介なら、嬢、信用できるっちゅうてんでな」

「迷惑ですっ。横田関連の人なら他にもいるでしょう。その人に頼むべきです。おれはただの新聞記者で、横田基地には仕事で来ただけだっ。おれ自身は横田なんか興味もないし、第一、知らない」

つくづく勝手なやつらだ。

なんの酔狂か知らないが、とにかくかかわってはいけない連中だ。


 ファ~ンと軽いクラクションの音がした。

アレック・ハーディング少尉だ。

ゲート内から、駐車場は隅々まで見渡せるつくりだから、今のやり取りは筒抜けだったろう。

「兄ちゃん、あんた、あとで後悔せんようにな」

意味がわからなかったが、捨て台詞らしかった。

そのまま車は平然と発進して行く。

とにかく、この場は切り抜けた。

おれは顔色を急いで整え、素知らぬふりで少尉に会釈した。



          ◇ 6 ◇



 資料の受け渡しは、この間の室長室だった。

相変わらずの鷹の目の老人が袋に入ったものを渡してきた。

ざっと確認すると年代どころか、イベントなどは日時まで丁寧に調べてあった。

おおざっぱと聞くアメリカ人にしては完璧だ。

「ありがとうございます。お手数をおかけし心より感謝いたします」

言葉通り、心からの感謝だった。

そのまま1週間後の返却を確約して廊下に出た。


 「ああ、え~と、お昼はまだでしょう?よければ士官食堂にご案内しますよ。すぐ近くです」

時間はちょうど14時近い。

ハーディング少尉の思いやり深い申し出だった。

おれは横田基地にはほとんど関心はないが、飯なら大感謝だ。


 案内された士官食堂は、将校クラブと同じく、ごく普通の鉄筋平屋建てだった。

軍隊らしくスッキリと機能的な内装で、雰囲気にはなんとなく自衛隊の士官食堂との共通点もある。


 ビュッフェあるいはバイキング形式のアメリカン・レストランといった感じで、厨房側のコーナーにはアメリカ人好みのコテコテした料理とサラダ、ドリンクやデザートが並んでいる。

適当に好きなものを取ると、少尉がICカードで払ってくれた。


 窓からは、少し離れた所にある日本庭園が望めた。

横田の歴史などを聞きながら、バカ甘いデザートに移行したころ、だれかがハーディング少尉を呼びに来た。

「あっ、すみません」

その顔を見るなり、おれに謝罪する。

「ごめんなさい。忘れてました。つまり、AFN(米軍放送網)とのダブルブッキングです。ちょっと失礼。すぐ帰りますので、待っていてください」

AFNの歴史は古く、占領当時にすでに開設されている。

駐屯する軍人およびその家族向けのラジオ局で、昔はFEN(極東放送)と呼ばれていた。

ちなみに、大多摩新聞社では今でもFENのほうが通りがいい。


 ここからは国道16号と八高線の線路を隔てた反対側にある。

立地的にも、往復するのはちょっと時間がかかりそうだった。



          ◇ 8 ◇



 ヒマなので日本庭園を見学することにする。

本当は単独行動は許されていないのだが、庭の観賞くらいなら文句は出ないだろう。

近づいてよく見ると、社(やしろ)もないのに正面に赤鳥居、その向こうのひょうたん池には赤い太鼓橋がかかっている。

まぁ、横田の部隊マークにも富士と鳥居はデザインされているから、信仰とは無関係なシンボルなのだろう。

意味もわからずに形だけをまねたのが見え見えで、なんとなく寂しい風景だった。


 それよりも、さらに先に興味をひくものを見つけた。

200メートルほど先で、士官食堂からはだいぶ離れてしまうが、旧日本軍の優美な管制塔だ。

現在でも現役で使用されているこの施設は、残念ながら近いうちに取り壊され、リニューアルされる予定なのだ。

周りは開けているから怪しげな行動をすればすぐわかってしまう。

悪意はないのだから、なにもしなければ多少の接近は問題ないのではないだろうか?


 興味にそそのかされて、ぶらぶら近づく。

大時代的な白い板張りの瀟洒な4階建は、なんとなく懐かしい気がして目を引く。


 もう少し近づこうと、さらに進んた時だった。

後ろに車の気配がしたかと思うと、いきなり前を遮る形で止まった。

カーゴタイプの警邏用ジープだ。

運転席のすぐ後ろには、M16がこれ見よがしにかけてある。


 MPは運転席からおれの顔にじっと眼を注ぎながら、どこかに無線連絡をしている。 

間もなくアレック・ハーディング少尉の車が飛ぶようにやってきた。

彼がちょっと合図をすると、警邏車(けいらしゃ)は何事もなかったように静かに去ってくれた。

「ごめんなさい。遅くなって。日本の旧軍管制塔が見たかったのですね。おっしゃって下されば、後日にでもご案内しますよ」

勝手な行動を責めることもなく、そんな親切を言ってくれる。

その言葉に思わず本音が出た。

「申し訳ありません。でも、日本製のものが取り壊されると聞きまして、やはり心が動いたのです」

少尉はちょっと黙ってから言った。

「ええ…とてもよくわかります」

お互いに心が通じた気がした。



          ◇ 9 ◇



 混雑する国道16号を左折して砂川方面に帰る。

横田基地への引き込み線を通過して間もなく、後ろに追従する車に気付いた。

嫌な予感がする。

案の定、滑走路の南端を過ぎたころパッシングをしてきた。

うんざりしながら左に寄せて止める。

 

 「ねぇ~ん、どうだった?」

「そんなに急にムリだよ。今日は話せていない。1週間後に資料を返しに、また横田に行くからその時に相談してみる。新聞社

の仕事で来てるんだから、関係ない話はなかなか言い出せない。相手に変なヤツと思われたら、絶対、紹介してくれなくなる」

「それって逃げてんやない?はよ、せいや。あ?」

「カレに欲しいのは誠実で有能な白人将校なんだろ?そんな優良物件、横田にだって早々転がってないよ。聞いてみることは聞いてみるから、ちょっと待ってくれ」


 「信用でけへんなぁ。人にものを頼まれとんに、不誠実すぎへんかぁ。ゴウゥラァ」

「なんだよ、それ?尽力するって言ってるだろっ。頼むから、おれをつけ回さないでくれ」

ったく、なんでこんなことになったのだろう。

大多摩新聞の駐車場で牧野姫衣に呼び止められた時、相手にせずにあしらっておけばよかったのだ。


 「嬢ちゃん、急いては事をし損じるっゆうやろ、時には待つことも大事やワ」

運転席の黒メガネがニヤニヤと間に入る。

「せやろか」

この男の言うことは良く聞くようだ。

「兄ちゃん。わいらがなにもんやか、もう承知やな。物事はその道によって賢しゆうてな、わいらも人に頼まなならんこともあるっちゅうこっちゃ。ま、きばってや」

またまた、勝手な言い分だ。

しかも、わざわざ人の車の前に出て、悠然とターンする車体はなんとBMWだ。

近頃のコレもんは、インテリ風の車がお好みのようだった。



          ◇ 10 ◇



 資料室長への資料の返却は、これまでになくうまくいった。

老人はかなりうちとけた様子で、別れぎわにはちょっとにっこりしてくれた。

これでもう、彼と会うこともないのだ。

おれはなんとなく後ろ髪をひかれながら外に出た。


 だが、このままでは横田を去れない。

「あのぅ、少尉。お時間ありますか?仕事がうまく完了したお礼に、今度は自分が士官食堂にお誘いしたいんです。受けていただければうれしいのですが…」

おずおずとした言葉になった。

少尉の反応はどうだろう?

「あはは、うれしいですね。でも、支払いは現金では受け付けないんですよ。特別にやれないことはないですが、釣り銭は出ません。ですから、わたしのカード払いのほうが面倒がないです」

にこやかな返事だった。

よかった、これで話のきっかけがつかめる。


 窓際の席に座った。

表面がカリッとこげたステーキとマッシュポテトがうまい。

パンをむしりながら、さりげなく言い出してみる。

「ちょっとお願いが…。実は知人に横田の軍人さんを紹介してと頼まれまして。大学を卒業したばかりの、おれとおない年の子です」

姫衣の写メを差し出す。


 アレック・ハーディング少尉はちょっと眉を跳ね上げた。

「ああ、あの時…。ゲート前の駐車場で話しこんでいましたよね」

そして下を向いて吹き出した。

「あの人たちがあなたのお知り合いとは」

「え?いえ、ま、まぁ…ゼミ友で」


 「立川の山口さんなら問題ない。大人しいから。福生のええと、牧野…と言ったかな?コレはダメです。ホール・ガール(売春婦)をたくさん雇って、ディスコクラブやライブハウスに見せかけたデリバリーや、ウェブの軍人出会い系も手広くやってる

人ですよ。写メのこの女性はその娘です。ま、だからこそ、逆にあなたに紹介を頼んだのでしょう。純粋培養の士官にはウブも多いですから。ただし、彼らはガードも堅い」

「はぁ…なるほど」

アメリカ人の意識の中では案外、プレスの信用度は高い。

おれはそれを知っている姫衣に記者の立場を利用されたらしかった。


 横田基地には様々な下心を持った人間が近づいてくるのだ。

善心、悪心取り交ぜてだ。

今さらながらに黒サングラスの言葉が思い出される。

『わいらも人に頼まなならんこともあるっちゅうこっちゃ』

つまり、出入り禁止の連中だったのだ。



          ◇ 11

 ◇


 少しため息が出た。

「よくわかりました。今の話は忘れてください。すみません」


 だが、黒サングラスはこうも言ったのだ。

『兄ちゃん、あんた、あとで後悔せんようにな』

やつらの一方的な頼みでも、不首尾に終わればそれなりの報復はあるかも知れない。

気が重くなった。

まさか殺しはしないだろうけど、多少痛い目にあう覚悟は必要だ。


 困惑が顔に出たのだろう、少尉がとりなすように言った。

「エア・リフト・ベースには人材は多くいます。つまり、その中にはエア・マン狙いの女性をうまく有頂天にさせて、転任で捨て去る。これができる者がいるということです。なんなら、わたしが紹介しましょう。下士官ですが、マッチョでしかも底なしです。ピックアップ・ガール(つまみ食い女)にもマイ・スゥイート・ハートと平気で言えてしまう猛者です。階級は士官ではありませんが、上級曹長(シニア・マスター・サージェント=日本の曹長)です」

「え…。いいんですか?」

「問題ない。今はネットでの軟派が主流ですので、相手の素性が分かりにくい。でも、この牧野さんのケースは違う。かえって好都合ですよ。彼女、どうせ真面目な付き合いはしないでしょうし、出来ない。環境が環境ですからね。大丈夫。上級曹長はこのエクササイズを見事にこなすでしょう」


 思わず、深く頭が下がった。

「ああ、本当に感謝します。なにかお礼が出来ることがあれば…」

「お礼なんて、こちらがかえって恐縮ですよ。ぼくは殿塚さんに興味があります。まだ、日本人の友達は持っていないので。ええと…あの、もし、よろしければアレックと呼んでください」


 突然の友達要請だ。

もちろん、こっちに拒絶する理由はない。

「願ってもないことです。よろしくお願いします。殿塚聡士(とのづかそうし)です。愛称はなにが言いやすいでしょうね?」

アレックは数回、名前を口ずさんで微笑した。

「トノヅカソウシ、ソウシ、ソー…。聡がいいです。口にしやすい」



          ◇ 12 ◇



 アレックとの交友は、横田に関心のないおれでも、なかなか興味深いものだった。

彼は週末ごとに基地に誘ってくれ、様々なアメリカ的なものでもてなしてくれた。

異国情緒なのか、内部が微妙に和洋折衷の将校クラブはもちろん、ダンス(ディスコ)ホール、ボウリング場、フードコートなどの施設だ。

中でもハイライトは彼が所属する米軍飛行クラブでのセスナ機のフライトだった。

だが、これは周辺市街地を飛行せざるを得ないため、常に横田基地対策特別委員会及び横田基地周辺市町基地対策連絡会の監視下にある。

実際におれが同乗した時も、日曜日ということでさっそく苦情が入り、わずか数分の飛行で帰還せざるを得なかった。

アレックはそれを残念がってくれたが、こっちは申し訳ない気持ちでいっぱいで、それっきり乗る気にはなれなかった。


 逆に個人的に気に入ったのは、基地内のキング・バーガーと稲城に足を伸ばしての広い乗馬クラブだ。

ここは米軍多摩リクリエーション・センターと呼ばれている。

馬場のほかにディスコやゴルフ場、バーベキュウ施設、宿泊のためのキャビンなどがあった。

おれは学生時代は障害飛越でけっこう鳴らしていたから、心おきなく馬上に遊んだ。

調教のコツの違いだろうか、なかなかの良飛越馬がそろっていたからだ。

アレックは乗馬が苦手らしく、初心者用の馬場で、つつましくトロットやキャンターに励んでいた。


 予定どおり、日暮れからラウンジ・バーにしけ込む。

バーでの酒は実にうまかった。

ツマミは基本、チィップスやポプ・コーン、ナッツていどしかないから、併設のダイニングから調達する。

ちょうど、好物のフォアグラのパテを乗っけた黒パンがあって、これがホワイトラムを基調にしたカクテル「ダイキリ」に、びっくりするほどよく合った。

アメリカ人男性はビールやウイスキーを好むイメージがあるが、カクテルも種類豊富でフツーに飲まれている。

アレックは2種のラムと3種の柑橘系の果汁をぶち込んだ赤い酒「ハリケーン」を好んでいた。

これはグレナデン・シロップ(ザクロ)が入るのが特徴だ。


 おれは伝統的に酒に強い家系だが、アルコール分解酵素に富む白人のアレックには、やはり敵わなかったようだ。

23時過ぎには、したたかに酔っていた。

そのままキャビンに帰る。

ここへの往復は車だから、当然、飲酒運転を防ぐために宿泊する。

アメリカは日本より酒酔い運転には厳格で、もしMPにバレたら非常にやっかいなことになるのだ。


 部屋はシングル・ベッドが2台並んだツインで、まだ新しくて気持ちがよかった。

おれはアレックとほんの少ししゃべった程度で、心地よく眠りについていた。

本当に完璧な一日だった。



          ◇ 13 ◇



 楽しい夢の余韻を引きずった、ほのぼのした目覚めだった。

もう、9時過ぎだろうか。

ログの窓からさしこむ光の反射がきれいだ。

だが、何気なく身体をおこしてギョッとした。


 裸、しかも素っ裸。

瞬間的に真っ赤になった。

おれは飲みすぎると、着衣がうっとおしくて脱ぎ捨てる癖がある。

その悪癖をこともあろうに、友達になったばかりの異人種、アレックの前で披露してしまったのだ。

きちんとパジャマを持ちこむほど上品で生まれ育ちもいい彼は、この醜態をどのように感じただろう?

日本人は変態。

そう思われたら、もう交友は終了だろう。


 目で急いでアレックの姿を探す。

ベッドにいない。

先に目を覚まして席を外したのだ。

服は?

服がない。

おれはどこに脱ぎ飛ばしたのか。

人の気配に、とっさにシーツを身体に巻き付けた。


 「目が覚めました?あなたがお好きという紅茶入れたとこです。グッド・タイミング」

キッチンから出てきた彼をおどおどと迎える。

「あ、あのう、す、すみません。その、え~、とんでもないおれをお見せしまして…。あの、これは気持ちよく酒を飲めたときの個人的な悪い癖なのです。どうか、このことで日本人を無作法と思わないでください」


 彼はちょっと笑いを噛みころしてから、いつもの声で言った。

「どういたしまして。服は壁にかけてあります」

そして気を利かして、ハンガーごと渡してくれた。

おれは2度とこの醜態を演じないことを肝に銘じながら、シーツの下で素早く下着をつけ、それから服を装着した。



          ◇ 14 ◇



 大多摩新聞社の55周年企画『アメリカから見た多摩の風景』は読者にかなりの好評を博した。

先輩たちに大いに支えられたこの成功は、新米記者に自信と真摯な責任感を与えた。

おれは采配を振るった編集局長の目論見どおり、必然的のこの仕事にのめり込んで行った。


 土曜を返上して、地元企業経営者のインタビューに励んだ午後だった。

まだ13時前で、久しぶりに陽の高いうちに帰れる。

心楽しく社の駐車場に来た時だった。

例のBMWが見えた。

わざわざ、おれのゲレンデ・ヴァーゲンにピッタリ寄せている。

いや、このBMWはけっこう頻繁に止まっている。

それでも違法駐車で社内問題にならないのは、先輩記者たちが忙しいのと、他にも空きがあるからだ。


 車内に人影があるので、無視するに限る。

すり抜けようとした時、声がかかった。

「殿塚くん、おひさ」

やっぱり、ゾッとした。


 「ちょっと相談あるん。乗って」

冗談じゃない。

顔をそむけたまま、自分の車に近づく。

その背中に声が投げられた。

「あんたが紹介した上級曹長、とんだ食わせもんや。どないしてくれるん?」


 反発で、思わず返事してしまう。

「そんなの、自己責任だろっ」

「あたい、本気やったん。逃がさへんで。話ししよっ」

BMWから飛び出してきて、全身の力でしがみつく。

姫衣にしては、いつになく必死の気がした。


 「離せよっ、迷惑だ」

ちょっと冷酷だが振り払う。

ドアを開けようとした腕にむしゃぶりつかれた。

「痴漢、この人痴漢やでぇっ。つかまえてぇや~」

耳を疑う。

「バカ言うなっ。おれは新聞社の人間だぞっ、名誉棄損だ」

「ちかん、チカン、痴漢やぁっ。お巡さぁん、マジやでっ。逮捕してやぁ~っ」

よけい声を張り上げる姫衣に、もう、キチガイを相手にしている気がした。


 おれに注がれる周りの目は

「なんだ、コイツ。土曜の昼間っから痴話げんかかよ。モーテルの前でやれ」

という、非難と嘲笑の目だ。

「やめろ、いいか、新聞社に迷惑がかかる。ほら、乗ればいいんだろ、乗れば」

もう、やけくそだ。

一刻も早くここを去りたい。

BMWに近づくと、腕にぶら下がって大きくうなづきながら、ワッと泣きだした。

なんとなくいつもの彼女と違う気がする。

いや、朝鮮には同情を引くための、泣き女という風俗があるのだ。

同情はやすやすと術中にはまるだけだ。



          ◇ 15 ◇



 BMWにはいつもの黒サングラスはいない。

これも妙な気がした。

と、するとこの車は姫衣のものなのか。

「海、海いこ」

鼻をグシグシしながら、甘えた声を出してくる。

「いやなこった。ど~せ八つ当たりで、おれを簾巻きにして海にドボンだろ」

半分冗談、半分本気の言葉が出る。

だが、帰ってきたのは意外な返事だった。

「なして?なして、そない言うん?お世話なったんはこっちや」

「え?…」

 

 なんだか風向きが違う。

チャラい便器女のはずの彼女が、いつもよりマトモに見えてくる。

まさか、最初に言っていた国際結婚も視野って、本気の言葉だったのだろうか。

まぁ、ブロークン英語のみの彼女に、そんな誠実さがあるとは思えないが…。


 「わかった。行こう。おれが運転する。今の時間じゃ八景島あたりだな。陽が暮れたら帰る。夕陽を見るだけだぞ」

ここで彼女の意向に従わなければ、またムダに騒がれるだけだ。

それはあまりにもウザすぎる。

おれの車はベンツのゲレンデ・ヴァーゲンだから、同じ左ハンドルのBMWを転がすのは問題ない。

運転を代わり、慣らしてから飛ばす。

首都高には国立から入った。

国道16号もいいが、あそこはいつも混む。


 「で、上級曹長がどうしたって?」

気がかりを尋ねていた。

「うん…」

「気が合わないとか趣味が違うじゃ、話にならないぜ。第一、半年にもならないのに」

「…そないなことやないん」

「じゃ、なに?曹長は女性の扱いについては折り紙つきだよ。超モテ系。カッコいいし、牧野好みじゃん」

「そりゃ、曹長、悪い人やないん。ただ、遊び。友達にも紹介してくれへんし、創立記念日(エアフォース・ボール)もあたいだけは呼んでくれへん」

「……」

言葉につまった。


 牧野姫衣の親は陰で売春婦の斡旋もしている風俗の顔役だ。

シロート娘をたぶらかす、マジメなフリの出会い系も手広くこなしているクズだ。

その稼業だけに、彼女はセックス目的の米兵が肉便器にどのような態度をとるかを知っていたのだ。


 「牧野は、本気で付き合う気だったの?」

「うん、殿塚くんの紹介やから」

「え?…って、それこそ逃げだろ。おれは牧野に頼まれて紹介しただけ。その言い方って、おれに責任取らせる気マンマンじゃん」

返事はなかった。

 


          ◇ 16 ◇



 「どう考えても牧野が悪い。よく考えないで出会いだけ求めるからだよ。それも他人に頼んで…。安易な女には安易な男しか釣れないって、道理だろ」

「そんなん、わかっとるわ。あたい、ゼミのころから殿塚くんだけやったんから。殿塚くん命やっ。わかってんやろ」

「は?」

動揺でハンドルが振れた。

青天の霹靂どころか、晴天の土砂降りだ。

「牧野…おまえ、狂ってる…。言い訳にしても、なんだよソレ」


 学生時代の姫衣の言動がよみがえる。

明るく無邪気そうに近寄って来て、人間関係をかき乱す。

変に我が強くて打算的、人の好き嫌いが激しく、ターゲットになったゼミ仲間には悪口・陰口・ウソの人格攻撃だ。

なぜか、性格のいい思いやりのある学生がターゲットになる。

頭の悪いサイコそのままだった。


 「帰るぞっ」

大橋ジャンクションに急角度で突っ込む。

勢いで姫衣がガクッとシートベルトに捕捉される。


 「ったく、食わせもんっておまえのことじゃんっ」

言葉を叩きつけながら、記憶をたどる。

どう考えても、姫衣からの好意は浮かばない。

むしろ変にからまれたり、無理やりおごらされたり、悪意ばかり浮かぶ。

人のいい日本人としてタゲられていた気がする。


 「なにゆわれてもええん。ほんま、ほんまやでっ。殿塚くんだけや。もう、えろう前からやけど、ちっとも振り向いてくれんし。もう、いややわ」

全身でしなだれかかって首に手を回してくる。

ウソだ。

自分を利するための出まかせだ。

「勝手な言い草はやめろっ、キチっ」

ハンドルを確保しながら、語尾が裏返った。

「おまえ…ホント、おぞましい。ゆがんでる」

本気で鳥肌が立っていた。


 ひじで突き放す。

痛かったらしく、姫衣は恨めしそうにおとなしくなった。

だが、口もきく気になれない。

やっと大多摩新聞の駐車場にたどり着いた時、疫病神から逃れる気がした。



          ◇ 17 ◇



 とにかく、おれはこれ以上、つきまとわれてはいけない。

姫衣の言うことなど、どこまで本気かわからない。

どうせ上級曹長に邪険にあつかわれて、とっさにそばのおれをたぶらかそうとしたに違いない。


 もう、17時だ。

アパート近くの天王橋のコンビニで、出来あいの夕食を物色する。

3~4品を選びレジに並んだ時だった。

「兄ちゃん、旨そなもん買うたな」

瞬間的にゾッとした。

「早よせいや。レジ空いたで」

後ろから言われるまま、操り人形のように会計を済ます。


 瞬間的に頭をよぎる。

おれは速い。


 入口ドアをすり抜ける。

よけそこねた客だろうか?

体当たりしてきたヤツがなぜかひざ蹴りをかましてくる。

とっさにみぞおちをガードすると、前かがみになった額に頭突きを食らった。

目から火花が散った。


 こいつは喧嘩慣れしている。

黒サングラスの舎弟か子分だろう。

もう1人、電柱の陰にいたヤツが頭突きのヤツといっしょになって、左右からおれをサンドウィッチにする。

そのまま、仲のいい友達みたいにアパートに向かって引っ張って行く。

鮮やかな手際には感心させられた。


 西武拝島線のガードをくぐると茶畑が残る農村域になる。

おれの部屋は、その真ん中の日あたりのいい2階建の1Fだ。

近づいてゾッとするのを通り越して脱力した。

姫衣がいた。



          ◇ 18 ◇



 子分は外にいるが、黒サングラスは上がり込んでくる。

拉致されて自分の部屋に連れ込まれた形だ。

1DKの部屋には収納つきベッド、PC・オーディオを乗せた机、ベンチソファがあるだけだ。

姫衣は率先してベッドに座り、黒サングラスがソファに、自分は床に座らされた。

屈辱だ。


 「あ~、なんつったかな。上級曹長さんな、アレはダメや。モテモテの遊び人よって、嬢ちゃんには合わん」

姫衣だって同じようなものだが、黙っているしかない。

「で、な。嬢ちゃん、あんたがいい言うとる」

出た!

鳥肌どころが身震いした。


 最初から姫衣にハメられたのだ。

本気だ、国際結婚だ、口から出まかせのしおらしいことを並べて、強制的にこっちに紹介の手間をかけさせる。

出入り禁止の横田基地でアメリカンムードを楽しみ、上手くいかなければ被害者ぶって「曹長は食わせもんや、どうしてくれる?」と居丈高にやる。

ヤツらの常套手段だ。

タゲられたら最後、脅され、操られて深みにはまって行く。


 「あんた、殿塚聡士(とのづかそうし)言うたなぁ。実家は立川柴崎町やな。ええおうちがぎょうさんある、おぼっちゃまや。仕事も新聞記者。立派なもんやで。嬢ちゃんにふさわしいワ。ま、以後、よろしゅうな」

家まで調べられて、もう黙ってはいられない。

「勝手なこと言わないでくださいっ。こんな話おかしい。肝心なおれの気持ちはどうなるんですっ。犬のブリーダーじゃあるまいし、犬畜生だって相性があるんですよっ」

「だぁかぁらぁ」

今まで半笑いでいた姫衣が口を出した。

「あたい、学生時代からしょっちゅうラブサイン出しとったやねん。殿塚くんやておごってくれたり、なんか買うてくれたり、銭使うてくれたやん。まんざらじゃ、なかったんやろ。あたいは今でもめっさホレとるんよ。なぁ~に言うてん、もう」


 「違うっ、ウソだ。牧野はみんなにタカってた。金使わされたのはおれだけじゃない。おれは牧野になんか興味ない。今でもだ。上級曹長とうまくいかなかったから、今度は手近なおれ。安易すぎる。人それぞれ、みんな自分を持ってる。自分の気持ち

があるんだよ。牧野が誰ともうまくいかなかったのは、自分の気持ちだけで人の気持ちがわからないからだっ」

いらだちで発狂する気がした。

「牧野っ、帰ってくれっ。おまえら朝鮮人の好きな土下座でもなんでもする。おれは牧野が好きじゃなかったし、これからもダメだ。おれと牧野は合わない。お互いに不幸になる。な、頼むっ。縁がなかったんだから帰ってくれっ」

言うと同時にフローリングにひれ伏した。


 「わはは、兄ちゃん、必死やなぁ」

黒サングラスが嗤った。

「ま、ええワ。嬢ちゃん、帰ったろ。兄ちゃんな、急すぎて混乱しとるん。時間やった方がいいで。まぁ、ようけ考え。また来たるワ」

2人の足音が通り過ぎて行った。

その時、おれの頭を蹴りつけたのは黒サンブラスではなく、牧野姫衣だった。



          ◇ 19 ◇



 ため息の出るような憂鬱を救ってくれたのが、アレックだった。

また、稲城の米軍多摩リクリエーション・センターに誘ってくれている。

何かのイベントに付随するディスコパーティに、これから現地集合しようというのだ。

これで土・日は米軍施設にいられる。

二つ返事で同行した。

牧野姫衣から逃れて、ハメを外すのにはちょうどいい。


 20時を過ぎて既ににぎわっている会場には、アルコール、ノンアルコール、果汁・炭酸飲料などが軽いスナックとともに豊富に用意されている。

ミラーボールがあちこちに設置してあって、その泥臭さがかえって雰囲気を盛り上げる。

暗がりと閃光と異人種の体臭と大音響の中、心置きなくリズムに乗った。

生演奏と古いレコードの選曲は、モータウンなどの80年代が主流だったようだ。

けっこうでかいディスコティーク会場は人いきれでムンムレだ。

すっかり人酔いして、いい加減なところで外に出る。


 そのままバーに腰を落ち着けた。

ディスコ会場に酒類があるからだろうか、ガラガラに近いくらい空いているのがいい。

ウォッカベースのスクリュー・ドライバーを注文する。

オレンジの香りが鼻をくすぐった。


 一応、牧野姫衣の顛末を報告をする。

彼はすでに上級曹長から聞いて知っていた。

「聡、ぼくたちはホモ。ホモセクシャルにしましょう。それなら彼女は手が出せない」

人差し指を立てて、ニンマリ笑う。

「えええっ?」

驚いたが、これは名案かもしれない。

女性らしい潔癖性がもし彼女にあるなら、これ以上のダメ出しはないだろう。


 「いい夜ですね」

アレックがひじをついて顔を寄せてくる。

なんだか恋人みたいだ。


 この距離感にはちょっと引くけれど、友達同士でも親しさを表すためにハグしたり、軽くキスしたりする人種だ。

まぁ、それだけ親密になってきたということだろう。

「どうぞ。スクリュードライバーに桃のリキュールとクランベリージュースを加えたものです。味の複雑化がいい」

カクテルを渡してしてくれる。

これはアメリカ人にけっこう好まれている酒で、セックスオンザビーチという名前がついているのだそうだ。

まぁ、味は悪くはなかった。


 アレックがまた手をつないでくる。

え?

握手のつもりだろうか?

一応、されるままになった。

「うふふ…。聡、あなたはすばらしい」

なんだか口説き文句みたいだ。

それともホモの練習?

いや、きっと友情を現しているのだ。

アメリカ人の生態はよく知らないが、とにかく日本人とはボディランゲージが違うだろう。

友情のお返しをする。

「アレック、きみもとてもステキです。友達になれて最高だ」



          ◇ 20 ◇

 


        

 夜中に淫夢を見た気がする。

無数の手で全身をくまなく撫でまわされ、弄ばれる感じがある。

乳首や首筋を走る生暖かい吸引力に抗えず、ナニが膨張してしまう。

息使いや指の動きに 妙に実態がある感覚。

え?

ちょっと待て。

ヤバっという感じで目が覚める。


 おれの上にだれかいる。

小さな常夜灯で寝ているのだが、外の明かりでけっこう明るい。

「うっわっ」

声が出た。

ほとんど蹴り倒しそうに跳ね起きる。


 はだけたバス・ローブ姿のアレックがおれのボクサーリーフに手をかけていた。

「は?、な、なに」

本能的に抵抗する。

彼は何となく息が荒くなっている。

おれの太ももにすりつけられる股間も存在感を示している。

うそだろ?

酒も入った戯事にしては行き過ぎだ。


 「ちょ、ちょっと待てっ」

マジで身を振りもぎった。

「聡、あなた、かわいい。心身ともにその気になるべきです」

いや、おれは完璧ノーマルだ。

そのケは全くない。


 「そんなことでは牧野さんを騙せませんよ。ぼくたちはホモ。こうして手をつないだり、ハグしたり、鼻をくっつけあったり、軽くキスしたりしなけりゃ」

アレックが身体を合わせてくる。

耳を甘噛みされて、本気で飛び上がってリモコンをつかみ、室内灯をつける。

正直言って非常におぞましい。

ここまでノンケとはおれ自身思わなかった。


 185はある白人の身体が、179の日本人を組み敷いてくる。

軍人だけに筋肉量は多く、力は強い。

「アレック、よせっ。こういうのダメ。ホントにキライなんだっ」

「キライ?ウソ。日本には…修道というのがあった…はずです。つまり、男色…の伝統…です」

荒い息に言葉が寸断する。


 「違う、全く違うっ。日本の武士には戦場に女を連れて行くのは恥とする気風があったからだ。命のやり取りの場に女をつれこむのは女々しいと。それでやむなくオトコを使った。江戸期には陰間(かげま)というのがあったが、あくまで、お天道様の下を堂々と歩けないから陰なんだ。間違えるなっ」

「はい、…わかり…ました。でも、ぼく…を…理解して…ほしい」


 唇が鎖骨を伝って乳首に向かっている。

唾液が糸を引いて気持ちが悪い。

つかまれている手首が、強引に股間に押し付けられた。

アレックのそれはとてつもなく熱くでかいが、日本人のように巌の如く硬直はしていない。

人種的差異らしかった。

「放せ、頼む。ホモは芝居だろ?これじゃ、友情を保てない。アレックとはもう付き合えないっ」


 彼はもう口もきかず、無理やり身体を裏返しにしようとする。

貞操の危機に本気であわてた。

アマチュア・レスリングのように渾身の力で抵抗する。

姫衣といい、アレックといい、どいつもこいつも自分の欲望だけだ。

おれの気持ちなど完全無視だ。

どうなってる?

こいつらは意思の疎通が出来る人間ではないのか?



          ◇ 21 ◇



 「クリィーピィ」

おぞましいという意味だ。

強い嫌悪感を現す言葉で、これにナッツがつくと「キモいキンタマ野郎」ということで放送禁止用語になる。

瞬間、アレックがおれの横っ面を張り飛ばす。

侮辱にカッっとなったらしい。

身体がベッドから吹っ飛び、激しく壁にぶつかった。

口内が奥歯でギザギザに切れ、血の味で吐き気がする。


 さすがにこっちも頭に血がのぼる。

身をひるがえして滑り込み、両膝で彼の胴体を挟み込む。

馬術をやっているおれのニーグリップは、そのまま膝で走る裸馬の背に直立出来るほど強い。

アレックの肋骨がひしゃげ、メキメキとゆがむ。


 「オゥ。シッツ」

鷲のような指で喉仏をつかんできた。

喉は鍛えようのない急所だ。

ねじ切られるような苦痛に、一瞬、眼つぶしを食らわせかける。

だが、これは失明させる危険がある。

すんでのところで理性が働き、両手でアレックの指を外しにかかる。

かろうじてとぎれとぎれの呼吸は出来るが、この状態では力を振り絞ることが出来ず、しだいに脚がゆるんでしまう。

腕を差し入れられて外された。

反射的にもう一度、ニーグリップをかける。

だが、民間人がいくら死に物狂いになっても、鍛えられた軍人には抗すべくもないのだ。

死力を振り絞る形になった。


 「やめましょう。殺し合いになる」

アレックの冷静な声だった。

そして喉を離してくれた。

「あなたはつくづく日本人ですね。ぼくに負けるとわかっていても抵抗をやめない。それどころか目と突くという有効手段を断念した。感謝します。でも、ぼくらアメリカ人はそうじゃない。相手を制圧するためなら何でもする。ま、今は違いますがね。

あなたはぼくの敵じゃないから。嗜好傾向が異なるだけです」


 喉頭が万力で締められた感じがして、声が出ない。

いや、感謝はこっちだ。

アメリカ人、いや、ホモが最も嫌う言葉の筆頭を口走ったのに、この程度で済ませてくれたのだ。



          ◇ 22 ◇


 夜が明けていた。

身体中にダメージが残っていてキツかったけれど、服を着た。

キャビンを出るとアレックが黙ってついて来た。

それぞれの車でリクリエーション・センター・ゲートに着く。

警備兵が怪訝そうに傷のあるおれの顔を見たが、特に何も言わなかった。

「あ…りが…とう…ご…ざいまし…た」

やっと、かすれた声を絞り出す。

アレック・ハーディング少尉への、これまでの親切に対する、心からの感謝だった。


 哀しげな青い目がおれを見ていた。

彼の心が強く引き止めているのがわかる。

だが、このまま交友を続ければ、やがて悲劇的な結末を迎える。

彼はいづれ、おれを手籠にしようとするだろうし、おれはその阻止のために闘うだろうからだ。

そのまま目をそらして、再び自分のゲレンデ・ヴァーゲンに乗りこんだ。


 稲城を出て西に向かった。

青梅か奥多摩か、峠を越えて山梨か?

都県境の和田峠の近くの峠道に、ほとんど90度ちかい登りカーブがある。

真正面に見えるガードレールの上下には、空と奥多摩の山々が雄大に広がるのだ。

求めるようにそこを目指した。

          

 アレックとの交流はこれで終わるだろう。

彼を挑発してしまったのは、おれの酒の上の醜態かも知れなかった。

この脱ぎ癖は絶対に封印しなければいけない。

友を失うのは、もうたくさんだ。


 だが、それはそれとして、やっかいなのは牧野姫衣だ。

彼女の心の中にいるのは自分だけだ。

他人を熱望しても、それは常に自分の言いなりになる他者だ。

自分の分身としての個体であり、自分の意思を体現する者だ。

おれは姫衣にはなれない。

おれはおれなのだ。


 怖いのは、彼女がおれの職業や家族を含めた形で恋愛対象にしていることだ。

思い通りにしたいのはおれだけではないのだ。

それではおれ自身どころか、まわりのすべてが破綻する。

コレもんを愚連隊と呼んで排斥している大多摩新聞編集局長が、姫衣との付き合いを承認するわけがない。

おれは仕事を失い、親兄弟親類縁者からは白眼視される。

そしてコレもん自体も、半ば首を突っ込んだ日本人のおれを放っておくわけがない。

どこに逃げても必ず、犬畜生のように嗅ぎつけるのだ。


 鉄砲玉で使い捨てられるか、だれかの身代わりで刑務所に送り込まれる。

今の刑務所は朝鮮人だらけの、ひとつの組織だ。

異分子の日本人は傷が残らない方法で殺害され、口裏を合わせた病死という名目で処理される。

外部に漏れないだけで、そんな例は山ほどあるのだ。



          ◇ 23 ◇



 暗澹たる気持ちになった。

アレックの悲痛な目がまたよみがえる。 

おれも誰かに傷つけられているが、おれ自身も誰かを傷つけている気がした。

気を紛らせ、引きたてるために山道に集中する。

ドイツ車のゲレンデ・ヴァーゲンは遊びが少なく、吸いつくようなハンドリングが心地よい。

しだいにスピードが上がり、コーナリングには向かない車での快感に酔う。

前を行く車体にすぐに追いついてしまうのが難だが、追い上げる車にだれもが道を譲ってくれる。


 山深く傾斜が急になるにつれ他車は消え去り、一人のびのびとコーナーを攻める。

午前中の日差しが木漏れ陽を透かす。

やがて行く手に90度カーブのガードレールが見えてきた。

ガケっぷちの木々は伐採されていて、スコーンと抜けた深い空が真正面に広がるのだ。


 澄んだ青色に目をそそいだままアクセルを踏み込む。

小5の秋の空、あの時、校舎の屋上に寝転んで見た、眼差しのすぐ前からはじまる空。

みんな空は遥か高みにあると思っている。

ちがう。

空はここから、目の前からがすでに空なのだ。


 その懐かしい空に向けてゲレンデ・ヴァーゲンを力の限り駆る。

猛然と唸りを上げるエンジンに、時が逆行し飛びすさる。

おれの心は野生馬のように躍動し、かわせみのように閃くのだ。


 前へ前へ。

空へ空へ。

ただ一点の終着に向かって飛翔する。

肺いっぱいに空を吸い込んで、おれは蒼に染まる気がした。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

横田エアリフトベース・コンツェルト 上松 煌(うえまつ あきら) @akira4256

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ