出発前夜の下準備

 ーーー◆ーーー◆ーーー◆ーーー◆ーーー◆ーーー


「あなたはまるで大きな木ね!」


 時期にお嬢様の方が私より大きくなりますよ。


「でも、葉っぱがないのがおかしなところね」


 葉っぱはなくても髪の毛はあります。抜かないでくださいよ。ゴブリンでも外見は気にしますから。


「ゴブリン?響きは可愛いけど、あなたはモンタでしょ?モンタの方が私は好きよ」


 今日のおやつはケーキを焼きましょうかね。


「だから、あなたのことが好きなのよ。モンタ!」


 かないませんね。


「こっちに来て。私の秘密の場所を教えてあげるわ!お母様には内緒よ」


 前を見て走って下さい。転けますよ。


「平気よ!走って走って!」


 お待ちください。


「ほら、モンタ。はやくはやく!」


 一体どこへ連れてってくれるのですか?


「そんなんじゃ追いつけないわよ。くふふっ」


 こ、これでも全力です。


「モンタ、頑張って」


 お嬢様、お待ちください!


「モンタ」


 お願いです、待ってください!


「モンターーー」


 お嬢様!


 手を伸ばしても届かない。

 必死に足を動かしてもちっとも距離は縮まらない。


 ーーーモンタ


 そう自分を呼ぶ声が、どんどんと遠くへ離れていってしまう。


 いけません!一人で行っては!


 すると、いつの間にか目の前にニーナがいた。

 地べたに座り込むニーナはおいらを見上げて笑いかける。

 仕方のない子だ。

 ほら、家に戻ってご飯の支度をしよう。

 今日は何がいいかな。

 そうして、ニーナを抱き抱えて踵を返す。

 しかし、振り返った先でまた足は止まった。

 薄暗い洞窟の中で枝のように細い身体を横たえる黒髪の少女がこちらに顔を向けていた。

 塞がれた見えぬ目は、確実に自分を捉えていた。

 ささくれた唇がゆっくりと動く。




「ーーーねえ、どうして来てくれなかったの?」





 〜〜〜〜〜◆〜〜〜〜〜◆〜〜〜〜〜◆〜〜〜〜〜





 目を覚ますと、大量の汗をかいていた。

 熊が夢を見せることは無くなった今、ようやく安眠できるようになったかと思ったのに。


「たまには、朝っぱらから風呂を沸かそうかね」


 寝台で寝ているニーナを起こさないようにおいらは外へと出ていった。

 すっかり寒くなってしまった深林は土の中に氷を張るほどで、歩く度にザリゴリと音を立てる。

 体を摩りながら手早く風呂を沸かす支度をした。流石にこの季節の水は温度が低すぎる為、焼き石をいくつ入れてもなかなか温まらなかった。焼き石を用意する間、母家の釜戸にも火を入れて室内も暖かくなるようにしつつ、朝ごはんの支度を早めに始めた。

 湯船に体を沈めたのは、それからしばらくしてからのこと。

 どうやら、いつも以上に早く目覚めてしまったらしい。湯船の中で物思いに耽っていても一向に空が白み始めない。早起きの鶏も牛も、まだ鳴き声一つあげてこなかった。

 風呂に浸かりながら焚き火に鉄棒を突き刺し、焼き石を手繰り寄せ、湯が緩くなる度にそれを湯船の一角に入れていく。

 澄んだ空には満天の星が瞬いてる。

 見慣れたそれを眺めながら、ため息を吐いた。


「…………」


 悩みの種はやはり夢に見たこと。それは大元を辿れば、自分の過去の出来事に関すること。

 取り返しのつかない失敗を仕出かして、おいらはここに逃げて来た。

 その結果が意図せず、知らされてしまった。

 目を背けたまま、おいらはそれを忘れたかった。だのに、それをこの世界は良しとしなかった。やはり現実から逃げ続けることなどできなかった。神様はおいらに落とし前をつけろと言っているのかもしれない。そう思った。

 ニーナの母親の形見と思われる代物を見つけ出した後、おいらは熊にもう一度夢の内容を見せてもらった。全てではなく、一部分だけだ。たった一瞬の光景を何度も確かめるように。

 しかしながら、魔獣というものは言い伝えの通り知性が高いらしく、『異心伝心』の魔法を使うごとに熊はおいらの言葉を少しずつ理解していった。決して話せるわけではないが、ニュアンスが伝わるようになったのはとても助かった。

 だから、最後においらは熊がどうしてニーナを連れてこの《深林》に来たのかを、その経緯を見せてもらった。内容は思っていたよりも単純で、仕方のない選択からだった。


「神様は本当に残酷だべ」


 思い出しながら文句を口にする。

 ニーナと仲直りをして、ようやくこれからと思っていたのに。

 なんだかなあ。


「……上がるか」


 おいらは湯だった体を振るって水滴を飛ばすと、母家の中に駆け込んだ。体を拭く物がないので釜戸の火に当たって体を乾かしていく。

 町に行くと、おいらはニーナに言った。

 つい感情が昂ってしまったが、もうニーナの前で泣くわけにはいかない。腹を括ってこれからの事を考え、向き合わなければならないのだ。

 時間がない。

 雪が降り積もる前にここを出なければ。

 頭の中でやるべき事をあげていく。

 そうしておいらは服を着ると、丁度起きて来たニーナと一緒に朝食を摂るのだった。




 〜〜〜〜〜◆〜〜〜〜〜◆〜〜〜〜〜◆〜〜〜〜〜



「で、ぇ、で……できたぁ〜〜ぁ」


 それから数日後、おいらはついに移動用の荷車を完成させた。

 予定としては冬の間、ずっとここを開けることになるので家畜たちも連れて行く。そのため、荷車はおいらとニーナが乗る前方と牛と鶏三匹が乗る後方で連結された計二両となっている。

 残念ながら全体の形や車輪の歪みなどはどうにもならず、目を瞑った。そもそも、木の乾燥もままならないのにあれやこれやと加工するというのが無理な話なのである。

 最悪、荷車が大破した時のことを考えて、牛と熊が背負えるように木の皮で大きな鞄を作って、旅に必要な道具や食料を詰め込んでいった。

 それと。


「ニーナ、こっちおいで」


 おいらは荷車を不思議そうに眺めていたニーナを手招きし、あるものを見せた。


「これを着てごらん。大丈夫だ。縛り付けたりしないから」


 おいらが手に持っていたのは、ニーナの母親の形見である白のワンピースだった。

 ニーナはうう、と警戒の色を示したが、薄い生地のひらひらが気になるのか珍しく逃げようとしなかった。

 おいらはそのままニーナの頭にワンピースを通し、腕を広げさせ、着せていく。ニーナの丈に合わせて調節したそれは見事にぴったりだった。

 ニーナは肌触りのいいワンピースに驚いている様子で胸元を手で掴んで顔に何度も押し付けていた。


「これこれ、生地がのびるでしょ。それと、これ」


 次に取り出した物をニーナに羽織らせた。

 それはあの時、ニーナが細かく食い千切ってしまった布を繋ぎ合わせて作った外套である。裁縫の糸があって良かったと心底思った。

 手作りの外套の中には、粉々の布類が敷き詰まっており、これが意外と暖かくも弾力があって布団としても利用できる仕様となっている。

 つぎはぎ色になってしまっているのは今更どうしようもないが、それでも、なるべく同色で纏めてはあるのでそこまで変に目立つ作りになっていない。……はずてある。

 しかし、ニーナは気に入らないのか、ワンピースの時とは違い、むすっとした顔をおいらに向けて来た。

 肌触りか。肌触りなんだな。安物なんだよ、ごめんね!


「我慢してくれよ。そもそも、お前さんがこうしたんだから、文句を言う権利はないべ」


 そう言って、自分用に作った外套をおいらも羽織った。

 確かに肌触りは悪いし重い。だけれど、苦労して作った甲斐あってとても暖かかった。

 これには仕掛けがあって、内側に携帯即席暖炉を忍ばせることができるポケットがついているのである。夜はそれで寒さを耐えるという寸法だ。


「ニーナもこの暖炉好きだろう?」


 外套の中に小さい即席暖炉を入れてやる。

 するとニーナはミノムシのようにそれに包まった。

 うむ。正直で結構。

 これで、ようやく素っ裸生活に終わりを告げたニーナにおいらは胸を撫で下ろした。

 季節もそうだけれど、町に行ってまで一糸纏わぬのいうのは不味いどころの話ではない。このまま大人しく来ていてくれればいいのだが。

 おいらは腕を組んでニーナを見下ろすが、そんな考えは知らんぷりとニーナは熊の方へ走っていってしまった。


「まあいいや。……ふあぁぁあ。ダメだべ、流石に徹夜したせいか、眠いや。出発は明日だし、ちょっと仮眠とって、それかれ菜園の作物を採って……」


 そうしておいらは予定をぶつぶつ言いながら母家に戻っていった。




 第二章〜〜〜終幕〜〜〜

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