憂鬱な気分の時は医者に相談しましょう。

今日は乳がんと鬱についてです。


ある日突然のがん宣告。手術や抗がん剤。治療は肉体的にも精神的にもとてもつらいですよね。


ずっと気分が落ち込むこむ人も多いと思います。でもそれは自然なことで「弱いこと」では全然ないと思います。


毎日毎日泣いていた私に日本から来た母は

「あんなに強かったのに」と言ったことがあります。


確かにがん以前の私はタフでした。どんな状況でも笑って乗り越えるようなところがあったのに、べそべそ泣いている私を見て歯がゆかったのだと思います。


「こんなに辛い治療をして、それで100%治るならどんなにどんなに痛くても我慢する! でも胸まで取ったのに、まだ癌が残ってる。抗がん剤だって効くかわからない。(と当時言われました)それに5年後も生きていられるのも半々だけなんて。だったら日本で死にたい」と大泣きして母を泣かせてしまいました。


母としてはあれほど元気で健康でもあった娘が布団の中で丸まって泣いている姿は見たくなかったと思います。でも当時は我慢できませんでした。


息子は小学2年生で、なるべく泣く姿を見せまいと思っていましたが、治療後のぐったりして弱っている姿はかなり見たと思います。


抗がん剤はあまりにも辛く1度は「もうやめたい」と医者に相談したこともありました。


2週間に1回の抗がん剤。まあまあ起きられるのが後半の数日間。3日ほど人間らしく生きられて、またすぐに抗がん剤。


「こんな姿でベッドに寝たままでは、ただ生きているだけ。それも数年後に元気かもわからないなんて。だったらもうやめて今元気で過ごしたい」と言いました。


8歳の息子と遊んであげたかった。ハワイのビーチにももっと連れて行ってあげたかった。


息子は2年生の半分小学校へ行っていません。基地内の日本の学校からハワイの学校がなじめなかったのもありますが、教室にどうしても入れない、ドアの前で泣く毎日。


このころ息子も精神的に弱っていました。がんの母親がいる子供のためのカウンセリングも受けました。


大人になった息子と当時の話をすると「学校に行っている間にいなくなるんじゃないかと思って、それがすごく怖かったのかな」と言っていました。


病気になったのは自分のせいではないけれど、家族に辛い思いをさせて消えてしまいたかった。そういうことを考え始めると涙が止まらなくなっていました。


数年ずっとそんなことを繰り返して、再建手術の失敗が重なったころに人前にも出られなくなりました。汗が吹き出し蕁麻疹がうねうねと出てくるのです。自分の意志ではどうしようもなかったけれど、これも我慢してしまいました。


そしてホルモンブロックの治療が始まったときに、ついに気持ちの苛立ちがあまりにもひどくて自分で制御できなくなったのです。夫の言葉に腹が立ち重たいキャンドルをドアに投げつけてドアが壊れてやっと「普通じゃない」と気がつきました。


そこでやっと医者に相談してホルモンブロック剤の変更それから精神安定剤の処方を受けたのです。


どうしてもっと早く相談しなかったのか後悔するほど、すぐに心は穏やかになりました。


病気で精神的に落ち込むのはごく当たり前のことなんですよね。


癌だからその治療をするように、頭が痛いから頭痛薬を飲む。そして苛立つならば精神が安定する薬を飲むのは普通の事なんだと今では思います。


眠れないなら睡眠薬をもらえばよいし、鬱の症状が出ていたら抗うつ剤の相談をすると良いと思います。と、当時の私に言ってあげたい。笑



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