熊には、家族がいたのでした。②

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(またここか……)


 もう何度となく訪れた赤茶げた岩肌剥き出しの山を見て、そんな感想が漏れ出た。

 そこは、これから多くの赤い血で洞窟内が塗りたくられることになる場所。

 大量の汗をかき、全身から湯気が出そうなほど燃えるように熱いのは、きっと走ってきてからだけでないだろう。

 同属が攫われた。それも家族を。最愛の我が子が、奪われた。

 自分たちに害を為してきた人間への途方もない怒りと、我が子を目の前で連れ去られ、何もしてやれなかった自分への不甲斐なさが黒い感情として一緒くたに復讐心を生み出していた。

 許さない。

 気を失って倒れていた自分が目を覚ました時、追うものがいなくなってしまった森の中でそう強く思った。

 血の跡を辿り森を出て、僅かに残る匂いを追って走りに走ったのである。

 そして、息も整わぬまま山肌にぽっかりと空いた洞窟へと入っていった。

 我が子を取り返すため、洞窟内を駆け回った。同時に、視界に入る人間全てを倒していく。あらゆる武器を振りかざされてもお構いなしに叩き潰していった。

 魔法で障壁を纏ってしまえば誰も自分を傷つけられやしない。

 その事を人間もようやく理解したのか、自分を見るや真っ先に逃げ出すようになっていった。しかし、それでも間合いに入っているため難なく仕留めていく。

 人間への報復は順調に進んでいった。

 だが、肝心の連れ去られ二頭の子熊は未だ見つかっていない。

 匂いはするが、それは酷く希薄だ。頼みの綱を掻き消すほどの醜悪な臭いが坑道の奥から立ち込めて来ているのだ。

 刺激の強いそれに鼻が歪む。

 その先に足を踏み入れるのは簡単ではなかった。

 だが、いくら探しても見つからないということは、考えられるのはその場所くらいのもの。

 我が子のためなら、と意を決した。




 そこは異様な空間だった。

 今まで曲がりくねった道が多かった洞窟内で初めて、長いと思うほどの一本道が出来ていた。月当たりは見えるが、その距離は遠い。

 そんな中で一番に目を引くのは、左右の壁だった。いや、それを壁と言うのが正しいのか、自分は知らない。ただ分かることは、その『壁』が仕切りとなって中の者を閉じ込めているということ。

『壁』の中に人間が沢山いた。

 この洞窟内で倒して来た、体躯の大きい人間とはまるで違う。

 小さいのもいれば、大きいのもいる。体に纏う薄汚れた物から投げ出される手足は、なんて細いことか。こんなのが森にいたとしても、肉食の動物たちは見向きもしない。

 臭気の原因は、その隅で黄色く変色し動かなくなった者の所為か。

 すると、長い通路の奥から見慣れた格好をした方の人間が何やら抱えながら歩いて来た。

 抱えるそれに手を入れ、『壁』に向かって中身をばら撒いていく。『壁』の隙間を通って中に入ったそれはべちゃべちゃと嫌な音を立てる。

 その人間はしばらくそうして通路を歩いたところで、ようやく自分の存在に気がついたらしく足を止めた。

 さて、逃げるほうか。それとも、向かってくるほうか。

 どちらにせよ、この直線では遠かろうと間合いの範疇だ。なんの問題もない。

 人間は少しの間をとって動き始めた。

 前だ。

 そうして、人間の機微を観察していた自分は次に取った人間の行動に呆気に取られることになる。

 その行動は自分の動きを止めるのに充分な材料だった。

 人間が何をしたのか。

 それは現れた時と同じこと。

 脇に抱える丸い銀の物から中身を掴んでばら撒く。

 それだけ。

 それを先ほどよりも軽やかな足取りで自分に向かって投げて来たのである。

 投げて来たそれは、ピンク色で、まるで届かない位置に落ちた。


 ーーーべちゃり。べちゃり。


 人間は何度もそれを投げて来た。

 左右の壁から通路に散らばるそれを取ろうとして『壁』から折れそうな腕を伸ばす。

 自分は動けなかった。

 その人間の行動は全く自分の体に触れて来ていない。

 だのに、悔しいかな。

 確かな威力を持って届いていた。

 手足から力が抜けていく。

 どうしようもないくらい、その人間が恐ろしく見えた。


 ーーー床に散らばるそれから、愛する我が子の匂いがしていた。


 生きてきた中で、これ程までに体が震え、血の気が引いたことはなかった。

 そして、これまでになかった程、全身の毛が逆立った。



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 熊はどこまで理解していたのだろう。


 かつて資源の採掘として使われていた木の禿げた山は鉱山だ。

 そこを根城にするは盗賊たちーーー。

 あらゆる物を盗み、あらゆるものに害をなす集団だ。


 坑道の奥に広がるその空間は牢屋だった。

 長い通路の左右の『壁』ーーーつまりは鉄柵に閉じ込められていたのは、奴隷として売られる人間たちだ。

 夢の中で視界に映ったそれを見るだけでも、年も身分もバラバラなことが分かった。育ちの良い者ほど、自尊心からか身なりを保とうとしている痕跡が窺え、そして現実に失望し目の色が消えていた。身ぐるみを剥がされ、家畜以下の生活を強いられるのだから当たり前のこと。

 自分たちは攫われてここにいる。

 一眼見ただけでおいらは察してしまった。


 そうして。

 おいらは町にいた頃、人攫いの噂を頻繁に耳にしていた事を思い出す。

 自分の身の回りには降り掛からないだろう噂を聞き流していた頃の記憶だ。その噂の元凶は、こいつらだったのか?であれば……。


 ーーーそんなはずあるわけない。


 開いた記憶の引き出しからいろいろなものが同時にこぼれ落ちてきて、無理矢理閉じた。

 これは熊の見せる夢で、知らない場所で起こった出来事。

 そこに期待をしてはいけない。



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