2022年 19年目のサバイバーになりました。


2003年3月 息子の8歳の誕生日に検査のためにハワイの大きな病院に行くことになりました。そこでかなり状態の悪い乳がんということがわかり、そのまま移住することになり数年治療を続けました。


――それが19年前。


息子は27歳になりました。


当時は大人になった息子を見たいという、ただただその一心で辛い治療も乗り越えられたと思います。


小学2年生。モミジのような小さい小さい手を握り泣いたことを思い出します。


基地の中で生まれ(詳しくはエッセイ「住んだらおもしろいアメリカ」の「壮絶(いや爆笑?)出産記」をお読みください。基地の出産ってすげえと笑ってください笑)


幼稚園からアイダホで暮らし、会話はほぼ英語になってしまいましたが、また関東の基地に引っ越し日米ハーフのクラスメイトが多かったため、日本語に触れるようになり、そしてある日突然またハワイに強制的に連れていかれました。しかも誕生日に。


それから数年トラウマとして残るほどの母親の闘病を目の当たりにして辛い思いをさせました。


そんな息子が27歳。


すっかり大人になった息子を見ることができて、感無量です。


4年間独立して大学に通っていました。そして卒業し、ここ実家に帰ってきています。その後パンデミックになり、それ以来そのまま一緒に暮らしています。


毎日3人で食事をし、話をして笑いあっています。そして猫たちは「なに?なに?」と足元をグルグル回って鳴いています。


掃除をして、食事を作り、一緒に映画を見たり、ゲームの話をしたり。


同じことの繰り返しな日々。


パンデミックでどこにも行けない日々。


すごく平凡で、なにもない日々。


それが、かけがえのないほど幸せで大事な時間に思えます。


ふとした瞬間に「幸せ」を実感し胸がいっぱいになります。


パンデミックで事業もままならず決して豊かとはいえない生活ですが、食べ物に困らず、暖かい家がある。


そして私は年を重ねました。白髪は増え、体重も増え、胸も一個しかない。



それだけで、素晴らしいことではないでしょうか?


そして猫たちも含め家族が健康です。こんな幸せなことはありません。



私はワガママなので、すぐにあれこれと文句を言ってしまいます。でもこのことを決して忘れてはいけないと思っています。


生きているということ。生かされているということを。


そして悲しい思いをする人が、辛い思いをする家族が少しでも減るように、これからも早期発見と検査の重要性を発信していきたいと思っています。




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