第26話 手術跡

アオイの部屋。


 ディミトリはボンヤリという感じで目を覚ました。

 朧気な意識の中で見たのは、無機質な白い天井が有るだけだった。


(知らない天井だ……)


 ディミトリの部屋にはアイドルのポスターが張ってある。それが此処には無い。

 一瞬、病院かなと考えてみたが違う部屋である事を思い出した。


(しまったっ!)


 ディミトリは息を吐き出すかのように起き出した。あまりの激痛に失神したようだ。

 時間にして三十分程度であろうか。自分では平気なつもりだったが、新しい身体は慣れていなかったようだ。


(まさか、気を失っていたとは……)


 彼はすぐに自分の身体を調べた。左腕の手術跡には包帯が綺麗に巻かれている。

 身体から取り出したと思われるものは、アルミホイルに包まれて机の上に置かれていた。


 その横には自分の銃が置かれていた。

 手にとって見ると弾倉は差し込まれたままだし、薬室には銃弾が装填されたままだった。


(使い方を知らなかったとかかな?)


 何より目出し帽が取られていて額にタオルが当てられていた事だ。

 ディミトリの顔がアオイにバレてしまったようだ。適当な時期まで秘密にして置きたかったがしょうがない。


「?」


 ディミトリが訳が分からず戸惑っていると、アオイが部屋に入ってきた。

 直ぐにディミトリが目を覚ましたことに気がついたようだ。


「何故、銃を取り上げなかった?」

「……」


 彼女は壁に寄りかかったまま黙っている。

 自分を脅していた相手が、少年だと分かったので恐怖心が無くなったのであろう。


「手術なら終わったわ…… 上着を着たら出ていって頂戴ね……」

「……」


 彼女はそれだけを言うとディミトリを睨みつけた。


「あの…… ありがとう……」

「……」


 ディミトリは礼を言ってペコリと頭を下げた。彼女はニコリともせず腕を組んだままだった。

 銃で脅してきた相手が子供だとは思っていなかったのであろう。


 ディミトリは踵を返して部屋から出ていったのだった。彼が持ち込んだ物はバッグの中に詰め込まれてある。

 乗ってきた自転車の所まで来て、改めて痛みが残る左腕の包帯を眺めた。丁寧に巻いてある。


(轢き逃げ犯とは思えないな…… 今後の事を考えたら俺の口封じをした方が良いだろうに……)


 どうやら彼女はディミトリのように悪知恵は回らないようだ。


(自分だったら銃を奪って、最低でも脅しまくるがな……)


 彼女の思惑は分からないが、きっと自分とは関係を持ちたくないのだろうと納得する事にした。


(今後はなるべく接触しないようにしてあげるか……)


 別に親切心では無い。不用意に圧力を掛けて追い込むと警察に駆け込まれると困るからだ。

 医療の心得のある人物はこれから色々と役に立つ。

 緊急の要件は済んでいるので無理する必要はないのだ。次は彼女を完全にこちら側に立つように嵌めてあげるだけだ。

 そう、ディミトリは考えていたのだった。


 帰りの道すがら別の事も考えていた。今後の対処だ。


(鏑木医師は死んだから担当医が変更される可能性があるな)


 とりあえずは病院に行って、頭痛の事を相談してみようかと思った。

 そこまで考えてみて有ることに気がついた。


(まてよ…… 病院ぐるみで黒い連中の仲間だったら厄介だな……)


 銃が御法度の国に平気で持ち込んでこれる連中だ。病院ぐるみは十分に考えられる線だ。

 だが、医者の診断が必要な事は確かだ。


(どうやら…… この身体は痛みに耐性が無いようだし困ったな……)


 前回、気を失ったのは強烈な頭痛の時だ。痛みが限界を超えると気を失ってしまうようなのだ。

 距離が離れているとでも言い訳しておけば良いだろう。


(クラックコアとやらと関係が有るんだろうな)


 そう言えば前回の検診の時に、頭痛の事をやたらと聞きたがっているのを思い出した。随分と不審に思ったものだ。

 今、思えば関係者であるのだから当然だったのだろう。

 脳に色々と小細工するのは、人類にとってはまだ手に余るに違いない。鏑木医師が死んだのは色々と残念だった。


(この失神する問題は早めに対処しておかないと、その内拙い事になるな……)


 原因と対策がどうしても必要なのだ。ディミトリは違う病院へ変えようかと考え始めた。

 それと同時に帰宅してから、痛みに耐える訓練方法を探そうと決めた。


(後は追跡装置をどう使って一泡吹かせてやるかだな)


 アルミホイルに包まれた追跡装置を手に持ちながら思った。

 腕から取り出した追跡装置は壊さないでおく事にしている。こちらが追跡装置の存在を知っている事を悟られない為だ。

 それは、万が一の時に囮に使えると思っているからだ。


「まあ、問題のひとつは解決できたかな……」


 ディミトリは自転車に跨って家路についた。


 翌日から痛みに対する訓練もメニューに加えた。しかし、思いの外に手術跡の痛みが酷かったが我慢していた。

 医学生と言っても、まだ素人に怪我生えた程度だ。病院で行うのとは訳が違う。熱が出なかっただけでも幸運であろう。


 ネットで検索した訓練メニューを試してみたが、結果は期待通りには中々いかなかった。


「ネットだと痛みは無視できるようになると書いてあったけど……」


 痛みは防御のメカニズムとして機能している。所謂、生存本能の事だ。痛みを伝えることで、生存が脅かされていると知らせる為にある信号なのだ。

 つまり、痛みの伝達を阻害することが出来れば、痛みを無視出来るようになる……はずだ。


 ディミトリは痛みに注意が向かないよう、気を紛らわせる事が出来る訓練を模索していた。


「痛いもんは痛い……」


 痛みは動揺や不安や絶望といった感情を呼び起こしてしまう。それを正反対の感情、つまりユーモアで置き換えてしまう方法がある。

 アメリカの学者が行ったひとつの実験がある。痛みを耐える実験を行ったのだ。一つのグループにはコメディを見せながら実験を行い、もう一つの方には自然の風景などを見せながら実験したそうだ。

 すると、面白いものを見て笑うことと、痛みにどこまで耐えられるかの限界値には、相関関係があるとわかったそうだ。


 他に痛みの制御方法の一種として『マインド・ボディ・セラピー』というものがある。これは、身体の機能や症状に対する、精神の影響力を活かした制御法だ。

 身近な例で言えば、女性が出産時に行う呼吸法だ。分娩の痛みに耐える(和らげる?)のに使われている。


 似たような耐痛方法を軍の訓練で受けていた。

 息を吸いながら八まで数えて、今度は吐きながら同じだけ数える。これを八回繰り返す。

 これは、呼吸を整えることで酸素が取り込みを多くするのだ。普通は身体の緊張が和らいでくれる。

 細胞の隅々まで行きわたるようにする為だ。神経伝達物質のやりとりが遅くなる分、痛みが伝わりにくくなるというものらしい。


(手近な方法としてイメージを掴む練習をしておくか……)


 ディミトリは室内トレーニングの時に取り入れてみる事にした。

 部屋の中央に座って胡座を組み、静かに目を瞑って頭の中でゆっくり数字を数える。これに呼吸法を組み合わせてみた。


「うん…… コレなら何とかなりそうだな……」


 元々、東洋の『ZEN』に興味が有ったので、すんなりと馴染めたようだ。



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