熊には、家族がいたのでした。③
ーーー◆ーーー◆ーーー◆ーーー◆ーーー◆ーーー
「ほれほれ!どうした?どーした?好きだろう、それ?食べたいだろうそれ?食えよお。食っちゃえよお。お前の子供なんだろ!バレバレなんだよ。ほら、再会だ。美味しく食えよ!」
血生臭い人間が小躍りしながら声を上げる。
耳障りで醜悪な笑い声。
動物には決してない、残虐さが人間にはあるのだ。
それを目の前にして、どうして黙っていられようか。
「アヒャヒャヒャひぎゃふぇーーー」
こいつが。
こいつがやったのか!
こいつが!!
暴れ狂う感情をその人間に全てぶつける。
お前も同じようにしてやる!
それだけだって足りやしないっ!
人間が人の形を保てなくなるのに時間は掛からなかった。
そして、ゆっくりと。
中身をぶち撒けて転がる入れ物に歩み寄った。
離れていた時間はそれほど長くないはずなのに、近づくほどに親しみのあった香りは懐かしくなってしまう。
そこへやっとの思いで辿り着くと、もうあの子達が遠くへ行ってしまったことを酷く実感した。いや、させられたと言った方が正しいのか。
どちらにせよ。
もう、元気にはしゃぐ我が子に会えないことには変わりない。
失意の奥深くへ自分が落ちていくのを感じていた。
すると。
ーーーぺちゃり、くちゃくちゃ。ぺちゃり、くちゃくちゃ。
耳障りな音がしていることに気が付く。
先ほどからしていたのだろうその音に、重たげに頭を上げた。
そこにいたのは、『壁』に遮られた空間にいる人間たち。
彼らは掴んだ物を必死になって口に運んでいた。
ーーーくちゃり。くちゃり。くちゃり。くちゃり。ぺちゃぺちゃ。くっちゃくっちゃ。くちゃくちゃ。くちゃり。くちゃり。くちゃり……。
瞬間、体の内側へと沈んでいた意識が強制的に痛みを伴って引き上げられた。
それもそのはず。
人間たちが床に散らばる欠片となった我が子を貪るように食べていたのだ。
『グフォオオオオオオオオオオ!!!!!!』
遠吠えのような方向が洞窟内を揺るがした。
『壁』を破壊し、部屋の中身に新しい赤い染みを作るのに手間は掛からない。隣り合わせの部屋を岩ごとぶち抜いて、中にいた者たちを挽き肉に変えていった。
魔獣が世界から一掃され、多くの同族を失った。しかし、それは自分が生まれるよりも前の世代のこと。奇跡的に生き残った先代たちが、細い糸を手繰り寄せるようにあの森で暮らして来たのである。だから、人間に出くわすことなどそうそうなかった。しかし、まだ体が小さかった頃。見つかれば、こちら側が想像もしない力で一瞬にして殺される。人間は野蛮で、残虐な生き物だから。ーーーそう教わってきた。
その通りだった。
何故、魔獣が世界中に存在していたのか。
たった今、理解した。
人間を殺すためだ。
だから、他の動物にはない『魔法』が使えるのだ。
目の色を変え、本能を剥き出しにする。
どれだけ暴れ回ったか分からない。
自分が今どんな姿をしているのかも知ることはできなかった。
故に、その声は上がった。
薄暗い坑道内を進み、別れ道を曲がった先でのことだ。上がった呼吸を整えるために歩いていただけだというのに、耳障りない甲高い叫び声が頭に響いてきたのである。その不快感から気持ちが逆立った。
『壁』の中にまた人間がいた。
これまでに見たどの人間よりも小さいそれらは、悲鳴を上げながら部屋の奥へと逃げて行った。一箇所に集まって身を縮める。するとどうだ。更に小さく見えた。
どんな大きさだろうが、人間だ。
殺す以外に選択肢はない。
『壁』を前足で薙ぎ払うようにして壊し、中へと踏み入った。
彼らに逃げ場などない。
峭刻な体つきの人間たちはつぶらな瞳を恐怖で引き絞り、泣き喚き始めた。目から水を流し、わんわん泣く。その場に座り込んだまま身体を震わせるだけ。
早く黙らせよう。
そうして突進する構えを取った。
「大丈夫。大丈夫だからね。お姉ちゃんが付いてるから。だから、みんな離れないで。大丈夫だから」
意識を集中した瞬間、身を寄せていたその中心からそんな声が聞こえて来た。
その声は、その場の誰よりも過細く弱々しいもので、それを口にする者自身がどんな状態なのか察することができるものだった。
その者は上体だけを起こし、しがみついてくる小さい人間たちを抱いてあやしていた。
長い黒髪が天井にぶら下がる火の灯りを反射する。前髪が掛かる目は両目とも塞がれるような傷が付いていた。目が見えないのだろう。それなのに一人一人が何処にいるのか分かるようで、優しく手を伸ばして頭を撫でていっていた。過細く掠れる声はもっと優しい。自分と人間は生き物としてまるで違うけれど、その声音から害を為すような相手では無いことが分かってしまう。
泣きじゃくる彼らよりも少し大きいだけの黒髪の人間を前に、自分は段々と殺意を無くしていった。
『…………』
こんなものを殺しても意味がない。それに、自分が手を出さずとも彼らはもう長くない。
振り返りその場を離れることにする。
もう、ここを出よう。もうここに用はなくなってしまった。
気が削がれたことで、初めてそんな事を考え始めた。
後ろを振り向くようにして小さな人間たちのいる部屋から出た。
すると、後ろで先程の声が大きく耳朶を震わせた。
「待って……っ!」
鳥の下手くそな鳴き声にも似たそれに自分は振り返った。
「お願い、があるのっ……。この先に閉じ込められてる女の子が……、ねぇ、お願いっ!」
黒髪の人間が何やら言っている。だが、人間の鳴き声など聞いたところでわからない。それに掠れた声は口を開く度にどんどん小さくなっていく。挙句、むせ返る始末。
いったい、何だというのだ。
この人間の考えが分からない。
だから、仕方なくそれを使った。
黒髪の人間の、その塞がれた目を射抜くようにして相手の意識を探る魔法を使った。強く思っていた意識を探り当てることに成功する。そこからイメージが流れ込んできた。
振り返った先の通路を真っ直ぐ進んだ突き当たりに『壁』がある。その中には、とても小さな人間がいた。どこを見ているのか分からない虚なその人間は一匹でそこにいた。広い空間にぽつんと。我が子より一回りも二回り小さい、まるで石ころのような存在だ。だが、その人間は我が子と同じような毛の色をしていていたのだった。
『ーーーーーー!!』
気がつくと、体が勝手に動いていた。
意識を読み取った黒髪の人間のことなどもう忘れていた。
向かう先にいるのは人間だ。
とても小さな人間である。
森の中で出くわしてもきっと気にも止まらない、希薄な存在だ。
だけれど、その一匹がいる場所へと向かわなければいけない。
今すぐ、ここから連れ出さなければいけない。
自分はそんな説明の付かない衝動に突き動かされ、目的の場所へと駆けて行った。
そこにはあの人間から意識を読み取って観た通りの『壁』があり、その中に薄茶色の毛を生やした人間を見つけた。
自分は堪らず、『壁』を薙ぎ払って中に入った。
薄茶毛の人間は自分を一瞥すると、首を元の位置に戻した。それ以降、こちらを見ようともしなかった。
全く自分に感心がないらしい。
どうやら興味の先は足に繋がれた箱のようである。天井の火の光を鈍色に反射する重たい糸によって人間と箱は繋がれていた。
これに何の意味があるのか。
自分にはそんなことどうでも良かった。
とにかくこの人間を連れて外に出よう。そしたら、森に帰ってこの"子"を育てよう。
そんな事を何の疑問もなく計画する。
自分は鈍色に光る糸に噛み付き、それを断とうとした。こんな物は必要ない。さっさと取ってしまおう。
「あああああ!ああああああっ!!ああああああ!!」
突然の鳴き声に何事かと驚き、加えていた硬い糸を離した。見ると、薄茶毛の人間が声をあげ、這いつくばりながら箱の方へと向かって行った。
これを切るな。
そういう事だろうか。
だが、それに何の意味がある。
自分は困り果てるように立ち尽くしてしまう。
と、その沈黙に要らぬ横槍が入ってきた。
「おうおうおうおう。いるじゃねえか、え?しかもこお〜んなところに」
振り返るのも嫌なその声に自分は牙を剥いた。
「ひゃお。怖いねぇ。これが魔獣か。迫力まあんてんなことで。つかよ。そいつに手ェ出されちゃこまちゃうんだよね。見てわかんないかな?分かんないよなあ。実験、してんの。じっーけん!奴隷に仕立て上げた貴族を孕ませて生まれたガキに、母の形見を繋げたらそれを親だと思うのか、っていうどきどきはらはらな実験中なんだ。見て分かれよ、毛玉野郎」
ぺらぺら口を動かす人間はまるで怯まず、こちらに歩み寄ってくる。
「てぇ、おいおいおい。なんだよ。ガキが形見の鞄を引っ掴んでんじゃねえか。マジかよ。最高だなこりゃ。なあ、もしかして毛玉野郎。てめぇのお陰か?だったら、根城で遊んだ分も含めてお礼しなきゃあいけねえよな」
すると、人間が背負っていた細身の武器を取り出し始めた。ゆっくりと引き抜かれるそれを前に嫌な気配を感じた。
「おおおっ!いいねえ。本能ってやつか?すげえだろ、コレ。昔によ、お前ら魔獣を殺すために作られた武器なんだとよ。近所をちんたら走ってた馬車をちょっと拝借したら拾ったんだよねえ。これを大事そうに抱えてたあの商人ときたらもう、今思い出しただけでも笑っちまう。やめて〜殺さないで〜、そこにグサァっ!てなもんよ!正直さ、こんなもんすぐに売っちまおうと思ってたんだが、まぁさか役に立つ日が来るなんてな。どうだ?毛玉野郎もグサァっていっとく?」
細身の刀身が視界の先でゆらゆらと揺れながら自分に向けられる。人間の言葉は相変わらず理解不能だったが、本能がその危険性を訴えてくる。
だから、仕掛けられるより先に自分は動くことにした。
薄茶色の毛の小さな人間を背に乗せ、繋がれた箱を咥えて走り出した。残念ながら一本道のため、武器を構えた人間目掛けて進むことになる。
「おおおお!いいねいいね!来やがれ毛玉野郎ッ!俺の仲間が待つ地獄の門まで案内してやらあ!!」
人間が武器を肩越しの上段に構え、素早く振り翳すと次の瞬間、軌道を変えて突きを放ってきた。
「しゃああっ!仕留め、……たあ?はあ?なんだ、空振りか?どうなってんだ。なんだこの頭ん中の揺れは」
分かりやすい軌道からの不意を突いた攻撃だったのだろう。
「何避けてんだ、毛玉ァア!!何しやがったあ!」
だが、意識を読み取ってしまえば造作もない。
あんなのを相手にする気ははなからなかった。だから、避ける事だけを考えそうしたのである。もう会う事はない。
自分はそのまま出口へと一直線に走って行った。
薄茶色の毛の人間はといえば、しっかりと自分にしがみついており、今は頭の上によじ登って来ていた。どうやら自分が咥えている箱を取り返したいらしかった。しかし、まだ返してやることはできない。
我が"子"を森に連れて行くまでは。
〜〜〜〜〜◆〜〜〜〜〜◆〜〜〜〜〜◆〜〜〜〜〜
夢はそこで終わった。
今まで断片的に見てきた場面もあれば、初めて見る場面もあった。
どちらかと言えば、後者の方が多かった気がする。
特に、後半はそうだ。
なんてものを見せてくれたんだ。
本当になんてものをーーー。
体が揺すられる感覚を覚えて、おいらはようやく目を覚ますのだった。
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