独りよがりのすれ違い②
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家の中で嵐でも発生したのかと疑ってしまうようなほどに酷い有様の部屋で、おいらは床に落ちているモノを拾っていた。
ぐちゃぐちゃの魚の破片。
不揃いの大きさへとバラバラにされた野菜。
美味しい部分だけが根こそぎ消え、中途半端に実を残す果物。
扇状にばら撒かれた調味料たち。
戸棚から一斉に家出を決意したかのように大胆な形で転がる食器。
正しい使い方をされていない調理器具。
そして、失敗なのか成功なのか判断できない謎の物体。
手で拾える物は拾い上げ、そうでない物は掃除用具を使ってかき集めていった。
だが、作業は思うように進まなかった。
身体を運ぶ足は鈍い動きで目的地へと進み、物を拾う手は度々途中で止まり、役目を思い出したかと思うと空を掴む始末。
思考が定まらない。
茫然自失する意識に理性が思考を働きかけ、込み上げる感情が後悔を呼んで、身体が勝手に現実逃避を始めるのだ。
もう、ぐちゃぐちゃだ。
何もかもぐちゃぐちゃで、最低だ。
最悪の気分だ。
あの顔が、おいらの胸をちくりと刺す。
今も聞こえる悲愴に満ちた泣き声が心を乱す。
お節介なおいらが言う。
ーーー何してるんだべ!早く行ってやらないと!
身勝手なおいらが言う。
ーーーどうしてだべ?当然の結果だ。泣いているから何だべさ。
良心が痛み、後悔に胸が押し潰されそうになる。だけれど、未だ燻る怒りがこの部屋の惨状を肥やしに更なる熱を帯びていく。
洗濯物を使用不可能になるほど台無しにされたばかりだというのに、この手痛い追い討ちだ。
カッとなったって仕方がないじゃないか。
怒って当然じゃないか。
住むところを与え、食べ物を与え、その対価がこれか?
冗談じゃない。
生きるか死ぬかという瀬戸際に立たされているんだぞ。
どうして邪魔ばかりするんだ。
「……………」
長いため息が口から漏れ出た。
あの子は本当に聞き分けがなく、成長がない。
言葉も食事の仕方も歩き方も、身体の洗い方から歯の磨き方まで色んなことを教えてきた。
しかし、簡単な単語を話せるようになった事以外、何一つできるようにならなかった。
話せる言葉でさえ、その意味と一致しない。自分とおいらと、好物のオムライスの名前くらいのもの。
だからこそあの時、おいらはもうニーナにあれこれ世話をするのを辞めたのである。元からおいらの教えることはニーナにとって必要のないことだったのだから。
こんな事態になるなんて、とんだ厄病神じゃないか。
「もういい。もういいもういい。もういい」
おいらは進まない掃除を一度辞め、今も赤く燃え続ける釜戸へと向かった。
使わないのなら消さなければ、薪が勿体ないし、鍋が焦げ付いてしまう。
しゃがんで釜戸の中を覗いてみれば、薪は二本しか入っておらず火の勢いは弱かった。たくさん薪を入れた挙句、火事にならなくてよかった。と、そんな最悪な想像をして胸を撫で下ろした。
おいらは横に立て掛けてあった鉄の棒で薪を崩して火を小さくしていった。
そこで、ふと一つ思うことがあった。
ーーーこの火は一体、誰が点けたんだべ?
おいらが寝る前。
釜戸の火が消えているか確認したのを、はっきりと覚えている。反対に燃えていれば必ず消してから寝るはずだ。
それがなぜ、釜戸に火が灯っていたのだろうか。
真っ先に熊が火を入れたのではないか、と思い浮かぶ。火を出す魔法くらいあるのではないだろうか。
しかし、そんなことができるのであれば、あの嵐の日、寒さに震え風邪を引くほどまで身体を冷やしてしまっていたニーナの為に魔法を使っているはずである。
そうなると、これは熊の仕業ではない。
「ニーナが……火を?」
そう考えてすぐさま、できっこないと否定的な考えが思い浮かぶ。だが、可能性があった熊を除いて出来る者など他にいなかった。
ニーナはどうやって火を点けたのだろうかと思い、徐に後ろを振り返った。
つま先に何かが当たる。
ゴツゴツした感触が伝わるそれを拾い上げると、台所の丁度向かい側に置かれているテーブルを眺めて、ようやくそれを理解した。
「火打ち石の使い方、いつの間に覚えたんだべ」
まるで呆れるようにおいらは声を漏らした。
おいらが料理していると、ニーナはよくテーブルに身を乗り出してあうあう言いながらこちらを見ていた。
釜戸の横に置いてあるはずの火打ち石がその場所から動いているということは、つまりそう言うことだ。何を言っても覚えず、上達しなかったニーナが、火を起こせるようになっていたのだ。
思わぬところでニーナの成長を目の当たりにし、おいらはようやく怒りを忘れたのだった。
部屋を見渡すと、不思議とニーナが何をしていたのか想像できた。悪戦苦闘しながらも楽しそうに料理をするニーナの姿が脳裏に映し出される。
そういえば、おいらが部屋に入ってきた時もニーナは身体を左右に振りながら一生懸命鍋をかき混ぜていた。
すると、ニーナがおいらに器を持ってきてくれた光景が唐突に思い出される。
ああ、そうか。
あれはーーー。
ーーーニーナが初めておいらにくれた
それをおいらは二度も無碍にした。
彼女の目の前で床に叩きつけた。
あの大粒の涙の溢れた感情がようやくわかった。
今も聞こえる泣き声が強く胸を締め付けた。
おいらはいつもそうである。
何かと履き違えるのだ。
分かった風になって、諦めを肯定する。
相手に真意を確かめようとせず、踏み込もうともしない。
ニーナの目には、きっとおいらの様子がおかしく見えていたのかもしれない。
もしかしたら、この料理はあの時のお詫びかもしれない。それとも、おいらが勝手に広げた距離を彼女なりに縮めようとしたのだろうか。それともーーー。それともーーー。
きっと、これも自分に都合のいい解釈なのかもしれない。
けれど、ニーナがおいらを思ってしてくれたのは紛れもない事実だ。
「だから、おいらは自分が嫌いなんだ」
町にいた時となんら成長していない。
間違い続ける愚かなゴブリンのままだ。
見放されるのはおいらの方だ。
そうして、おいらは母家を出た。
止まない悲しい感情を乗せた声の元に向かって、闇夜の森の中を全力で走っていった。
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