第95話 放たれる殺気

郊外型大型商業施設。


 ディミトリは自転車で目的の店に来ていた。

 俗にショッピングモールと呼ばれるものなのだろう。昔は大手電機メーカーの工場跡地に建設された郊外型商業施設だ。


(建物としては独立しているのか)


 ディミトリは『ラウンドニャン』の側に来ていた。二階建てのビルだ。他の商業施設とは連絡通路で繋がっている。

 入口横に案内が有り、それによるとカラオケは地階を含めて三層分有るらしい。

 一階と地階が一人用と少人数用で、二階は大人数用だ。


(まあ、監視カメラをハッキングするだけだから楽勝だろう……)


 そんな事を考えながらカラオケ店の入り口を覗いてみた。

 カラオケのセクションに行くには、入り口で受付を行なわないといけないらしい。


(一人カラオケを利用しますで入るか……)


 だが、ディミトリはこういった店では身分証の提示を求められるのを思い出した。


(んーーー、足跡を残したくないな……)


 これから色々と悪さするために侵入する立場としては、手掛かりを残すのは気が引けるのだ。

 背中に背負ったリュックには小型ノートパソコンと予備の携帯電話が入っている。

 もちろん、この店の監視システムをハッキングするためだ。


 店に直接被害を与える訳では無いが出来れば注目を集めたくはない。慎重さに欠ける奴はドジを踏むのは洋の東西を問わずに存在するものだ。


(どこか入れる場所は無いかな……)


 店の入り口を通り過ごして裏手に回ると、喫煙するためだろうか男の店員が扉を開けて出てきた。非常口だ。

 ディミトリは扉が閉まりきる前に素早く店内に潜り込んだ。この手の扉はゆっくり動くので助かった。


 中に入り少し進んだところにある扉を開けると、そこは店内の廊下のようだった。

 蛍光灯が煌々と点いた廊下の両側に部屋が並んでいる。


 ディミトリは階を一つ上がった大部屋に向かった。

 守居たちは最低でも四人以上で利用する。割高でも大部屋を使うと踏んだのだ。


(こういう店では天井裏に配線が有る筈……)


 点検口から天井裏に上がれる。そして、大概の廊下には点検口が存在する。フロアーにある各部屋にケーブルなどを通す為だ。しかし、廊下は人通りがある。


(あまりジッとしている訳にはいかないな……)


 どうしたものかと考えているとトイレが目に入った。トイレにも点検口は開いているものだ。

 トイレに入って天井を見ると点検口が有った。


「しめた……」


 ディミトリはトイレの点検口から天井裏に潜入した。洋式トイレの水タンクは足場に丁度良いのだ。


「あ……」


 手持ちの携帯のライトで中を照らしたディミトリは、廊下とトイレの間に壁がある事に気がついた。ケーブルなどは壁に空いた穴を通しているようだ。

 火災警報関係のケーブルは有るだろうが、トイレに監視カメラのケーブルが有るとは思えない。期待はずれだったようだ。


「ちっ……」


 舌打ちをしてしまった。これでは目的のケーブルを探すことが出来ない。

 仕方がないのでトイレから出て他の部屋を探すことにした。


(不味いな……)


 一人でウロウロしていると不審者と思われるので急がないといけない。

 横目で各部屋を見ながら歩いていると窓が無い部屋に気がついた。カラオケ店では防犯のために、室内を店員が確認できるように小窓が付いているのだ。


(ん?)


 中を覗くと椅子やタオルなどが山積みになっている。備品倉庫として使われている部屋なのだろう。


(ここなら滅多に人は来ないはず)


 ディミトリは部屋の中に素早く入り込んだ。そしてライトを片手に部屋の中を照らす。室内灯を使わないのは無人を装う為だ。


(点検口……)


 点検口は部屋の隅にあった。椅子を踏み台にして点検口から天井裏に潜入してみた。


(ここなら何とかなりそう……)


 中は広く廊下の方まで吹き抜けている。元々は広いワンフロアを、防音パネルで仕切って居るのだろう。


(よし……)


 ディミトリは天井裏を慎重に進んだ。人が乗ることを考慮していないので天井は結構脆い材質で作られている。

 天井の基礎部分から長めのボルトで板を吊るし、その板に天井板を固定しているのだ。その板の上を伝っていった。

 すると狙い通りに複数のケーブルを発見した。その中で黒い同軸ケーブルを選んだ。平たいケーブルは電源だろうと推測したからだ。


(同軸ケーブルは中の信号を拾いやすいからな……)


 ケーブルに切れ目を入れて自分が持ってきたクリップを付けた。それをキャプチャーカードに接続してみるとカラオケルームの映像が流れ始めた。デジタル化していない古いタイプの監視装置のようだ。


(普通に見えるじゃん……)


 特に暗号化してる訳では無さそうだった。各ルームは周波数を切り替えて写しているのだろう。


(よし、コイツを取り込んで携帯に転送させよう……)


 ディミトリは監視カメラのハッキングに成功したようだ。


(さあ、場所を変えて監視をするかね…… ん?)


 ノートパソコンを起動状態のまま閉じようとした時に画面の変化に気がついた。

 廊下を監視するカメラが女性の店員が廊下の部屋を点検している様子が伺えた。先程までは誰も居なかったのにだ。


(ちっ…… ウロウロしすぎたか……)


 店員が不審そうに室内を見ている。


(まあ、男より女の方が勘が鋭いって言うからな……)


 ディミトリは備品倉庫から素早く脱出して一階まで降りて行った。ここには用は無くなったので出ていく為だ。

 従業員が利用していた非常口の扉に行こうとしたら、彼女がその扉から出てくるのが見えた。


(なんと!)


 どうやら他にも階段が有るらしい。考えてみればディミトリが目指していたのは非常用の出入り口だ。そこには外階段がある。そこを使ったのであろう。


(不味い!)


 彼は側の部屋に潜り込んだ。扉の側で聞き耳を立てて廊下の様子を伺ってみる。

 扉の開け締めする音が聞こえる。

 どうやら、彼女は不審者が居ることに気がついているらしい。それで確かめているのだろう。

 ディミトリは振り返って窓から脱出出来ないか考えた。だが、室内にはロッカーがずらりと並んでいるだけだった。


(此処って……)


 ディミトリが思わず逃げ込んだ先は従業員用のロッカールームのようだ。


(こういう部屋って窓に面してないことが多いんだよな……)


 すると部屋の外で扉を閉める音が聞こえた。


(やばい!)


 彼女は次にこの部屋に来るのは予想が出来る。ディミトリは室内の奥に進んでロッカーの取っ手に携帯を引っ掛けた。それから違うロッカーの列に向かった。だが、その時に彼女は部屋に入ってきてしまったのだ。

 ディミトリは思わずロッカーの一つに隠れてしまった。これは恐らく一番の悪手だ。自分で逃げ場を無くしているのだ。


(くそっ! 隠れるのならロッカーの上だろ……)


 腑抜けた日常を送る内に敵地への潜入・浸透のやり方を忘れてしまっているようだ。

 ディミトリはロッカーの中で歯噛みしてしまった。自分の間抜けさを呪っているのだ。


 すると部屋の中からロッカーを開け締めする音が聞こえる。

 彼女は端からロッカーの扉を確かめているようだ。その様子をロッカーの換気用の格子から見ていた。


(ピンポイントで追いかけて来やがる…… なにもんだ?)


 ディミトリの背筋が逆なでされるような感じで鳥肌が立った。

 へその裏側辺りの背中から首に向かってぞわぞわと上がってくる感じだ。この感覚はよく知っている。


(殺気……)


 相手が素人であるのは分かっている。だが、中には知らず識らずに殺気を放ってしまう奴が存在するものだ。

 彼女もその一人なのだろう。


(どうする?)


 これが戦場だったらナイフを構えている所だ。だが、ここではそうはいかない。

 ジリジリと時間だけが過ぎて行った。


 ガタン、キーッとロッカーの扉が開かれる音が室内に響いていく。中には鍵が掛かっている物もあったが、彼女は全てのロッカーを確かめようとしているらしい。

 人の気配というものは中々消せないものだ。彼女はディミトリの気配を感じ取っているのかも知れない。

 世の中には感の鋭い人間が居る。彼女はそういう類の人なのだろう。


 ディミトリの隠れる隣のロッカーを彼女は開け放った。次は此処だ。


(しょうがない…… 殺るか……)


 ディミトリの目が冷たく沈んでいった。殺るのは大げさでも頸動脈を圧迫して失神させることは出来る。

 無関係な奴を手に掛けるのは気が引けるが、彼女は運に見放されていたのだ。自分にそう言い聞かせ身構えた。

 そして、彼女がロッカーの扉に手を掛けた。


 その時。



 室内の奥から音がしはじめた。それはディミトリが仕掛けた携帯のタイマー音だ。


「…… ? ……」


 女の店員は音のした方に行くためにロッカールームの奥へと進んで行った。

 その様子をロッカーの中から見ていたディミトリは、素早くロッカーから出て足早に非常口から外に出た。


(まったく、ヒヤヒヤさせるぜ……)


 あの店員が外に出てこないのを木立に隠れて確かめてから、ディミトリは店の屋上へと向かっていった。


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