独りよがりのすれ違い①
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朝起きると料理はそのまま、手付かずで残っていた。
「なんだべ。食わないのか」
冷め切った料理をおいらは口に押し込む様にして食べた。
あの後、ニーナはどうしたのだろうか。寝室の寝床は使われた形跡はなく綺麗なままだった。ご飯も食べずにどこへ行ったのか。そう考え始めて、おいらはコップに注いだ水を一気に飲み干した。
踏ん切りを付けたはずなのに未だ彼女の保護者気分か。
「どうせ熊のとこだべ」
片付けも早々に済ませて、いつもの一日を始めていった。
朝が肌寒いのはいつもの事だが、最近では日が上り切った時分でも肌寒さを感じることが増えてきた。
季節が変わる。
冬が近づいてきているのだ。いつの間にか、身体を温めるように摩る仕草が癖になっていた。
「おやまあ」
寒さを感じているのはおいらだけではないらしい。
養蜂している巣箱を覗きに行くと、普段は忙しなく飛び回っている蜂達が心なしか威勢がなかった。どうやら働き者の彼らも寒さには勝てないようだ。
頑張れよ。なんて心の中で応援する。
だが、それでもしっかりと蜜は頂いていくのだけれど。
カサカサと落ち葉を踏みながら家に戻ったおいらは、採れたての蜂蜜をお茶に溶かして一息入れていた。
甘い香りが湯気と共に鼻をくすぐる。ずっとこうしていたいと思う欲求に駆られるが、しかし残念ながらそうもいかないのが現実である。
冬支度をどうするか。
同じ言葉が頭の中で何度も繰り返されていた。
昨日、ニーナが洗濯していた布をバラバラに食いちぎってしまうという重大事件が発生してしまった。どれぐらい重大かというと地面に顔がめり込むくらい重大な事件だ。
そこには身体を拭くための物から厚手の掛け布団まで色々と干してあったのだが、残っていたのはおいらの衣服上下一着と下着が一つだけ。その衣服というのも衣替えのために洗って仕舞う予定だった袖と裾の短いもの。使おうと思っていた長袖、長裾の上下は引き裂かれてしまっていた。今日着ているのは被害を逃れたそれである。これ以上、気温が低くなったらきっとおいらは釜戸の火の前から動かなくなるだろう。
衣食住が生きる上で大切なのはどんな季節でも変わらない。しかし、季節によってそのバランスは変わるのも然り。冬に最も重要となるのは衣服の有無である。なぜなら、いかなる時でも自身の体温を保ち続けることが必須だからだ。
衣類がなければ極寒の外に出て薪を取りに行けない。家畜の世話をしに行けない。家屋に降り積もる雪を屋根から退かすことができない。そもそも寒さのせいで碌に寝付けないことだってあるのだ。これでは休むこともままならない。そんな中で長い冬を越す事なんて不可能だ。
おいらは火の消えた釜戸の前で震える自分の姿を想像して頭を抱えた。
こんなことなら動物の毛皮を取っておけばよかったと今更ながら後悔する。毛皮の処理の方法を知らなかったおいらは、腐臭の放つそれらをいつも土や川に還してしまっていた。
かと言って。
「狩りはなぁ。得意じゃないんよなぁ」
今から不得意の狩りに出掛けても知識もない毛皮の処理をするなんて、とてもじゃないが間に合わない。それよりか、火に焼べる薪と保存食を目一杯用意するほうがまだ賢明だ。しかし、それで保つかは別問題。
果たしてどうするか。
そんなこんなで、何も思い浮かばないまま数日が経っていった。
家畜たちの世話をして、小さな畑を手入れして、空いた時間に出来る範囲で冬支度をしていく。その間、ニーナはといえば、相変わらず熊と何処かへ行っているようで日中はいつも姿を見せず、夜は母屋の寝室ではなく熊と一緒に家畜小屋で寝むるようになっていた。掛け布団の無い寒い寝床より熊の腹に身体を埋めて寝た方が暖かい。服を着ないニーナにはその方が風邪を引かなくて済むことは確かだ。
だけれど、何故か釈然としない気持ちが湧き起こる。別に大したことではない。そう自分に言い聞かせた。食事に関してだって、ご飯を作れば勝手に来て食べていくのでおいらから言うことは特にない。そうだ。なにもないのだ。
何かあると言えばおいらの方だろうか。
最近、奇妙な夢を見るようになっていた。薄暗い洞窟の中で大勢の人影らしきものと争って、そして何かを無理矢理奪われていく、そんな夢だ。
奇妙だ、とおいらは何度も思った。
ざっくりとした内容しか思い出せないのに、それを見て受けた怒りや喪失感はとてもはっきりしていて、起きた直後には大抵、言いようの無い悲しい気持ちになっているのだ。
いったいこの夢は何なのだろうか。一度、本気で考えたおいらは、納得のいく答えを出せず、自分が疲れているのだと結論づけることに落ち着いた。
身に覚えが全くないし、夢は所詮夢である。そんなことに気を取られているほどおいらは暇じゃないのである。
おそらく、あと数十日でここは辺り一面真っ白な雪に覆われるだろう。この深林の中央にあるあの高い山のせいなのか、ここは冬になると曇りか雪かのどちらかの空模様しかなくなってしまうのだ。三日に一回のペースで長時間振り続ける雪は、毎年おいらをあらゆる面で死活問題に追い込んできていた。
ある時は食料問題。ある時は燃料問題。ある時は雪の重さによる建物問題。ある時は瀕死状態に陥っていく家畜問題などなど。小さな事から大きな事まで、問題を上げれば枚挙に暇が無い。
無事に冬を越せたら奇跡と思うくらいに、おいらは不安と焦りで一杯だった。
そんな時だった。
おいらは最大の過ちを犯してしまうのだった。
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頻繁に見るようになった気分の悪い夢にうなされ目を覚ましたおいらは、台所から何やら物音がしていることに気が付いてよろよろと立ち上がる。
台所からはカッコンカッコンと頻りに音が聞こえてきている。
いったい何だ?とおいらは隙間から光が漏れる扉を開けた。
「な………!?」
それを目にした途端、眠気が吹き飛んだと同時に言葉を失った。
一体、どういうことだこれは。
見開いた目と口がその光景を前にしていつまでも閉じようとしなかった。
台所がーーーいや、その部屋全体が大変に荒れていたのである。
食材が床板の色を変えるように散らばっており、魚が、果物が、野菜が、その形を留めていなかった。そして、散らかっているのは食材だけではない。食器も調理器具でさえも棚をひっくり返したかのようにあちこちに転がっており、足の踏み場もないような状態である。
顔を覆いたくなるほどの光景においらはその部屋でカッコンカッコンと先ほどから音を立てている者に目を向けた。
それは火のついた釜戸の縁に椅子を寄せて立っていた。相変わらずの素っ裸に薄茶色の髪を左右に揺らしているのは紛れもなく、ニーナである。
ニーナは鍋に差し込んだ棒を身体を一緒に揺らしながらかき混ぜていた。
何してるんだべ、おまえさんは。
そう言おうとして、だが、あまりのことに声が出なかった。
立ち尽くしたまま現実を受け止めるのに必死になる。
すると、おいらの存在に気が付いたのか、振り返りおいらを見るや否や、肩を跳ね上げてガタッと椅子から飛び降りて退いた。
驚くのも束の間、おいらと視線を合わせると、ニーナは鍋の中に柄杓を突っ込んで床の上に置いたお椀に下手くそに注いでいく。ある程度入ったところでそれを頭の上に乗せ、おいらの元までやってきた。
「モンタ!」
何だこれ、とおいらはすぐに受け取らず、その中身に視線をやった。
やけに濁った液体の中には、ゴロゴロと皮の剥かれていない不揃いな芋、それに千切ったのだろうキャベツだか青菜だかが入っていた。この浮いている白いものは魚の鱗だろう。
料理をした、ということだろうか?
器から目を離し、もう一度部屋の惨状へと視線を移す。
よく見れば、後で調理しようと思って置いておいた貝や魚、山で採った薬草も散らばっていた。その全てが、厳しい冬を乗り越えるために苦労して採ってきた食材であることは言うまでもない。
ーーーもう使い物にならない。
それが分かった瞬間、おいらの中で何かが弾けた。
ガンッ!!
と、鈍い音が響いたのはそのすぐ後だった。音のした方にはくわんくわん言いながら床に転がる木の器があった。
勢い良く振り抜いたおいらの右手がニーナの作った料理を叩き落としたのである。
盛大に溢れ落ちたそれをニーナが振り返って見るや、転がる器目掛けて走っていった。
「ああ!あーあう!」
声を上げると、ニーナはもう一度バチャバチャと器によそって、それを持ってくる。
おいらは、その行動が信じられなくて無性に腹が立った。
何言ってるのか分からない。
何がしたいのか理解できない。
今度はニーナの頭に乗る器を取って掴み、彼女の見えるように目の前でーーー分かりやすく床に叩きつけた。
「ふざけるな。何してんだべ、お前さんは!!冬が越せなかったらみんな死ぬんだぞ!!勝手なことしやがってからに、いい加減にしろいッ!」
部屋が軋んだかと思うほどの怒声でおいらは言い放った。
息を荒げるおいらの呼気だけが聞こえていた。
だから、碌にニーナの顔も見ていなかったおいらは反応を寄越さない彼女の様子が気になり、床から視線を上げた。その途中、大粒の滴が視界に入り込むのを見かけ、それがニーナのものだと理解するのに時間は要らなかった。
潤んだニーナの目は真っ赤になって、大粒の涙が目の端から溢れ落ちていっていた。
ニーナが泣いている。
その事実においらは正気を取り戻す。
だが、遅かった。
ニーナと目があった瞬間、彼女は表情を歪めるとその場から逃げるように外へ飛び出して行ってしまったのである。
今まで一度も聞いたことがなかったニーナの泣き声が夜の深林に響きわたる。
おいらはニーナの後を追いかけることが出来ずに、部屋の片付けを始めるのだった。
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