第2話 徘徊する驚愕
病院の中。
目が覚めてから数日たった。
医者は相変わらずやってくるが何も喋ろうとしないディミトリに手を焼いてるようだった。
繋がれていた管は殆ど取り払われたが監視は付けられたままだった。
それでも部屋の中を彷徨くぐらいには回復していた。
(まずは現状を把握せねば……)
特殊部隊に居た事もあるディミトリは観察し分析するのも得意な分野だ。
部屋の外を観察した結果。自分が居る病室は二階で有るらしい。
そして、住宅街の真ん中に病院は位置しているらしい事は分かった。
(まず、ここを脱出しないと……)
脱出するためにはいくつかの問題点がある。
まず、自分が今着ているのは病院のパジャマだ。脱出して外を彷徨くには着替える必要がある。
民家が近いのなら洗濯物が干されているだろうから途中で拝借すれば解決するだろう。
(かっぱらいなんてガキの頃以来だな……)
そう思ってディミトリは苦笑してしまった。裕福な家庭の出身では無い彼は、貧民街と呼ばれる街で育った。
正直な者が損をする仕組みが根付いている街だ。当然、彼はそんな街が大嫌いだった。
大人になって正規兵・特殊部隊・用心棒・傭兵と、戦う職業を転々と渡り歩いたのも偶然ではない。
強さこそが自分の証明なのだと、その街で叩き込まれたのだ。
後は道中に必要な金銭をどうするのかとか、移動手段に必要な車をどうやって調達するかだ。
何より、今どこに居るのかが分からないのも問題だ。
(まあ、細かいことは良い……)
些か、行き当たりばったりな計画だが、まずは行動を起こすことが肝心だと自分に言い聞かせた。
(まず、優先すべきポイントはここを脱出する事だ)
自分が目を覚ました事が軍の上層部に知られるのは時間の問題だろう。
そうなれば自白させるために拷問が待っている。
それだけはまっぴらごめんだとディミトリは思っていた。
ふと、見るとベッドの脇に小さな小机みたいのがある。普通そこには着替えなどが入っているものだ。
ディミトリは何気無く開けてみた。すると、そこには自分用と思われる着替えが収まっていた。
(よしっ! これに着替えれば何とか脱出出来るかも知れない……)
嬉しくなったディミトリは早速広げて見た。だが、すぐに意気消沈してしまった。
小さすぎるのだ。自分の戦闘服が入っているかも期待してただけにガッカリしたのだ。
(いや…… 子供用だろ…… これって……)
ディミトリは百八十八センチの大男だ。胸囲もかなりある。
それでも、病院のパジャマよりはかなりマシなので着てみた。すると、ぴったりでは無いか。
(うははは…… 随分と入院中に痩せてしまったみたいだな……)
靴も運動靴が入っていたので履いてみるとこれもピッタリだった。
(体力をもとに戻すのには苦労しそうだな……)
そんな事を考えながらドアに向かうと、扉にいた警官がどこかに歩き去るところだった。
彼は定期的に煙草を嗜みに喫煙所に向かうのは分かっていた。
ディミトリは悲鳴を上げそうな身体を無理に動かして廊下に出た。
病院というのは入院患者のお見舞いに来る人が多いので往来が盛んなのだ。容易に人混みに紛れ込むことが出来る。
それでも、正面玄関から出ていくのは拙いと思ったので、駐車場の方に向かった。
経験上、駐車場に見張りが居るのはマレだと分かっているのだ。人気のない駐車場を抜け道路に出た。
病院の敷地からでた所で一息ついた。
病院の様子を窺うが騒ぎが起きている気配は無い。脱出に成功はしたようだ。
(さて、一先ずは山に向かうか……)
何だか拍子抜けしたような感じがしたが、山と思われる場所を目指して歩き出した。
ディミトリは山に籠もって体力の回復を図ろうと考えた。その間に原隊への復帰方法を考えれば良い。
今は中国軍の手の内から逃げることを優先にするべきと思い至ったのだ。
彼は人通りの多い大きい道路では無く、並行して繋がっているらしい住宅街の道路を歩いていく。
病院を抜ける時に人混みに紛れる必要はあったが、今はなるべく人目に付かないようした方が得策だ。
そう考えて住宅街をヒョコヒョコ歩いていた。まだ、上手く歩けないのだ。
そして、路地を曲がった所で地べたに座り込んでるニ人組が目に付いた。この手の連中は大概厄介だ。
金髪の男とヒョロヒョロの長髪の男。二人共に顔にピアスをしている。
ディミトリはチラッと見ただけで無視して通り過ぎようとしていた。
「おい、お前っ!」
「ちょっと待てよ……」
二人組が何やら言い出してきた。しかし、ディミトリは気にもかけない。ニ人組を無視して歩き続けた。
「ガン付けてシカトこいてるんじゃねぇよ」
「待てってんだろっ!」
なんだか意味不明な単語を並べながら二人共向かってきた。ディミトリィは揉め事は避けたかった。
そして、路地を曲がると走り出した。
「待ちやがれっ!」
路地の入口を不良の一人が叫びながら曲がってくるのが見えた。
(待て言われて待つ奴がいるかいっ!)
ディミトリはそんな事を考えながら不自由な足を懸命に動かしていた。
身体が悲鳴を上げているのは分かっているが何とも出来ないでいる。ここで捕まる訳にはいかない。
だが、ディミトリは立ち止まってしまった。
奇妙なことに気がついたのだ。
(あれ? なんで連中の言葉理解できるんだ??)
ディミトリはロシア語を始めに欧州系の言語は読み書き出来る。だが、アジア系の言葉は馴染みが無い。
彼が知っているのは中国人くらいだからだ。
(中国語なんて聞いたことも無いぞ?)
そんな事を考えている内に金髪の男たちが追いついてしまった。
「くっそチョロチョロ逃げやがってっ!」
そう言いながら先頭の男がディミトリの胸ぐらを左手掴み、右手で殴りかかろうと振りかぶった。
しかし、ディミトリはすんでの所で躱した。
(ああ…… コイツ…… 戦闘経験が無いんだな……)
ディミトリは躱しながら、そんな事をボンヤリと考えた。
彼の少なくない戦闘経験で胸ぐらを掴むなどやらないからだ。そんな手間かけずに殴ったほうが早い。
そして、金髪の腕が伸び切った所で腕を引っ張ってあげた。金髪の彼はそのまま勢いを付けて転んでしまった。
少し拍子抜けしてしまった。
彼は弱過ぎるのである。
「テメェ……」
金髪の顔が真っ赤になっている。仲間の前で恥をかかされたと思ったのだろう。
「キェェェェッ!」
やがて、金髪は奇声をあげながらやって来た。しかも、泣き喚く子どものように手をグルグル振り回しながらだ。
余程、悔しかったのだろう。
(え……)
ディミトリィはその幼稚な攻撃に戸惑ってしまった。経験したことが無いからだ。
金髪の突進を避けると同時に足払いした。金髪は無様に転んだが、立ち上がって再度向かってきた。
それを躱して足払いを何度か繰り返していると、金髪は泥まみれで転んだまま動かなくなった。
髪の毛の長い方の男はただ唖然としていた。
こういう時に、相方はナイフを手に持ちたがると警戒していたのだが無さそうだ。
(なんだコイツラは……)
ディミトリは、今まで相手にしてきた狂犬のような不良たちとの違いにうろたえてしまっている。
だが、面倒な人種に思えてきたので、さっさと逃げだそうかと思った時に声が掛けられてきた。
「お前たちっ! 何してるっ!!」
そう怒鳴りながら警察官たちが近づいてきた。どうやら喧嘩をしていると通報されていたらしい。
警察官たちは傍に来てディミトリと不良二人とに引き離した。
喧嘩の様子を双方に聞いていたが、二人組は一方的に殴られたと主張している。
しかし、喧嘩の様子を見ていた警官は、金髪がディミトリの周りでコロコロと転がっていただけなのを見ていた。
結果、不良たちは厳重注意されていた。
だが、自分をジロジロと見る警察官はどこかに無線連絡している。それからディミトリに尋ねてきた。
「君は大川病院から勝手に外出した人だね?」
「……」
ディミトリは何も答えなかった。周りを警官に囲まれているし、何か迂闊なことを言えば自分が不利になる思ったからだ。
「保護依頼が出ているから一緒に来たまえ」
「……」
警察官はそう言うとディミトリをパトカーに載せた。彼も大人しく従っている。
何故かと言うと警官たちは警棒すら手にしなかったからだ。
自分の今までの常識では、警官は拳銃を構えて相手を制圧するのが常だったのだ。
最悪の場合は近接戦闘戦になると覚悟していたが拍子抜けしてしまった。
もっとも、今の状態でディミトリが包囲網を脱出できるとは思っていないのは事実だ。
だから、大人しく言うことに従っていたのだ。
不思議な事に手錠を掛けられる事無く警察署に連れて行かれた。
(なんだ?)
脱走した捕虜の扱いは大抵酷い目に会わされるものだ。そうしないと、再び脱走を企てるからだ。
四、五人で取り囲んで袋叩きにする。自分もされたことが有るしやったこともあった。
だが、彼らはそうはしない。
(く、国によってやり方が違うものなのか?)
ディミトリは益々混乱してしまった。
警察署に到着すると先程の警察官が、トイレを指さして言ってきた。
「取り敢えずは顔を洗って来なさい……」
ディミトリはトイレの洗面所に入っていく。汗と血痕でひどい格好になっているらしかった。
洗面台の蛇口を捻ると綺麗な水が出てくるのに軽く驚いた。
シリアの基地ではウォーターサーバー以外からは黄色い水しか出ないからだ。
両手に貯めた水をマジマジと見てから顔に浴びせて溜息を付いた。
(どうして親切なんだ?)
(連中の言葉が理解できるようになったぞ??)
(……何故だ??)
ディミトリは何が何だか分からなくなってきていた。
言葉が理解できるようになったのも驚きだが、彼を襲う驚愕はこれからだ。
下を向いて排水口に吸い込まれていく水を眺めて気を落ち着かせたつもりだった。
ディミトリは溜息を付いて顔を上げ正面にある鏡を見た。
「誰だっ! お前はっ!!」
ディミトリは思わず大声を出してしまった。
恐らくは人生の中で最大の恐怖を覚えたであろう。
鏡にはガリガリのヒョロヒョロとした、見知らぬ男の子が映っていたのだ。
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