乳がんブログを書けなくなった日
2010年から2017年頃までFC2でブログをしていました。
治療のため行ったハワイに6年暮らし、次の異動地(夫は空軍に勤務していましたので異動しなければいけませんでした)ロスアンジェルスで始めたブログは最初は飼い始めた猫の写真メインで、それからLAやアメリカの紹介など。しばらくして乳がんのことを書き始めたのです。
その反響が一番大きくて、乳がんのことを書くことが多くなりました。
当時つけていた日記の闘病部分を書きだしたものを「乳がん闘病日記」として当時シリーズで書いていました。それをまとめて、エッセイにしたものが「サバイバー 進行がんを生き抜いて」でした。
ブログを通じてたくさんの出会いがありました。
コメント欄で「希望です」と言われ嬉しくて「がんばって、きっとだいじょうぶ」といつも答えていました。
「がんばって、だいじょうぶ」は私が闘病中に一番聞きたかった言葉でした。
アメリカの病院でしたので「
なぜなら(大丈夫じゃなかった)場合、訴えられる可能性があるからです。
本当に寂しかった。
嘘でも、なんの根拠がなくても誰かに「大丈夫」と言って欲しかった。
一人だけ、放射線科のドクターで陸軍大佐の女性が
「あなたも死ぬけど、99歳くらいで孫に囲まれてからよ。その時は待ってるから」と言ってくださり、この言葉だけで頑張れたような気がします。
だから私も一人でも多く励ましたい。たくさんの人に「大丈夫」って伝えようと思って続けていました。
コメント欄で仲良くさせたいただいて、会ったことあるような親しい気持になっていた人たち。よくなる人ばかりではなく、訃報を聞くこともあり、その時はすごく辛かったです。
「ごめんね。大丈夫なんて言ってごめんね……」
もちろん、すっかり元気になった人だってたくさんいますが、先立っていかれた人のことを思うと、悲しくて、そしてやりきれない思いでいっぱいになりました。
転移してしまった人、悪化してしまった人。どんな気持ちで「一緒にがんばりましょう」という言葉を聞いていたのかなと。
上から目線になっていなかっただろうか?患者さんを本当に励ますことができていたのだろうか?と。
そのうち、自分だけ元気になって申し訳ないような気持になっていったのです。
だから、乳がんのことを書くのはやめようと思ってしまったのです。
当時どうしても書けなくて。苦しんでいる人のことを考えると辛くて。
そんな時にエッセイコンテストの応募があると聞いて「あの乳がんの闘病記を書いてみよう」と思ったのがKakuyomuとの出会いだったのです。
その時のエッセイコンテストでは落選しましたけれど、もう一度アルファポリスというサイトでチャレンジして特別賞をいただけました。
闘病記を整理して書き写しているときは当時を思い出して辛くなりましたけど、以前感じたような(元気になった自分の存在が申し訳ない)ような気持にはなりませんでした。
「元気になった人がいることを発信したい」という思いでした。
元々乳がんのことをブログに書こうと思ったきっかけは私が闘病中に(同じくらいのステージで生きている人、元気になった人)を見つけられなかったからです。
当時はまだブログもあまり一般的ではなく、ブログ村のような検索できる場所もなく、やっとたどり着いた乳がんブログの管理人が亡くなっている場合も多かったのです。その時の絶望的な気持ちは忘れられません。
あの時の「きっといるはず、絶対に見つけたい」という気持ち。きっとそう思っている人がいるはず。今はそう思ってこのエッセイも書いています。
一度は乳がんだったことを言ったり書いたりするのやめようと思いましたが、やはり大きな間違いだと気がついたのです。
「16年も元気なの?こんな人もいるんだ」と(希望)になれるように、これからも元気でいたいと思っています。
そして「その後はこんなことがあったよ」とこのエッセイも続けたいと思っています。
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