第25話 神が必要とする幸運の数

アオイの部屋。


 アオイが帰宅して部屋の明かりを点けると、部屋の真ん中にマスクを被った男が居た。


「やあっ!」

「誰?」

「しぃーーーーっ……」


 マスクの男はディミトリだ。

 彼は静かにしろというように口元に指を当てながら、銃をベッドの方に向けて引き金を引いた。


 パスッ!


「ひぃっ」


 軽い音を立てて葵のベッドに有った枕が跳ね上がった。

 後、何発撃てるか分からないが減音器は役に立っているようだ。


「おもちゃじゃないよ……」


 そう言って銃をアオイに向けた。


「お金はあんまり持ってないです……」


 銃を向けられた葵は怯えている。実社会に置いて実銃を向けられた経験を持つ者は多くないはずだ。

 アオイも無機質な銃口を向けられてパニックに成ってしまっている。


「まあ、座ろうよ。 君をどうこうしたい訳じゃないんだ……」

「……」


 ディミトリは部屋の中央にあるテーブルの前に座りながら手招きした。

 アオイは大人しくディミトリの前に座った。


「あの病院関係者の所で車を見つけてさ……」

「……」

「お姉さんは医療関係の人何でしょ?」

「……」


 アオイはコクンという感じで頷いた。


「何やってる人なの?」

「医学部に在学中の医者の卵です……」


 医学生と睨んだ通りだった。次週から始まるインターン研修の為に病院に来ていたのだそうだ。

 女は兵部アオイと名乗った。推測した通りだ。ディミトリの銃を恐ろしげにチラチラ見ている。


「この写真を見てくれ……」


 ディミトリは追跡装置が写っている画像のプリントを見せた。簡易超音波検査機で自分の腕をスキャンした画像だ。

 モノクロの画像だが何やら四角いものが写っているのは分かる。


「?」

「ここに写っている四角い奴を取り出して欲しいんだ」

「なんですかコレは?」

「腕の中に埋め込まれている」

「そういう事でしたら病院に行ってください……」


 取り出すということは手術が必要だと理解できたようだ。

 まだ、経験が浅いアオイは当然断ってきた。切除手術など家で気軽に出来るものでは無い。

 一般家庭で無菌状態など作り出せないからだ。


「それが出来ればそうしてるさ」

「私には無理です……」


 アオイは俯いて首を振った。

 無理やりやれば医師法違反になってしまう。


「訳ありだからここに居るんじゃないか」

「そんな事出来ません……」


 あくまでも出来ないと言い張るアオイに画像を見せた。

 ツイてないおっさんが車に跳ねられる画像。そして、車から降りてきた運転手の画像。

 その運転手はアオイだったのだ。


「じゃあ病院に行くついでに、これも見せてこようか?」

「……」


 アオイは画像を見て直ぐに何なのか理解できたようだ。黙ってディミトリを睨みつけていた。

 自分の立場が理解できたのであろう。

 ディミトリとしても彼女を脅すつもりは無かった。取引に来ただけだったのだ。


「分かった……」

「その前にちょっとやることが有る……」


 ディミトリは紐を部屋に張り巡らせた。その紐にアルミ箔をぶら下げた。

 電波を完全に遮断は出来ないが減衰はさせる事は出来るはず。

 追跡装置を外したことを悟らせたくなかったのだ。


「?」


 アオイはディミトリの不思議な行動に思案顔になっていた。

 よく分からない奴と思ったようだ。


「準備が出来たよ」

「じゃあ、上着を脱いで背中を向けてちょうだい……」


 ディミトリが上着を脱ぐとアオイが息を飲むのが分かった。背中には手術の跡が縦横無尽に走っているからだ。

 すべて交通事故の跡なのだが彼女には分からない。それは彼女が入った時には、ディミトリが退院した後だったのだ。


「……」


 銃を手に持った男が入ってきて、手術しろと言われたら訳アリの男だと分かったのだろう。

 手術跡の事は何も聞いてこなかった。


「そんなに深くには埋まってないはずだ……」

「……」

「指で触ると分かるぐらいだからね」

「ええ、有るわね……」


 アオイは腕を指で押しながら答えた。


「皮膚の下、五ミリ程の所に筋肉に載せるような感じで埋まってると思う」

「麻酔無しだから相当痛いよ?」

「ああ、ある程度は覚悟している……」


 ディミトリは自宅から持ってきたナイフを渡した。入念に砥石で研いでおいた奴だ。

 手術用のとは比べて切れ味は劣ると思うが、普通の家にある包丁よりはマシなはずだ。


「これがバレたら医師免許が取れなくなるわ……」

「バレなきゃ良いのさ……」


 アオイは少し深呼吸をして、ディミトリの腕にナイフを充てがい力を込めた。

 ディミトリの上腕に何か冷たい感覚が走り抜けた。

 ホンの数秒遅れで激痛が腕を駆け上がってくる。


「そうなったら恨むわよ……」

「大丈夫。 人に恨まれるのは生まれた時から慣れている……」


 そう訳の分からない事をいった。


「……」

「グッ……」


 アオイの荒い息使いが聞こえてくる。彼女も手術には慣れていないようだ。


「麻酔も無しで……」


 ブツブツ言いながら手術を続けている。

 どんなものかは不明だが、簡易型の超音波検査機にかかるぐらいだ。金属片で有ることは間違いない。


(そう言えば、犬の首に埋め込むタイプの盗聴器があると、ロシアの連中に聞いた事があるな……)


 体液に含まれる塩を分解して発電するタイプで微弱な電波なら出せるらしい。

 それを近くで受信して増幅してから送り届けてくれるすぐれものだ。

 諜報機関の技術開発は凄まじい勢いで進化している。信じられないものが盗聴器だったりするのだ。


(犬に可能なら人間でも可能か)


 自分は犬と同じ扱いなのかと思うと笑いが出てきてしまった。

 アオイは腕を切られようとしてるのに、クスクス笑いをするディミトリを不思議そうに見ている。

 だが、それを無視してナイフの切っ先を腕に入れ込んでいった。


(位置情報だけなら複雑な機構は要らないからな……)


 再び腕に痛みが走った。思わずビクリと動いてしまう。

 アオイは構わずに腕を切っているようだ。ザグザグと切り開かれる感触が腕に伝わってくる。

 機器と人体の肉が癒着を始めているのだろう。


(後はこのお姉ちゃんに頼むしか無いのか……)


 アオイは医者の卵なのだから手術の研修ぐらいは受けているだろう。つまり最低限の医学知識は持っているのだ。

 だから、躊躇すること無くナイフを入れて行くことが出来るのだ。


(場所的に、自分では出来ないからな……)


 こればかりは自分でどうにも成らないとディミトリは思った。

 ディミトリの額から汗が止めどなく流れていく。きっと全身も汗をかいているに違いない。


(まあ、幸運が続くように祈るとするか……)


 ディミトリは自分が幸運を使い切っていないことを祈った。


(祈る…… 誰に?)

(神にか?)

(…… むしろ ……)

(疫病神 …… の …… 方だろ …………)


 ディミトリはフフフッと笑った。そして、気を失ってしまった。



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